NHKスペシャル「作家 山崎豊子〜戦争と人間を見つめて〜」 2015.09.27


作家山崎豊子。
国家や巨大組織の闇を鋭く切り取る大作で多くの人々を魅了してきました。
「白い巨塔」「不毛地帯」「大地の子」。
時代を超えて映像化されてきた作品に描かれたのは日本を代表する俳優たちをもうならせる男の生きざまでした。
生前「作品が全て」と語っていた山崎。
数々の大作をどのように生み出していたのか。
その死から2年。
関係者も立ち入りが許されなかった書庫から大量の資料が見つかりその検証が始まっています。
600本以上にもなる取材を記録したテープ。
作品の構想をまとめた膨大なメモ。
国民的作家の全貌が浮かび上がろうとしています。
山崎は作品や主人公に何を託そうとしたのか。
それは戦後70年が過ぎてなお日本が積み残したままの命題でした。
作家山崎豊子。
山崎が今生きていれば私たちに何を問いかけるのでしょうか。
(仲代)山崎豊子と私が初めて出会ったのはそう60年前の事だった。
山崎は新聞社の学芸部の記者私はデビューしたばかりの役者だった。
仲代です。
はい…どうも。
おはようございます。
「華麗なる一族」「不毛地帯」「大地の子」。
私は数々の作品で山崎と向き合ってきた。
(鈴の音)私にとって山崎は戦争の時代を生きた者として戦後の日本を凝視し続けた作家だった。
山崎が原稿に向き合い続けた書斎は生前のままに残されている。
最晩年も戦争の時代と現代を行き来する三部作を構想し執筆を続けていたという。
山崎は89歳で亡くなるその間際までこの部屋にベッドを持ち込みペンを握り続けた。
山崎はここに座って日本の何を射ぬこうとしていたのだろうか。
新聞記者だった山崎が作家としてデビューしたのは1957年33歳の時でした。
山崎は実在の人物や事件をモデルにタブーを恐れぬ大作を次々と発表。
ほかの作家とは異なる存在感を発揮していきました。
スケールの大きな作品はどのように作られていたのか。
そこには編集者たちに鬼とまで恐れられていた徹底した取材がありました。
政官財あらゆる世界をリアリティー豊かに描写した山崎。
1作品当たり200人を超える人物を直接取材し物語を紡いでいたといいます。
その山崎が死ぬまでこだわり続けたのが戦争そして戦後の日本人の生きざまを描く事でした。
初めて本格的に取り組んだ作品5,000枚の長編「不毛地帯」です。
「不毛地帯」は元大本営参謀でシベリアに抑留された経歴を持つ壹岐正が主人公です。
日本を破滅に導いたという悔いから壹岐は商社マンとして平和的な手段で国益を追求します。
その一方で山崎は壹岐を戦後の豊かさの中で戦争責任を自らに問い続ける男として描きました。
世の中がものすごく派手に盛り上がっていって変わっていく。
ものすごい時代が変化していくのに彼だけはとにかくかたくなに変わらないで。
だから多分僕は商社マンとして成功してね名前も残して…。
それが彼の目的じゃないんですよねきっとね。
壹岐正は実在の元大本営参謀がモデルだといわれてきました。
太平洋戦争で陸軍の主要な軍事作戦を担った瀬島龍三です。
戦後はシベリアに抑留されました。
山崎が瀬島への取材を始めたのは1973年。
当時大手総合商社の副社長を務めていました。
終戦から30年余り。
時代は高度経済成長期のピークを迎え多くの日本人が豊かさに目を奪われていました。
太平洋戦争を遂行した元大本営参謀がどのような思いで大手商社の中枢にいるのか。
山崎は強い関心を持ったといいます。
100時間に及んだという瀬島への取材を記録したテープが残されていました。
瀬島は太平洋戦争初期の作戦の成功は語るものの自らの戦争責任については語りませんでした。
シベリアへの抑留についても自らがどのような役割を果たしたのか言及しませんでした。
抑留者の中には日本がソ連との停戦交渉を有利に進めるために自分たちを労働力として提供したと疑う人もいたのです。
瀬島が最も雄弁に語っていたのは自分たちが日本に繁栄をもたらしているという自負でした。
過去を封印し現在の功績を語る瀬島。
山崎が瀬島への取材中小説のタイトルを考察した際のノートが残されていました。
祖国への望郷の念をイメージさせる「大いなる道」。
抑留生活の厳しさを想起させる「白い大地」。
しかし山崎が長い考察の末たどりついたのは「不毛地帯」という言葉でした。
52年間山崎の秘書を務め全ての取材と執筆に立ち会ってきた…主人公をどのような人物像にすべきなのか。
山崎は瀬島だけでなく自らが理想とする戦争との向き合い方を壹岐正に込めたのだといいます。
山崎が壹岐正を作り上げるために取材した多くの元将兵たち。
ソ連の執ような尋問にきぜんとした態度を崩さなかったという元大佐。
戦後抑留者の支援に人生の全てをささげた関東軍の元報道部長。
中でも山崎が特に心酔していた元将兵がいました。
シベリアで最も過酷といわれた流刑地に赴く事になった元関東軍参謀の竹原潔です。
部下たちを守るためにより厳しい労働を引き受け「生き抜け」と周囲を励まし続けたという人物でした。
竹原は取材を受けた際自作の絵を山崎に見せました。
極北の地で死んでいった部下たちのために竹原自身が作ったという墓。
竹原は祖国に連れ帰る事ができなかった無念を何度も語っていたといいます。
11年に及んだ竹原の抑留。
帰国後竹原は弟が経営する建設会社で一作業員として働きました。
そして郷里の岡山に残した妻子のもとを離れ会社の屋上の粗末なプレハブ小屋で一人暮らしました。
プレハブで鉄板の家に住んどっても一回も暑いとか寒いとか聞いた事なかったです。
竹原は「シベリアに仲間を残してきた自分はまともな家で眠ってはならない人間だ」と語っていたといいます。
山崎は繁栄の中で一人自らの責任と向き合う姿に打たれました。
これまで「不毛地帯」のモデルといわれてきた瀬島龍三。
8年前95歳で亡くなりました。
大手総合商社の会長にまで上り詰めた瀬島。
後に中曽根政権のブレーンになるなど財界だけでなく政界にも影響力を持つようになりました。
瀬島は山崎から贈られた「不毛地帯」を読んでいないと家族に語っていました。
やめるな!やめんじゃないぞ!「不毛地帯」の最後。
壹岐正は社長を目前にして辞表を出し残りの人生を亡くなった仲間にささげるためにシベリアに向かいます。
「時代は変わっても戦争と誠実に向き合い続ける」。
山崎は自らの理想を主人公に込めたのです。
大阪。
ここで生まれ育った山崎は中央と距離を置きたいと終生この町で小説を書く事にこだわり続けた。
今回山崎の原点をかいま見る事ができる終戦の年21歳の時に書かれた日記が見つかった。
戦時中学業の機会を奪われ軍需工場に動員された山崎。
このころは新聞社で働いていた。
日本の勝利を疑わない私と同じようなどこにでもいる若者だった。
しかし日記を読み進めると作家として戦争にこだわり続ける事になったある出来事が書かれていた。
当時山崎には思いを寄せる人がいた。
しかし男性は召集され戦地へ行きその後二度と会う事はなかった。
山崎はその事を生涯忘れる事はなかったという。
戦時下に生きた私は山崎の気持ちが等身大のものとして分かる。
ただ今どれほどの人がこの痛みに思いを致す事ができるのだろう。
山崎豊子がこだわったあの戦争から70年目の夏。
作家としての全貌を明らかにするために膨大な資料を検証する作業が進められていました。
うれしい。
1984年。
当時の中国共産党トップ胡耀邦総書記との面会を記録したテープも残されていました。
海外でも作品が翻訳されその名を知られるようになっていた山崎。
当時北京の出版社から中国を舞台に小説を書いてほしいと依頼されていました。
胡耀邦との面会はその過程で実現したといいます。
胡耀邦の全面的協力を得て進めた中国での取材。
山崎が書き上げたのは中国残留孤児を主人公にした大作でした。
代表作「大地の子」。
戦争によって両親と生き別れ孤児となった日本人の少年が数奇な運命をたどる物語です。
中国の養父母に救われた少年は陸一心と名付けられ大切に育てられます。
しかし日本人という出自のために文化大革命で処罰されるなど戦後も苦難の道を歩み続けます。
山崎は外国人の立ち入りが禁止されていた地区に赴き300人以上に取材を重ねました。
国と国とのはざまに埋もれていた残留孤児たち。
山崎が向き合ったのは戦後多くの日本人が目を背けてきた戦争の現実でした。
(山崎)「だってまだ小さいじゃない」。
(山崎)「『天皇陛下万歳』って言って?」。
逃げろ!もうそこにソ連兵が来てる!おじさん!俺も殺して。
駄目だもう弾が1発しかない。
お前は子どもだから助かる。
おじさん!元気でな。
天皇陛下万歳!
(銃声)日本はバブルを迎えようとしていました。
山崎はそのような時代にこそ残留孤児の姿を伝えなければならないと考えていました。
山崎が取材を続けていた1980年代日本政府は残留孤児の肉親を捜すための調査や帰国のための支援を進めていました。
社会の関心が日本の両親との再会に集中する中山崎のまなざしは再び中国に向けられていました。
孤児を育てた養父母たちの人生に目を向けていたのです。
かつての敵国の子どもたちに愛情をささげ孤児の日本への帰国も黙って受け入れる養父母たち。
山崎は彼らの姿に真の日中友好を見たと言います。
山崎が物語を何度も構想し直していた事を示す膨大なメモです。
取材と執筆に費やした歳月は8年。
当初残留孤児の現実に光を当てたいと考えていた山崎は未来につながる物語を模索するようになっていました。
「大地の子」の最後主人公陸一心は日本の父と中国の父そのどちらを選択するのか迫られます。
山崎が日本と中国の未来を思いながら主人公に託したのはそのどちらでもない答えでした。
80歳を前にした山崎は原因不明の痛みに苦しめられ徐々に歩く事が難しくなっていた。
それでも自らの足で取材し書く事にこだわり続けていた。
山崎は長い作家人生の中で書けずにいたテーマがあった。
そのテーマは戦争の時代から今に至るまで本土の負担を背負わされ続ける沖縄だった。
2001年山崎は取材のために沖縄に通い始めます。
そして現地の人々の声に耳を傾けました。
ひめゆり学徒隊だった女性の話を聞き同じ世代として後ろめたさを感じました。
アメリカ軍に土地を奪われた反戦地主の男性の話を聞き今も沖縄に強いている痛みに打ちのめされました。
(飛行機の音)本土で暮らす自分に書く事ができるのか。
沖縄を知れば知るほど山崎は悩みを深めていました。
同じ頃山崎は国家権力と対峙し社会的な生命を失ったある人物に出会いました。
ごめんなさい。
よろしくお願いします。
元新聞記者の西山太吉さんです。
当時71歳だった西山さんはある事件をきっかけにペンを折り地元小倉で暮らしていました。
1971年西山さんは沖縄返還を巡る機密文書を入手します。
機密文書には沖縄の基地返還の費用負担を巡る日本とアメリカの密約が記されていました。
しかし情報源が外務省の女性事務官だった事が明らかになり西山さんは国家公務員を唆した罪で逮捕されます。
日本国万歳!
(一同)万歳!一方で国が密約の存在を認めないまま沖縄は返還されました。
山崎が西山さんに会ったのは逮捕から30年後。
100時間に及ぶ取材を行いました。
事件後真相を語ってこなかった西山さんは山崎に沖縄への強い思いを吐露しました。
自分に書く事ができるのか迷い続けていた山崎。
西山さんの事件を通して沖縄を描く事を決意します。
10年をかけて書き上げた「運命の人」。
主人公は傷つきながらも使命を全うしようとする男でした。
国にもはじかれ家族にもわびきれず本当に絶望と孤独の淵を…さまよい自分が与えられた使命というか役割という事にきちんと出会っていく。
そして自分そのものが「運命の人」になるという事だったのかな。
政府は沖縄に冷たすぎます。
沖縄の声に耳を傾けずにアメリカのご機嫌をうかがうばかりでいいんですかね!沖縄への強い思いを持つ政治部記者弓成亮太。
沖縄返還を巡る機密文書を入手し社会に訴えようとします。
山崎は弓成を沖縄のために巨大な権力に立ち向かう男として描きます。
「三木昭子とひそかに情を通じ…」。
一方で密約事件を男女のスキャンダルにすり替えた国家に主人公が翻弄される姿も山崎は赤裸々に表現しました。
温かい手…。
この手で原稿を書いてらっしゃるのね。
しかし小説の連載が始まってすぐに西山さんから山崎のもとに抗議の電話が入ります。
つまりその事務官と一緒にベッドインした旅館の事とかそれを検証するねそういう場面を書いてる訳ですよね。
「あんなもの書きやがって三流小説以下やないか!」とか。
「すみません」とか。
「山崎を出せ山崎を!」って。
そらそうやけど。
伝記書いたんじゃないって言うけ。
そらそうやけど…それがこうやってるってさ…2年前に亡くなった西山さんの妻啓子さん。
山崎が主人公に込めようとした思いを夫に伝え続けました。
西山さんは事件のあと人生を変えられるきっかけになった沖縄に赴く事はありませんでした。
しかし山崎は失意の主人公弓成をなおも沖縄のために生きさせようとします。
そして山崎は沖縄と向き合うために再びペンを握る決意を主人公に語らせ長い物語を終えました。
(拍手)事件のあと沖縄への思いを封印してきた西山さん。
「運命の人」と歩調を合わせるように再びペンを握りました。
そして84歳になった西山さんは今改めて沖縄と向き合っています。
作品に込めたメッセージで実在のモデルをも突き動かした山崎。
この夏一人の男がシベリアに向かっていた。
「不毛地帯」のモデルとされてきた瀬島龍三の晩年行動を共にしていた男だ。
「不毛地帯」が発表されてから20年後シベリアに建てられた慰霊のための施設。
抑留生活で命を落とした仲間たちのためにこの施設を建てたのは瀬島龍三だった。
その時80歳を越えていた瀬島は日本政府に何度も働きかけ施設の建設を実現させた。
「不毛地帯」の主人公壹岐正と同じように瀬島は戦争と向き合おうとしていたという。
かつて山崎の取材を受けた「大地の子」の一人中国残留孤児の紅谷寅夫さん。
(中国語で)中国人の妻と6人の子どもと共に日本に帰国し暮らしてきた。
山崎が作品に託した日中友好への願い。
「大地の子」の次の世代へと引き継がれていた。
山崎は2年前89歳で亡くなった。
戦争法案絶対反対!終戦から70年目の日本を見届ける事はできなかった。
最期までペンを離さなかった山崎が人知れず続けてきた事がある。
制服姿の高校生たちと写真に収まる晩年の山崎。
山崎は「大地の子」を完成させたあと22年前から私財をなげうち中国残留孤児の子どもたちに学費の支援を続けてきた。
はいじゃあいきます。
はい321。
今年もまた中国残留孤児の3世4世16人が奨学金を受ける事になった。
山崎は帰国してなお厳しい暮らしを強いられる事の多い残留孤児やその家族の事をいつも気にかけていたという。
私は山崎先生の事をすごく憧れです。
将来は中国と日本の懸け橋になるような事をしたいです。
戦争や戦後の日本を見つめ作品に命を刻み込むように自らの理想を託し続けた作家山崎豊子。
山崎が今生きていれば私たちに何を問いかけるのだろうか。
2015/09/27(日) 21:00〜22:00
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「作家 山崎豊子〜戦争と人間を見つめて〜」[字]

「不毛地帯」や「大地の子」など戦争と人間を見つめる数々の大作を書いた作家・山崎豊子の神髄に迫る。仲代達矢、唐沢寿明、本木雅弘など山崎作品を彩った俳優たちも出演。

詳細情報
番組内容
「不毛地帯」や「大地の子」など戦争と人間を見つめる数々の大作を世に送り出した作家・山崎豊子。今、重厚の作品の土台となった膨大な資料や取材テープの整理が進められている。山崎が作品を書く上で対じしたのは、有名無名問わず現代史に刻まれた人物たちだった。取材記録や新たに発見された日記などを通して、山崎が今に問いかけるものを見つめる。仲代達矢、唐沢寿明、本木雅弘など山崎作品を彩った俳優たちも出演する。
出演者
【出演】仲代達矢,唐沢寿明,本木雅弘,【語り】広瀬修子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ニュース/報道 – 報道特番

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