「お前、ブログやってるだろ」
というLINEを受け取ったとき、僕の意識は時空の彼方へ飛んだ。
中学1年生のとき。
僕は同じクラスにいた「ハルカちゃん」という女の子が好きだった。
恋愛漫画の主人公のように、目が合うだけで
トクン・・・
と胸が鳴った。
2学期の終わりに先生が席替えすると言った。
周りの生徒が「後ろの席になりますように」と騒いでいたのを横目に、僕はただひたすらに、
ハルカの隣になれますように
と祈った。
机に突っ伏して、何度も何度も心の中で念じた。
ハルカと隣の席になれますように。
ハルカと隣の席になれますように。
ハルカと隣の席になれますように。
3回神に祈って顔を上げたとき、ポンと肩を叩かれた。
「なるほどね」
後ろの席にいた宍戸という男は、Amazonのダンボールのように口角を上げ、笑った。
願いは意図せず口から漏れ、宍戸に筒抜けになっていたのだ。
中学1年生にとって、「好きな人を知られる」というのは死にも等しい苦痛である。
なんとかして宍戸を始末したいと考えたが、腹立たしいことに、宍戸は喧嘩が強かった。
僕は宍戸を始末することは諦めた。
このとき僕は、子供ながらに思ったものだ。
秘密を口に出すのはやめようと。
中学校2年のときだった。
今でこそ「おっぱいは手を伸ばせばそこにあるもの」となったわけだけど、あの時の僕にとって、おっぱいはとても神聖なものだった。
もちろん、パンツもだ。
ネットが当たり前の時代に生きるデジタルネイティブ共にはわからんと思うが、黒いスモークがかかった自動販売機でアップル通信を買うのも命懸けだった時代だ。
3人がかりで大人が近くにいないことを確認し、肩をたたき、皿を洗って手に入れた小遣いでエロ本を買った。
やっとの思いで手に入れたエロ本は、紛れも無く僕達の宝物だった。
お前たち。
あの頃の我々にとって、女の裸というものは、決して、決して・・・クリックひとつで手に入るようなものではなかったのである。
たまたまだった。
乏しい性知識しか持たぬ中学生が、たまたま見てしまった同級生の女の子のパンチラ。
何にも代えがたい貴重な体験だった。
当時はデジカメもなく、携帯電話なども持っていない。
「パンチラ」
という貴重な記憶を絶対になくさないように、記憶が色褪せないように、僕はノートを取り出し、詳細に絵を描いた。
題名は、
「しっちゃんのパンツ」
だった。
ある日、部活を終えて家に帰り、自分の部屋に戻った。
ノートが置いてあるのである。
机の上に、あのしっちゃんの(パンツを描いた)ノートが。
隠していたはずのノートの、見られてはいけないページが開かれ、机の上に置いてある恐怖がわかるだろうか?
デスノートが見つかった夜神月のようなものだ。
死ぬのは俺だ。
無言で夜ご飯を食べ、部屋に引きこもり、ノートを処分した。
このとき僕は、子供ながらに思ったものだ。
秘密をノートに書くのはやめようと。
そして、僕は大人になった。
社会人になりたての頃。
僕の意識は限りなく高かった。
司馬遼太郎シリーズを熟読し、
世に生を得るは、志を成すためにあり
と本気で考えた。
金などいらぬ、志こそが肝要だ、と。
会社から家に戻った後、毎日勉強していた。
勉強は、ただ知識をインプットするだけではなく、アウトプットすることで定着する。
僕は勉強した知識をまとめ、毎日ブログを書いた。
そして、勉強した知識だけならまだしも、たまについ熱が入り、ポエムを書いてしまっていた。
意識の高いポエムを書いて、なぜかはてな民に捕捉され、はてブで嘲笑されたこともあった。
それがついに、友達に見つかってしまった。
隠した日記を見られたときのような、あの恥ずかしい気持ちを大人になってから味わうことになるとは。
人生は何が起こるかわからない。
もしかすると、このブログが俺の遺言になる可能性だってあるのである。
身バレはブログの対極としてではなく、その一部として存在している。
「発信した内容にどれだけ"自分"を入れるか」というのは、調整できるギアのようなもので、最近は意図的にギアを上げて、記事に「自分」が含まれる割合を増やしている。それはすなわち、自分につながる可能性が上がっているということでもある。
また、ネットへの情報発信が増えれば増えるほど、必然的に「自分」の露出が増えていく。
インターネットに発信した情報はパーマリンクとして半永久的にウェブに残り、記憶にない過去の遺物が自分につながることもある。
身バレは対岸の火事などではなく、常に自分のすぐそばに存在しているものである。
匿名ブロガーにとって、身バレは大きなリスクかもしれない。
かといって、何かを発信し続ける限り、身バレを完全に防ぐことはできない。
それでも僕は、これからも記事を書き続けたいと思う。
もちろん、書いてはいけない内容には極力気をつけながら。
だってさ、楽しいんだもん。インターネット。
読むだけでも楽しいけど、自分で書いた方が断然楽しい。
誰かが反応してくれるって、楽しい。
面白いって言ってくれたら、嬉しい。
役に立ったって言ってくれたら、次はもっと頑張ろうと思う。
たまにボロクソに言われて、落ち込んだりもしたけれど、ぼくは元気です。