あの日未曽有の災害に襲われた人々と町の証言記録。
第45回は東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町です。
原発事故から4年半がたった今もほとんどの地区は帰還できるめどが立っていません。
住民は1年に15回日中の5時間に限り一時立ち入りが認められています。
毎月双葉町に通い写真を撮り続けている外国人たちがいます。
震災前から双葉町に住み子どもに英語を教えてきた2人のイギリス人です。
あの日原子炉の冷却機能が失われ危機的な状況に陥った福島第一原発。
しかしその情報は言葉の壁に阻まれて外国人の多くにはなかなか伝わりませんでした。
避難先で初めて知った原発事故。
インターネットで英語のさまざまな情報に接した事で2人の混乱は大きくなりました。
言葉の壁情報の不確かさ。
そして家族からの帰国要請。
異国の地で戸惑い続けた外国人たちの証言です。
福島第一原発からおよそ4kmのところにある双葉中学校です。
今も立ち入りが制限された区域にあるため生徒の姿はここには見られません。
双葉中学校で英語を教えてきた…イギリス出身のアンソニーさんは旅行で訪れた双葉町の自然に魅せられ2008年にこの地に移り住みました。
双葉中学校では英語の授業で外国人を採用する取り組みを進めていました。
アンソニーさんは外国語指導助手として働き始めました。
日本人の英語教師を補助しながら英会話を教えてきました。
明るく楽しげな笑顔に囲まれるうちに生涯この子どもたちと共に双葉町で過ごしたいと思うようになりました。
震災から4年半がたった今も教室はあの日のままです。
地震があった2011年3月11日は双葉中学校の卒業式の日でした。
アンソニーさんが職員室で生徒の写真を整理していた時震度6強の地震が発生しました。
アンソニーさんは生徒たちの無事を確認するため校庭に向かいました。
その時アンソニーさんは防災行政無線が何かを放送している事に気が付きました。
津波が双葉町に押し寄せたのは地震発生からおよそ30分後の事でした。
福島第一原発も高さ14m以上の津波に襲われました。
非常用電源は水没。
原子炉を冷やす事が難しくなりました。
この時原発からおよそ2.5km離れた双葉南小学校にもう一人のイギリス人がいました。
アンソニーさんの紹介で2009年から双葉町で働き始めました。
小学校は高台にあるため津波は到達しませんでした。
双葉町に住み始めて2年だったフィリップさんは日本語がよく理解できませんでした。
町の避難所に指定された双葉中学校には住民たちが続々と避難してきていました。
フィリップさんも中学校にやって来ました。
同じイギリス人のアンソニーさんに何が起きているのか聞くためです。
しかしアンソニーさんも災害に関わる日本語はあまり理解できていませんでした。
2人の前に言葉の壁が立ちはだかっていました。
3月11日の夜福島第一原発の1号機では冷却装置が完全に機能しなくなりました。
炉心溶融の危険が高まりました。
政府は原子力緊急事態を宣言。
周辺住民に避難を呼びかけます。
この夜双葉中学校には900人の住民が避難していました。
アンソニーさんたちはその対応に追われ政府の指示には全く気付きませんでした。
深夜避難所の対応が一段落すると2人はアンソニーさんの家に向かいました。
携帯電話が通じずイギリスの家族に無事を伝える事ができていなかったためです。
家具が転倒していたものの幸い停電はしていませんでした。
しかしアンソニーさんが伝える事ができたのはそのひと言だけでした。
インターネットの接続がすぐに切れそれ以上つながらなくなってしまったのです。
アンソニーさんの母国イギリスでは震災の被害が次々と伝えられていました。
アンソニーさんの母クリスティーンさんと妹のヒラリーさんです。
一日中テレビの前から離れる事ができませんでした。
しかしアンソニーさんの無事を確認したあとも家族の不安はおさまりませんでした。
テレビで原発事故の深刻さが伝えられ始めたのです。
3月12日の早朝。
原発の危機はますます高まっていました。
格納容器の圧力が上昇し大量の放射性物質を放出する恐れが出てきたのです。
現在10km内の避難を命令したところであります。
指示をしたところであります。
政府はそれまで半径3km圏に出していた避難指示を10kmに拡大。
双葉中学校も避難指示の範囲内に入りました。
双葉町は住民に対し西の方へ避難するよう防災行政無線で放送しました。
その放送にアンソニーさんたちは気付いていませんでした。
朝家を出た2人は住民たちの気になる動きを目にします。
2人が中学校に戻ったのは午前9時過ぎでした。
校庭には信じられない光景がありました。
2人に声をかけたのは当時双葉中学校の校長だった…連絡が取れないアンソニーさんたちに避難指示を伝えるため学校にとどまっていました。
川俣町は双葉町から北西へおよそ50km離れています。
2人にとっては聞き慣れない地名でした。
2人が戸惑っていると今度は警察官が声をかけてきました。
川俣町を知らなかった2人は日本語の地図を頼りに道筋を探しました。
2人が川俣町にたどりついたのはおよそ4時間後。
既に双葉町の住民の多くが小学校に避難していました。
そして2人は原発で何が起きていたのか初めて知る事になります。
それはこの日の午後3時36分に水素爆発を起こした1号機建屋の映像でした。
夜になってから政府は避難指示の範囲を10km圏から20km圏に拡大。
一方で具体的な危険が生じたわけではないと強調しました。
川俣町の小学校は原発から50km以上離れており避難指示の区域外でした。
ニュースの日本語がよく理解できなかったアンソニーさんたちも周りの人々が避難しないのを見てここにとどまる事に決めました。
しかし安心できたのはつかの間でした。
友人から助けを求めるメールが届いたのです。
「すぐに日本から逃げたい」という内容でした。
メールを送ってきたのはオーストラリア人のエミリー・ペックさんです。
双葉町の隣大熊町に住んでいましたが郡山市に避難していました。
エミリーさんに強く頼まれた2人は成田空港にエミリーさんを送り届けました。
(飛行機の音)その夜エミリーさんは出国していきました。
当時エミリーさんは原発事故についてどんな情報を得ていたのでしょうか。
今はオーストラリアに住むエミリーさんにアンソニーさんから連絡を取ってもらいました。
エミリーさんの帰国後も成田空港には日本から出国しようとする外国人が詰めかけました。
震災後の1週間で外国人の出国者数はその前の週に比べおよそ1.7倍に増えました。
エミリーさんを成田空港に送ったあとアンソニーさんとフィリップさんは千葉県の友人の家に身を寄せました。
その翌日の3月14日。
2人の心を更に大きく揺るがす出来事がありました。
福島第一原発で2度目の爆発があったのです。
海外のニュースでは事故の収束を悲観する声が高まりました。
高まる日本政府への不信感。
それを決定づける欧米諸国の発表がありました。
一方で日本政府はこの時点では避難指示を20km圏以上には拡大しませんでした。
海外では日本政府の危機感の低さが語られるようになりました。
一体どこまで避難すればよいのか。
アンソニーさんとフィリップさんは今後について冷静な判断をするためインターネットで海外の情報を集めました。
不確かな情報と日本政府への不信。
イギリスの家族の危機感は最高潮に達しました。
大切な人たち。
それは双葉中学校の生徒たちでした。
アンソニーさんは避難生活を送っている子どもたちの不安な気持ちを今こそ支える必要があると考えていたのです。
アンソニーさんは母のためイギリスに行く決心をしました。
このままイギリスにとどまるかそれとも日本に戻るか。
アンソニーさんと母は何度も議論を繰り返しました。
しかしアンソニーさんはどうしても双葉の生徒たちの事を忘れる事ができませんでした。
その後双葉町の住民の多くは埼玉県に集団移転しました。
アンソニーさんとフィリップさんは引き続き双葉町の先生として生徒たちと行動を共にしました。
そして去年双葉町の公立学校が福島県いわき市で授業を再開しました。
2人は埼玉県といわき市を往復しながら双葉町の子どもに教え続けています。
原発事故がもたらした混乱と悲劇。
2人はその事を絶対に忘れてはいけないと考えています。
翻弄されながらも日本にとどまる事を選んだ外国人たち。
これからも双葉町を見続けていくと心に決めています。
この町でまた会えますように。
原発事故のさまざまな情報に翻弄されたのは外国人ばかりだけではありません。
私たちも同様に不正確な情報に戸惑いました。
二度とこのような事が起きてはならないという事は深くかみしめたいと思います。
さて震災の被害に遭った沿岸部には旬の海の幸をふんだんに使った名物料理たくさんあります。
それぞれの地域で料理自慢の浜のかあちゃんたちによる料理紹介しましょう。
宮城県の唐桑半島。
養殖のカキやホタテがおなじみですが今回の主役はそれにくっついてくるこの赤皿貝です。
赤皿貝はホタテにまさるとも劣らない味だといいます。
地元だけで食べられているこの貝を使って料理を作るのは漁協女性部のかあちゃんたちです。
まずは殻のままゆでて身を外します。
いぶす事30〜40分。
「赤皿貝のくん製」出来たよ〜。
うまみが凝縮され味も濃厚。
香ばしくてお酒にも合いそうです。
さあ続いては。
次に紹介するのは三陸金華山沖でとれたこちら毛がにを使った料理です。
漁師さんのかあちゃんに作ってもらいますが使うのはただの毛がにではありません。
漁師さんならではの食材殻が柔らかいカニです。
甲羅とエラを外せばあとは全てをから揚げに。
揚げっぺ。
浮いてきたら返すようにして。
おいしさを増すために…は〜い出来たよ〜!殻ごとサクサク。
う〜ん香ばしい!浜のかあちゃんたちは海が育んだもの本当に無駄にしませんよね。
この三陸沖これからはマダコカキなども味がのってきますよね。
浜のかあちゃんたちの名物料理1分の番組で随時放送していきます。
これからも季節ごとに海の幸を使った料理を紹介していきましょう。
さあそれでは被災した地域で暮らす方々の今の思いです。
福島県川内村の皆さんです。
川内村で自然ガイドをしています。
原発事故後村の魅力を再発見したいと思いまして村内を歩き回り新しい観光名所を30か所見つけました。
川内村で1つしかない薬屋さんの運営をしています。
愛知県から昨年の4月にこちらへ引っ越ししてきました。
最初は復興支援員という立場で緊張の毎日でしたが川内村の空気や地元の方々に助けられて今では楽しく仕事をさせて頂いています。
川内村の夏祭りの実行委員長をしています。
自分は生まれも育ちも川内村で今の子供たちにも楽しい思い出を作ってほしくて原発事故後も夏祭りをやっています。
2015/09/27(日) 10:05〜10:53
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう− 証言記録 東日本大震災 第45回「福島県双葉町」[字]
震災と原発事故を経験した外国人は、状況をどう把握し避難行動をとったのか。彼らの母国では事故はどう伝えられたのか。福島県双葉町の二人のイギリス人の証言から探る。
詳細情報
番組内容
東日本大震災と原発事故を経験した外国人は、状況をどう把握しどのような避難行動をとったのか。彼らの母国では、原発事故は、どのように報じられたのか。帰国を求める家族とは、どのような葛藤があったのか。福島県双葉町で中学校と小学校の外国語指導助手をつとめてきた二人のイギリス人とその友人、さらにイギリスの家族の証言から、災害発生時の外国人への対応を探っていく。
出演者
【キャスター】畠山智之
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他
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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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