ルール、日程、代表選択…“兄弟競技”サッカーとラグビー、3つの違い
忍者のように両手の人差し指を合わせる“五郎丸ポーズ”を、日本中の少年たちが(大人も?)真似したはずだ。ただ、自分はある知人からこんな質問を受けた。「あれは遅延行為にならないのか?」
もちろん、反則を取られないから五郎丸歩(福岡市立老司中サッカー部出身)はあのルーティーンをやっている。気持ちが落ち着くだろうし、時間を取ることで心拍数が平常近くまで戻り、キックの精度も高まる。ただしルールで時間制限が定められており、トライ後のコンバージョンは「トライから90秒以内」だ。
サッカーとラグビーは150年ほど前まで同じスポーツだった。素材と加工技術の進化からボールを投げやすい形、蹴りやすい形と自由に成型できるようになったことが、おそらくラグビーとサッカーの分岐点となったのだろう。今でも類似点は残っていて、例えばどちらの競技でもボールを持っていない相手へのコンタクトプレーは禁止だ。(※アメリカンフットボール、オーストラリアンフットボールでは認められる) サッカーはどんなシュートも1点、ラグビーは1トライで5点入るが、ラグビーも元々は「ゴールを決めたら1点」という競技だった。トライは単にシュートへ“トライ”する権利だったのだが、トライの価値を上げるルール改正が繰り返され、今に至っている。
今回はサッカーとラグビーの違いの中でも皆さんが疑問に感じそうな3つのポイントに絞り、その違いを説明したい。
一つ目はオフサイドだ。歴史的に見るとサッカー側がオフサイドの基準を緩和し続けて、今の違いが生まれた。
ラグビーは相手のフィールドプレイヤーでなくボールが“オフサイドライン”の基準になる。例外もあってスクラムやモールなどの集団プレーは、ボールに絡んでいる“人の塊の最後尾”と平行な線がオフサイドラインだ。ラインアウトでも、ボールの争奪に絡んでいない選手は下がった位置に立たなければならない。要は自陣と相手陣が明確に二分され、いくつかのケースでは混乱を避けるための“中立地帯”が用意される。そして“相手方、中立地帯からプレーに関与するとオフサイド”というシンプルな考えだ。
2つ目は代表とクラブの関係だ。
ラグビーの本場である南半球は有力選手がクラブでなく地区選抜、協会と契約する。冬から初夏まで“スーパーラグビー”と称する地区対抗戦を戦い、それを終えると代表戦の時期に移る。ざっくりいえばそのようなスケジュールだ。ジャパンの選手も今年は6名がこのリーグ戦に参加していた。スーパーラグビーにはニュージーランド(NZ)、オーストラリア(豪州)、南アフリカの3か国から15チームが参加している。16年からは日本とアルゼンチンが加わり、チーム数も「18」に増える。
ラグビーユニオンは元々プロ契約を禁止し、プロ化で先行したラグビーリーグ(※13人制で少しルールが違う/イギリス、NZ、豪州で盛ん)からの復帰も認めていなかった。早い時期にユニオンから“引退”してリーグで稼ぐというキャリアも一般的だった。しかし今はユニオンもビッグビジネスだ。1995年に国際ラグビー連盟が“オープン化”を行うと、翌96年にオーストラリア出身(※現在はアメリカ国籍)のメディア王ルパート・マードックの主導によって、スーパーラグビーが立ち上がった。サッカー、アメフトなどと同様に、ラグビーも有料テレビによって市場規模が膨み、市場が急に拡大した。
3つ目の違いはやはり代表資格。サッカーファン、一般スポーツファンにとっては最も大きな疑問点だろう。
オリンピック種目、及びサッカーでは「その国のパスポートを持っていること」が代表でプレーする大前提だ。しかしラグビーは3年以上の居住歴があれば、その国の代表になれる。アマチュアが原則だった時代は、外国で働くプレイヤーが“母国”に戻って時間を浪費するべきでないという発想もあったのだろう。
ラグビー強国は多くが英連邦、もしくは環太平洋という枠組みに入っている。これらの国は住民の“横移動”が多い。NZや豪は今も移民を受け入れている国で、ポリネシア系の人は逆に“アウェーへ打って出る”ことを好むカルチャーがある。例えば大相撲の小錦や武蔵丸はサモア系アメリカ人として来日し、今は日本人として日本で暮らしている。トンガ人には典型的なアウェー志向のカルチャーがあり、日本も含めて世界中にトンガ系の代表選手がいる。しかし本国の人口は10万人ほどで、代表チームもそれほど強くない。
このようなカルチャーの中で、代表チームはクラブと同じく“選ぶ”ものとなる。例えばジョージ・グレーガンはオーストラリア代表で長くキャプテンを務め、139は史上最多のキャップ数という名スクラムハーフだが、アフリカ南部・ザンビアの生まれだった。同じポジションの後継者であるウィル・ゲニアもパプアニューギニア生まれだが、オーストラリアで教育を受け、オーストラリアの代表を選んだ。豪、NZのような強豪国でも外国出身、外国人の選手は自然に代表入りしている。
日本代表のキャプテンはリーチ・マイケル。彼はニュージーランド出身の父、サモア出身の母を持ち、ニュージーランドで育った。私が早い段階から「ジャパンの次期キャプテンはリーチ」と確信していたのは、それだけの実力と人間性の持ち主だからだ。「主審と話せるのが主将だけ。会話は英語」という国際試合の不文律にも、彼は楽に対応できる。ただ彼は日本語もパーフェクトだし、そもそもラグビー選手として“日本育ち”だ。
リーチはセントビーズ高の同級生イーリ・ニコラス(現神戸製鋼/NZ人の父を持ち札幌で生まれた)が、日本に戻って札幌山の手高へ入学するのを機に「もう一人」ということで来日。178センチ・76キロの15歳が東海大、東芝を経て「190センチ・105キロ」という世界レベルの逞しいFW第3列へ飛躍した。
ホラニ龍コリニアシもリーチと似たバックグラウンドを持っている。彼はかつて日本で活躍し今も日本で暮らすノフォムリ・タウモエフォラウ氏の甥という縁で、トンガから埼工大深谷(現正智深谷)高に入学した。中学時代は吹奏楽部で、ラグビーを始めた場所がそもそも日本だ。
ラグビーの世界でも、育成年代から始まる有望選手の国境を越えた引き抜きがある。日本の高校や大学も留学生を呼んでいるが“トップ・オブ・トップ”はNZや豪に向かう。ただ日本のラグビー界も、インターナショナルレベルの選手をしっかり育ててきた。大東文化大がトンガから初めて留学生を招いたのは30年ほど前だが、今の日本ラグビー界には外国出身選手を「ガイジン」でなく、お客様でもなく、仲間として受け入れるカルチャーが築かれている。言葉にすると簡単だが、決して簡単な話ではない。日本ラグビー、なかなかやるじゃないか!という話だ。
1999年のワールドカップでは元オールブラックス(NZ)の名選手グレアム・バショップらがジャパンでプレーし、“チェリー・ブラックス”と皮肉られた。しかし今は制度が代わり、一度ジャパンの代表になったら母国の代表には戻れない。選手たちは単なる腰掛けでない、確かな覚悟を持ってジャパンを選んでいる。
今のジャパンは違うバックグラウンドを持つ男たちがしっかり結びついて、チームになっている。そんな彼らの姿は、ボーダレスな社会における一つのお手本ではないだろうか。
文=大島和人
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