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創価学会の現実

創価学会の現実を現役学会員が語ります

創価組織の人間関係

創価組織の現実

こんばんは、トウガラシです。

学会部外者が非活や未活学会員に向かっていう言葉に「そんなに創価学会が嫌なら、さっさと出て行けばいいじゃないか」というものがあります。

もちろんさっさと出て行けるならとっくに出て行ってますよ。

外部の人にはそれが分ってないようですが、さっさと出て行けないところが創価学会という組織なんです。 

そしてもう1つ、外部の人が言う言葉に「学会員には良い人が多いじゃないですか」というものがあります。

確かに、学会員にはもともとは善良な人が多いんですよ。創価学会で悪いことしてやろうなんて思ってる人はほとんどいないでしょう。

ほとんどの学会員は良いことしてるつもりで学会活動してるわけです。

しかし、そこが問題で、本人は良いことしてるつもりでも、実際には人の迷惑になることや、創価という悪の片棒担ぎをしているわけです。

どなたかのブログに「善人が支える悪質カルト」という記事が書かれてありましたが、

まったくそのとおりで、末端の学会員の多くは善意で良いことしてるつもりで、創価学会という悪質カルトのためにしかならない学会活動を一生懸命やっては人に迷惑かけてるわけです。

その学会員がもともとから悪人なら遠慮なく学会から出ていけるんですが、なまじ善人であるためにすんなり出ていけないという場合があるわけです。

私の母は要介護状態なので会合にも出ていけないので、婦人部員がよく家庭訪問してくるんですが、その中の、聖教新聞の集金をしているKさんという人について母は「創価学会の中であんな良い人は他にいない」といつも褒めています。

確かに、厚かましい活動家が多い中で、そのKさんはいつも笑顔で態度も控えめで、よく自宅で作った果物のはちみつ漬けなどを届けてくれるなど親切で愛想のいい婦人なんですが、そういう善良な人だから却ってさっさと創価から出て行くとか創価批判をするということができにくい面があるわけです。

母も他の婦人部員は嫌ってますが、このKさんだけは信頼していて、そういう人間関係があるのでドライに割り切って組織から決別するということができないんです。

そういう善良な人間を利用した人間関係によって組織に縛り付けるというのが創価学会の狙いでもあるわけで、そういうところが創価学会の狡猾なところだと言えるでしょう。

だから私もそういう母と学会員との人間関係があるため、創価組織から抜け出せないでいるのです。

私1人なら、よそに引っ越して創価組織からもとっくに抜けていますよ。

それができないのが創価組織の人間関係なんです。

 

 

学会員が金に困る原因

功徳の現実

こんばんは、トウガラシです。

よそのブログなどでもよく目にするんですが、学会員には金銭トラブルが多いというのは事実です。

それは金に困ってる学会員が多いということになるんですが、しかし、その昔、「創価学会は貧乏人と病人ばかりだ」と揶揄されていた戦後草創期の頃とは性質が違っていると思っています。

戦後の草創期の頃は学会員だけでなく日本全体が貧乏だったわけで、そこから貧乏と病気から脱したいという思いから創価学会に入信する人が増えていったわけです。

ですから昔は貧乏というのは特に学会員が目立って多いというわけではなかったと思います。

しかし、それに対して現在は日本全体が当時よりも裕福になっています。もちろん、現代でも格差社会による貧困層というものが問題になってはいますが、戦後の何もなかった時代に比べれば日本全体の経済レベルは今の方が格段に上がっているでしょう。

そして、学会員も今では平均的日本人のレベルの人がほとんどで、著しい生活困窮者というのは少ないと思いますよ。

実際に、私のまわりにいた金銭トラブルを起こしていた学会員も平均的な生活レベルにある会社員であったり自営業者であったりしてたわけですから、草創期の頃のような低所得者というわけではないんです。

それなのに、なぜ現代でも学会員は組織内でも組織外でも金の貸し借りで問題を起こしているのかというと、それは創価学会から搾取されているからに他ならないからです。

創価学会に関わっていなければほとんどの学会員は普通以上の経済レベルにありますし、生活に困るようなことはないんです。

それが創価学会に関わってしまっているため、財務などで搾り取られているというわけなんです。

つまり今の学会員、その中でも特に活動家が金に困っているという原因は創価学会そのものにあると言えるわけです。

昔の草創期の頃は戦後社会による貧乏人がほとんどでしたが、今の学会員は創価学会から搾取されていることが原因による貧困者が多いということなのです。

原因は創価学会にあるわけです。

私からすれば、こういうことがバリ活会員には今だに分からないというのが不思議でならないですね。なぜそこに気がつかないのか。

やはり盲信している間はどうしてもそこに気がつかないようです。

そういう盲信者が今年も創価の財務に無理してでも寄付するのでしょう。

功徳欲しさに無理して財務に寄付しても、結局、生活に困って他人に頼って迷惑をかけることになってしまうだけなんですがね。

そんな学会員と非学会員、どちらが哀れかは明々白々じゃないですか。

 

バリ活会員のその後の現実

功徳の現実

こんばんは、トウガラシです。

創価のバリ活会員というのは口を開けば、創価の組織についていけば人生がバラ色になるとか学会活動に頑張れば盤石な人生が築けるとか、そういう能天気な気持ちで生きている人が多いんですが、それはいわば幻想の中を生きていて現実を見ていない状態だと言えるでしょう。

かく言う私も青年部の頃はそういう考えを持っていたこともありましたが、しかし、普通は年を重ね、人生経験を重ねていくうちに、だんだんと現実というものが見えてくるものです。

特に青年部の頃はまだ若いし独り身が多いということもあって、将来の生活設計などというものを考えることもなく、社会的にどうこう考えることもなく、いわば滅茶苦茶な生活をしていても気にしないで生きていられる時期でもあるので、仕事もろくにしないで学会活動に明け暮れるというような生活もできるわけですし、とにかく強気で怖いものなしの活動家が多かったですね。

私が青年部の頃も周りの活動家にはそういうバリ活会員が多かったです。

そして、そういうバリ活会員は学会活動に生き抜いていけば人生が自然に盤石になり何も心配のいらない境遇になれると信じ切っていたようです。

しかし、そういうバリ活会員があれからどうなったかといえば、やはり現実というものに向き合わなければならない状態になってしまっているようです。

学会活動さえやってれば怖いものなしだったバリ活会員も、やがて結婚し家庭を持ち、子供が生まれ年を取ってゆくうちに青年部の頃のような幻想の中だけに生きているわけにはいかなくなっています。

今でも時々現役活動家の当時のバリ活仲間と会う時があるのですが、青年部の頃の怖いもの知らずの自信満々たる態度は影を潜め、生活に疲れた中年オヤジになってしまっています。

信心の継承者にと考えていた子供も小学生の頃までは素直に勤行唱題をし会合にも参加していたのが、中学生の頃から唱題もしなくなり会合にも出なくなり今では創価組織から離れてしまっているようです。

結局、思い通りにならない現実があるわけです。

それでも口先だけは強気の発言をしているのですが、虚勢を張っているとしか見えず、痛々しい感じがするだけです。

青年部の頃は無茶な生活をしても平気であったものが、家庭を持った中年にもなると過酷な学会活動についていけなくなるのは当然でしょう。

創価学会がいう大功徳とやらが出てくることもなく、創価に貢ぎ活動に追われて生活は

きつくなるばかりのようです。それがバリ活会員のその後の現実というものでしょう。

バリ活会員は私が親の介護生活をしていることについて「創価組織から離れるからだ」などと言ってますが、それはバリ活会員でも同じことで、やはり親の介護の問題に直面している人もいます。

つまり、学会活動を懸命にやってもやらなくても、この人生は同じだということです。

私が非活にならずに今でもバリ活のままであってもこの現実は変わらないと思いますよ。

よほど学会活動が好きでたまらないとか楽しくて仕方ないと思ってる人間ならいいでしょうが、学会活動というのはそんな楽しいものではないですし、少なくとも私は嫌いでしたから、同じ境遇になるのなら、創価とは関わらない方がよほど良いに決まってますよ。

揺らぐことのない盤石な人生を夢見て学会活動に明け暮れていたかつてのバリ活青年部員も、中年になって現実を思い知らされているわけですが、それでも今だに学会活動を続けているのはもはや意地だけとしか思えません。

その姿はとても幸福な人生とは思えないですし功徳の姿には見えないです。

確かに信仰というものは苦しみの人生を支える効果があると思いますが、創価学会の場合はただ自宅で勤行唱題しているだけではなく活動に出てこなければ退転者扱いされるところですから、苦しみの人生を支えるどころか、その活動がむしろ重荷にしかなっていないのが現状です。

ネット上でも自信満々に強気の発言をしているバリ活会員がいるようですが、そういう人も今は強気でいられても、これからもずっとそういう怖いもの知らずでいられるかどうか。5年先、10年先、20年先にどうなっているか。

その時になれば分かるでしょう。少なくとも創価という組織は信者が困っていても助けてはくれないですよ。

自分で何とかしろと「指導」するだけです。

バリ活会員のその後の人生を見れば答えは分かると思いますよ。

 

 

創価学会の表と裏の顔の現実

創価組織の現実

こんにちは、トウガラシです。

創価に不信を抱くようになってからは、それまで読んだこともなかった宗教学者や仏教学者、それに他の宗教の聖職者が書いた本も読むようになりました。

それはそれまで創価学会だけが正しいという無知な状態から真実を知りたいとかもっと多様な考え方を知りたいという思いが湧いてきたからなんですが、そういう中で宗教学者島薗進氏の著書も近頃は読んでいますし、島薗氏のツイッターも見ています。

そのツイッターで島薗氏が次のようなつぶやきをしてますね。

 

島薗進 on Twitter: "創価大学での日本宗教学会学術大会は初めて。今や創価大学は宗教研究に関わる日本の大学として重要な一角そ占める。http://t.co/G2EGH5JsTZ 池田名誉会長との対談もあるブライアン・ウィルソンに次ぐ世代の宗教社会学者、カサノヴァやベックフォードの講演がある。"

 

創価大学日本宗教学会学術大会が開催されるということで、その日本宗教学会学術大会の公式サイトがこれです。

 公開シンポジウム開催趣旨 | 日本宗教学会 学術大会公式サイト

  

島薗氏も書いてますが、創価大学は今や宗教の学術的研究の重要な一角を占める立場にあるんだそうで、そういうところから、外部の有識者からは創価大学を擁する創価学会学術的な団体だと思われているのかもしれません。

しかし、創価学会創価大で学術的研究をしている一方で、信者たちには「財務にたくさん寄付すれば功徳が何倍にもなって返ってくる」とか、「創価の組織から離れたら不幸になる」などと迷信的信仰を押し付けているカルト宗教でもあります。

これから財務の申込用紙が会員に配布されるのだと思いますが、私の母も「婦人部長からもっと財務に金を出せないかと言われた時、うちは1口しか出せませんというと急に態度が変わって「財務に出し惜しみしていると福運が積めずに不幸になる」と口悪く言われた」と、時おり思い出しては昔のことを口にしていますが、ネットでも明らかなように、それは一部の学会幹部の暴走などではなく、全国の創価組織で行われていることであり、組織ぐるみで行われていることなんです。

外部には学術的研究の場であるかのように見せ、内部に対してはオカルトじみた迷信信仰の功徳と罰で金を出すように迫るというこの落差の大きさ。

この実態を知らなければ創価組織の正体は分からないでしょう。

 いうなれば、創価の表と裏の顔という現実を知らなければ創価の実態は分からないということです。

 

 

 

 

 

正義の主張の現実

教学

こんにちは、トウガラシです。 

他のアンチ創価ブログを見ていると、コメント欄に創価学会の盲信会員や狂信会員による書き込みが見られますが、その内容は創価は絶対正しく、お前たちが間違っているんだという内容ばかりです。

そして、なぜ創価は正しく、アンチ側の批判が間違っているのかという主張には、何1つ理論らしい理論もなく、ただ感情的な罵詈雑言を書き込んでいるだけです。

本当に創価が正しいと信じているのなら、その正しいと信じている思想なり理論なりを筋道立てて論理的に理路整然と述べればいいではないですか。

ところが創価の盲信狂信者にはそれができないようなのです。

それは、創価学会には他を納得させられるような理路整然とした理論や思想がないからです。

昨年の教義会則変更でもそうですが、これまで創価が「絶対正しい」としてきた教義はすでに「世界で唯一正しい宗教」として表明できなくなっています。その唯一絶対性としての根拠は崩壊していると言ってよいでしょう。

そのような創価だから、盲信狂信者もその正しいとする根拠を示せないし、理路整然と主張できないのです。

だから、創価の盲信狂信者には、アンチ創価に対しては、汚い罵詈雑言で罵倒することしかできないのでしょう。

その時点で、どちらが正しくどちらが間違っているかは一目瞭然ではないですか。

バリ活会員の好きな言葉で言えば、「すでに勝負はついている」というわけです。

どちらが勝ってどちらが負けているかはよほどの愚人でない限りすぐ分かると思いますよ。

 

 

 

 

 

創価の大本営発表の現実

創価組織の現実

こんばんは、トウガラシです。

一昨日、終戦記念の特別番組を見ていたら、日本軍の大本営発表について放送されていましたが、創価学会もよく似てるなと思ってしまいました。

戦況が思わしくないのに連戦連勝と嘘の報道をしていた日本軍の大本営発表と、現実には衰退しているのに世界中で組織拡大しているなどと聖教紙面に書き立てている創価学会

また、裁判でも負けているのに「連戦連勝」などと機関紙に嘘の記事を書いている創価学会

そっくりですね。

もはやまともに信じられるところがないのが創価学会だと言えます。

それから、聖教新聞には 連日のように、いかにも創価が平和を願っている団体であるかのような記事を書いてますが、本当にそうなら、公明党が安保法制に賛成することもなかったでしょう。

盲信学会員の多くは公明党が勝手に暴走したなんて思ってるようですが、創価本部の意向を無視して公明党が動くわけないんですから、創価自体が安保法制を通したんだと思いますよ。

なぜなら、創価自体にとって平和などどうでもいいことであって、創価にとって最重要なのは自分たちの立場や権益を守ることでしかないのです。

そのために自民党にくっついているのであり、自民党の言うことには何でも賛成しているわけです。

それをごまかすために機関紙ではいかにも平和に尽力しているかのような記事を書き、そして公明党創価の平和主義を無視して勝手に暴走したかのように見せかけ悪者に仕立てているだけだと言えるでしょう。

 盲信学会員は公明党には怒りを向けても創価首脳部に対しては今だに平和のために全力で戦っていると思い込んでいるわけです。

こういったところにも創価の狡猾な戦略が見えてきます。

 

 

正しくないから嫌われる

創価組織の現実

こんばんは、トウガラシです。

創価系ブログを見ていると、「創価学会は世間から嫌われている」と自覚はしていても、「嫌われているから正しくないというわけではない」と考えている盲信学会員もいるようです。

それどころか、却って世間から嫌われているからこそ創価学会は正しいんだと思い込んでいるようです。

こういう考え方は世間から迫害されたり非難されたりしている宗教に多く見られる考え方で、特にカルトに多く見られる特徴ですが、このような考え方になるのは、1つには、世間の人間よりも我々の方が優れているから理解されないんだとういう優越感、選民思想を信者に持たせる狙いもあるのでしょうし、嫌われることによって却って自分たちこそ正しいんだと思わせて更に盲信させるという狙いもあるのでしょう。

創価学会は「創価の常識は世間の非常識」などと揶揄されていますが、「世間から嫌われているから創価学会は正しい」などとひねくれた考えを持っているからこそ、学会員は世間から非常識だと思われてしまうんです。

広宣流布」などと大きなことを言っていても、非常識を社会に広げてもそれは民衆から受け入れられることはないでしょう。

世間から受け入れられない創価学会を社会に広めてもそれは押し付けでしかないですし、ましてやそれを無理やり強引に広めるのであれば、やがては恐怖社会となってしまうのではないでしょうか。

創価学会折伏にしても、創価が目指す「広宣流布」にしても、所詮は社会からは受け入れられない偏狭な考え方でしかありません。

そういう意味でも、創価学会が世間から嫌われているのは、「正しい」からではなく、間違っているから嫌われているのです。素直に考えればそれが当たり前だと思いますよ。

 

 

 

末法の正法の現実

創価組織の現実

ご無沙汰してます、トウガラシです。

創価学会ではそろそろ財務の申込みの時期ですね。

私は数年前に財務は断わり、もう私のところには申込用紙は持ってこなくなりました.。

父が亡くなった時、学会葬だったのですが、私が頼んだわけでもないのに学会員が勝手に取り仕切って葬式を進めたので、私としては別に恩を感じているわけではないのですが、それでも学会員が葬式のために動いてくれたことに引け目を感じ、介護のため実家で母と同居するようになって数年間は財務を納めてましたが、私はもう信じてもいない上に、介護のため収入も激減しているのに財務に出す金もないというのが実情なので、思い切って断わったのです。

母はそうでもないのですが、生前の父が創価の言うことに従順で、素直に財務を出していたので、息子の私が財務を断わった時、幹部は少し驚いたような顔をしてましたが、介護の実情を説明したら、相手もそれ以上はしつこく押してきませんでした。

おそらく母の介護という事態になっていないなら、しつこく財務を押しつけてきただろうと思います。

その創価学会、私は今までカルトではあっても曲がりなりにも宗教団体だと思っていたのですが、今では宗教団体とは世を忍ぶ仮の姿で、その実体は宗教ビジネス業者あるいは宗教詐欺の団体だと思っているところです。

その創価学会が宗教詐欺の団体であると実感させられる動画が出回っていますので、ここに紹介しておきます。

 

 

 

 

戦後の創価学会草創期の頃の音声ですが、これが創価学会の原点であり本質でもあると思います。

悩み苦しむ衆生を救うためなどではなく、悩み苦しむ衆生を騙して金を巻き上げるのが目的だったと言えるでしょう。

それにしても、この動画で最高幹部のおばさんが「お金なんかいらないんです。誰が金なんぞもらうか! ばかばかしい!」などと啖呵を切ってますが、結局創価学会は金を欲しがっているわけです。だから「誰が金なんぞもらうか!」と啖呵を切っていながらその舌の根が乾かぬ間に「100万円出せ!」と言ってるわけです。

それが本音だからです。

「世界広布にはお金がかかる」というのはもちろん詐欺トークでしかなく、創価首脳部が金を欲しがっているというのが実情です。

 こんな宗教をダシにした詐欺集団を今まで世界最高に正しい宗教などと思い込んできた、というより思い込まされていたんですから、本当にばかばかしい話でしかないです。

しかし、今でもこんな創価を正しい宗教だと信じて疑わない盲信者もまだまだいるわけですから、人間の愚かさには底がないなとも思ってしまいます。

創価の場合は「正法」ならぬ「商法」に長けている団体だと言えるでしょう。

 

 

創価擁護者の現実

創価擁護者の現実

こんにちは、トウガラシです。

世間からもカルトとして認識されている創価学会ですが、世の著名人・有識者・文化人の中には創価学会を絶賛している人物も少なからずいるものです。
学者や実業家、作家や評論家、芸能人やスポーツ選手などがそうですが、盲信学会員はそれら有識者や著名人が創価を絶賛しているからといって「これだけ世の中の識者や著名人から絶賛されてるんだから創価学会は本当に正しいだ」と得意気に喋ったりしてますが、
これら文化人が本当に創価を正しい宗教だと思ってるのなら、今頃は皆創価に入ってると思いますよ。
文化人が創価を絶賛しても学会員にはならないのは、やはり創価には入りたくないと思ってるからでしょう。
それでも創価を擁護するのは、ひとつは創価から何かと優遇されたりチヤホヤされれば「創価はすばらしい団体だ」と言わざるを得ないでしょうし、あくまでも外側から見ているだけだから実態をよく知らないで褒めてるだけということもあるでしょう。
もう1つは、創価の実態をよく知っていながら、金銭面で優遇されて創価を絶賛しているという文化人もいるでしょう。
近頃盛んに創価の雑誌に擁護記事を書いている評論家などは創価の裏を知っていながら創価の肩を持っているのではないかと思っています。
この評論家などは頭も切れる人物なんですから、創価の実態を知らないとは考えられないですがね。そこまでボンクラではないでしょう。

この人物はキリスト教徒だそうですが、創価を絶賛していてもキリスト教から創価に改宗する気はないようですから、キリスト教の方が正しいと思っているのでしょう。

だからこの評論家などは創価の実態を知っていても確信犯的に創価を擁護していると言えるのではないでしょうか。

このような有名人や有識者・文化人を優遇して創価擁護に利用するというのがカルトの常套手段だと言えますし、それを真に受ける側もあまりに単純で脳天気過ぎるのではないでしょうか。

 

 

ブレーキ役になれない公明党

反戦平和の現実

こんばんは、トウガラシです。

 

安保関連法案が自民公明の与党のみで採決されましたが、これで公明党が全く「暴走自民のブレーキ役」になっていないということが改めて浮き彫りになりました。

安保法案については、さまざまな意見があるとは思いますが、問題なのは、国民の多くが反対しているのに充分な審議も尽くさずに、国民の声を無視して与党のみで採決してしまったということです。まさに民主主義を揺るがす横暴な行為だと言わざるを得ません。

そして、その公明党に母体の創価学会が何の意見も出さないということです。

公明党に何も意見を出さないのに、聖教新聞には相変わらず「平和、平和」と、いかに創価学会が平和のために尽力しているかというような記事を書いてますが、ただのポーズでしかなく全くトンチンカンで白々しい限りです。

バリ活会員は小説『人間革命』の「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」という言葉に虚しさを覚えないんでしょうか。
それほど、創価学会公明党は言ってることとやってることが違い過ぎるんです。
きょうの聖教新聞1面には「躍動の座談会」などとノーテンキな記事が掲載されてましたが、信者に最重要な仏道修行であるかのように選挙戦で公明党支援をやらせておきながら、その公明党戦争法案を通したことには知らん顔して機関紙にはシラバックレてるような記事だけ書いてスマシているんですから、トボケルのもいいかげんにしろと言いたいです。

このような公明党をバリ活会員は次の選挙でも一生懸命応援するんですかね?