非モテ自虐という遊びと客観性

ツイッターでは、プロフィールやツイート内容でいかに自分が非モテ(モテない人たちを指す蔑称)なのかをアピールしている人たちが数多います。

 

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もちろんありのままの自分をそう表現している人たちもいるでしょう。というかほとんどは嘘でも何でもなく、モテない自分についてつらつらとつぶやいているだけなのでしょう。「モテる」という状態が「大部分の人よりも異性に人気がある」という相対的な優位性を表現した言葉である以上、ほとんどの人はいわゆる「非モテ」に当てはまります。

しかし非モテを自分のキャラクターとして売りにしている人の全てが、実際にモテない(異性を獲得できない)人なのでしょうか。

 

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ツイッターで数千人もフォロワーを抱えている人、ツイートがいつも何十何百とお気に入りされる人たちには、総じて客観性があります。

 

彼らには「他人が欲しがる情報」「他人が聞きたがる面白い話(言葉)」「他人が自分に期待している発言(振る舞い)」が分かるのです。

彼らは自分が他人から期待されている役割(キャラクター)と自分の話が受ける層(マーケット)を知っていて、それに対応したツイートを繰り返すことで人気を得ています。

そしてそういった人気のあるアカウントでも、非モテであることをキャラクターの一部として押し出している人が多くいます。

 

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モテるためには、客観性が不可欠です。

 

客観的に自分を分析して、自分が受ける層を見つけてそこを狩場にする(オタサーの姫など)か、もしくは大部分の人に好まれるタイプに自分の方を修正する(化粧で外見を偽装し徹底して男に都合よく振る舞うホステスなど)かしなければなりません。

これらをするためには客観性が必要なのです。自分のモテの偏差値が55の時、それを60に改善して偏差値が60の異性を狙ってもいいですし、偏差値が45の異性の集団に飛び込んでお姫様になることもできます。しかし自分の偏差値を60だと勘違いして偏差値が60の異性を追いかけても結果が出ることはないか、仮に出たとしても非常に時間がかかることになるでしょう。客観的に自己分析ができなければ、努力の方向性さえも定まらないのです。

 

ここで話をツイッターに戻します。

 

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「モテるためには客観性が必要」という話と、「ツイッターで人気のある人には客観性がある」という話を総合するとどうでしょうか。

 

数千人に受ける話(振る舞い)ができるほど、自分に対する客観性と他人に対する観察眼を持ち合わせた人が、身近な異性数人から期待される振る舞いすらできない(自分を求めるタイプの異性数人程度見つけることができない)ということがあるのでしょうか。

 

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私はインターネットでの低学歴・低収入・非モテなどの自虐に関しては、一切信じていません。

低学歴・低収入キャラで人気だった人が実際には東大出身でいい企業に勤めていたことや、非モテを自虐していた人が人並み以上に恋愛経験があって当然のように恋人もいたことなど、これまで何度もネットでの自虐は遊びなのだと理解する場面に遭遇してきたからです。

 

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「自虐は余裕のある人の遊び」という言葉を、実際に理解することができるようになるとツイッターが何倍も楽しくなると思います。