ワンポイント:有望な若手の経営学教授の大事件
●【概略】
ウルリッヒ・リヒテンターラー(Ulrich Lichtenthaler、写真出典)は、2009年、31~32歳の若さでドイツのオットー・バイスハイム経営大学(WHU)に新設された技術革新・組織学科の学科長・教授に就任した。2年後、ドイツのマンハイム大学(University of Mannheim)・管理組織学科長・教授に移籍した。専門は経営学だった。
若いのに複数の賞を受賞し、「Technovation」「International Journal of Technology Intelligence and Planning」「International Journal of Technology Marketing」などの学術誌の編集員を勤めていた。 技術革新経営、組織デザイン、企業戦略の分野で複数の企業コンサルタントも勤めていた。
2012年初旬(33歳)、20人の科学者グループが、リヒテンターラーの論文に疑念を抱き、論文不正を調査し、多数の論文に再発表、統計操作などの研究ネカトを見つけた。本人も認めた。
2015年3月(36歳):マンハイム大学を辞職した。
撤回論文16報で撤回論文数の世界ランキング21位(2015年9月26日現在:The Retraction Watch Leaderboard – Retraction Watch at Retraction Watch)
ドイツのマンハイム大学。写真出典
- 国:ドイツ
- 成長国:ドイツ
- 研究博士号(PhD)取得:ドイツのオットー・バイスハイム経営大学
- 男女:男性
- 生年月日:1978年8月18日
- 現在の年齢:37 歳
- 分野:経営学
- 最初の不正論文発表:2009年(31歳)
- 発覚年:2012年(33歳)
- 発覚時地位:ドイツのマンハイム大学・教授
- 発覚:同じ分野の科学者20人
- 調査:①オットー・バイスハイム経営大学(WHU)・調査委員会。②マンハイム大学・調査委員会
- 不正:再発表、ねつ造、改ざん
- 不正論文数:撤回論文は16報
- 時期:研究キャリアの初期から
- 結末:辞職
ドイツのマンハイム大学とウルリッヒ・リヒテンターラー(Ulrich Lichtenthaler)。写真出典 Fotos: dpa/Uni Mannheim
●【経歴と経過】
主な出典:Prof. Dr. Ulrich Lichtenthaler: Lehrstuhl für ABWL und Organisation
- 1978年8月18日:植物学教授・ハームット・リヒテンターラー(Harmut K. Lichtenthaler)の息子としてドイツ・カールスルーエで生まれた
- 年(23歳):ドイツのバンベルク大学(University of Bamberg、ドイツ語でOtto-Friedrich-Universität Bamberg オットー・フリードリヒ大学バンベルク)を卒業。国際企業経営専攻
- 2006年(28歳):ドイツのファレンダー(Vallendar)にあるオットー・バイスハイム経営大学(WHU-Otto Beisheim School of Management)で研究博士号(PhD)を取得した。指導者はホルゲル・エルンスト教授(Holger Ernst)。論文タイトル「Leveraging Knowledge Assets: Success Factors of External Technology Commercialization」
- 2007年(29歳):技術革新経営のドイツ最優秀論文賞(German Best Paper Award Innovation Management)を受賞
- 2009年(31歳):ドイツ経営研究学会(German Academic Association for Business Research:VHB)の若手研究賞(Young Researcher Award)を受賞
- 2009年(31歳):ドイツの経済紙「Handelsblatt」で経営研究者ランキングで、2009年度第1位
- 2009年(31歳):オットー・バイスハイム経営大学(WHU)で教授資格(Habilitation)取得
- 2010年2月(31歳):オットー・バイスハイム経営大学(WHU)に新設された技術革新・組織学科の学科長・教授
- 2011年(33歳):ドイツのマンハイム大学の管理組織学科長・教授
- 2012年(33歳):不正研究が発覚する
- 2013年9月11日(35歳):オットー・バイスハイム経営大学(WHU)から教授資格(Habilitation)がはく奪された
- 2015年3月(36歳):マンハイム大学を辞職
●【研究内容】
リヒテンターラーは、経験を定量的方法につなげ、組織理論、技術革新管理、戦略的経営を中心の研究し、顕著な業績をあげてきた。
代表的な論文を、著名ジャーナルである「Academy of Management Journal」「Organization Science」「Strategic Management Journal」に出版してきた。
★永島暢太郎の日本語の文章
永島暢太郎の以下の2論文は、リヒテンターラーの研究成果を詳細に記述している
永島暢太郎:「オープンイノベーションとコラボレーション」、東海大学紀要政治経済学部第44号(2012)、199-222。
永島暢太郎:「乱気流の環境下でのオープンイノベーション戦略── U. リヒテンターラーのインサイドアウト型OI の研究を中心として──」、東海大学紀要政治経済学部第43号(2011)、139-159。
引用内容には撤回論文も含まれるかもしれないが、永島暢太郎の2012年論文から以下を引用した。
U. リヒテンターラーは,ドイツでのビジネス教育の分野で最高峰とされるマンハイム大学教授であり,ドイツ企業を始めとする欧州企業でのアウトライセンシングを中心とした外部志向のOI 研究において,先駆的な論文を多数発表してきた。
外部志向のOI とは,知的財産の販売,アイデアの外部環境への移転,技術の増殖を通じて,アイデアを市場に投入して利益を獲得することを意味しており,そこでの便益には,財務的な側面だけでなく非財務的な側面も含まれている。最近の研究では,研究開発プロジェクトの外部移転も外部志向のOI の重要な要素として考察されている。
彼の研究は,IBM,ルーセント・テクノロジー,テキサス・インスツルメントなど米国のIT 分野の管理能力のある卓越した大規模なグローバル企業が,外部コーポレートベンチャリングなどを通じてアウトライセンシングからなぜ膨大な収益を獲得できるのか,他方で多くの企業がなぜ管理上の困難に直面するのか原因を探求し,対応する経営政策を提示しようとするところに特徴がある。それは,ドイツ及び欧州企業にとっての戦略的な課題として扱われており,研究上の強い誘因となっている。
U. リヒテンターラーは,OI を「イノベーション過程を通じて,組織境界の内部及び外部における知識の探求,保持,開発を体系的に遂行すること」として定義しており,OIの枠組みを知識管理,組織学習,企業境界などの関連分野に結び付けるものと捉えている[Ulrich Lichtenthaler, Open Innovation : Past research, current debates, and future directions, Academy of Management Perspectives, 25(1), 2011, pp. 77]。
彼の研究では,アウトライセンシングなどを通じて組織間の技術移転,知識移転を戦略的に実行しようとする際に,企業がどのような能力を学習し,いかなる戦略経営を実行し,組織戦略を採用するのかという問題を扱っている。そして知識技術の外部への移転能力(disorpive capabilities),外部からの知識技術の吸収能力(absorptive capabilities),プロジェクトベースのライセンシング組織の機能などについて研究している。このうち移転能力に関しては2004年から研究が行われており,彼の研究の特徴として見ることができる[Ulrich Lichtenthaler, Eckard Lichtenthaler, Holger Ernst, Desorptive capacity: a new perspective on the external comercialisation of knowledge. Working Paper No. 99, WHU -Otto Beisheim Graduate School of management, 2004]。
彼は,主にドイツ企業及びオーストリア,スイスなど欧州企業を対象とした大規模サンプルによる計量分析とインタビュー調査に基づいて,OI 研究の精緻化を進めている。
・・・中略・・・
U. リヒテンターラーによる研究では,外部志向のOI 戦略,技術の市場,イノベーションの仲介者の3つの関連性について,体系的に理解する試みが行われており,実証研究としての意義も大きい。
U. リヒテンターラーによれば,技術の移転は,製品の移転よりも複雑である。技術知識は,通常,特定の文脈や特定の使用のために開発され,部分的には暗黙的な性質をもつために,技術知識を異なる文脈に移転し,異なる方法で使用することは,効率性の低下或いは技術移転の際,相対的に高い取り引き費用の問題をもたらすことになる[Pia Sophie von Nell, Ulrich Lichtenthaler, The role of innovation intermediary in the markets for technology, Int. J. Technology Intelligence and Planning, Vol. 7, No. 2,2011,131]。
●【不正発覚の経緯と内容】
リヒテンターラーは論文が多作で、例えば、2007-2008年の2年間に21論文も出版した。
同分野の研究者は、リヒテンターラーの論文は研究ネカトではないかとの疑念を抱いていた。それで、検証する仲間を募った。
2012年初旬、集まった20人の研究者グループが、リヒテンターラーの約50論文を徹底的に調べた。その結果、リヒテンターラーの論文には以下の問題点があると発表した。
- 彼自身の論文の相互引用が欠落している → 再発表(盗用)
- 同じデータセットを手を変え品を変え多様に解釈し種々の論文に使用している → 重複出版
- 統計上の深刻な誤り → データ改ざん・ねつ造
その結果、重複出版、再発表という理由で2009年論文と2010年論文の2論文が撤回された(2012年7月17日の「論文撤回監視(Retraction Watch)」)。
その後も論文撤回が続いた。
2013年6月時点で、リヒテンターラーの13論文が撤回された。
また、所属していたオットー・バイスハイム経営大学(WHU)とマンハイム大学は調査委員会を立ち上げた。
2013年9月11日、オットー・バイスハイム経営大学(WHU) はリヒテンターラーの教授資格(Habilitation)をはく奪した。理由は、教授資格審査をした時点の業績である論文に疑義が生じているので、教授資格授与に必要な論文条件が満たされていなかった、ということだった。Open Innovation Blog: The de-habilitation of a serial salami slicer
2015年9月26日現在、調査を開始してから2年以上も経過しているが、オットー・バイスハイム経営大学(WHU)・調査委員会とマンハイム大学・調査委員会はともに、最終的な調査結果を発表していない。調査継続中と思える。
2015年9月26日現在、「論文撤回監視(Retraction Watch)」サイトでは、撤回論文数が16報と記載されている。撤回論文数の世界ランキング21位である(The Retraction Watch Leaderboard – Retraction Watch at Retraction Watch)。
【追記:2015年9月30日】
オットー・バイスハイム経営大学・調査委員会は、経営学科長のホルゲル・エルンスト(Holger Ernst、写真出典)も研究ネカトと判定した。この判定を受け、学長はエルンストを懲戒処分した。
エルンストは、リヒテンターラーの論文の共著者でもあるのに、研究ネカトに気付かなかったのは同罪であるとしたのだ。(2015年9月29日のAlison McCookの「論文撤回監視(Retraction Watch)」記事:German dep’t head reprimanded for not catching mistakes of co-author Lichtenthaler – Retraction Watch at Retraction Watch)
●【論文数と撤回論文】
繰り返しになるが、「論文撤回監視(Retraction Watch)」では、撤回論文数は16報と報告されている。この16報は世界ランキング21位である(2015年9月26日現在:The Retraction Watch Leaderboard – Retraction Watch at Retraction Watch)。
2015年9月26日現在、グーグル・スカラー(http://scholar.google.co.jp/schhp?hl=ja)で、ウルリッヒ・リヒテンターラー(Ulrich Lichtenthaler)の撤回論文を「(retraction OR retracted) author:” Ulrich Lichtenthaler”」で検索すると、42論文がヒットした。
この検索方法では、撤回論文以外の論文も含まれる、ヒット論文数そのものが撤回論文数ではない。
検索リスト最初の撤回論文を以下に示す。
- RETRACTED: Externally commercializing technology assets: An examination of different process stages
U Lichtenthaler – Journal of Business Venturing, 2008 – Elsevier
●【防ぐ方法】
《1》大学院・研究初期
大学院・研究初期で、研究のあり方を習得するときに、研究規範を習得させるべきだった。
リヒテンターラーの場合、オットー・バイスハイム経営大学(WHU-Otto Beisheim School of Management)で研究博士号(PhD)を取得した。指導者はホルゲル・エルンスト教授(Holger Ernst)である。
エルンスト教授がしっかり研究規範教育をすべき立場の人だ。
しかしナント、エルンスト教授自身も、リヒテンターラーが共著者ではない以下の論文を撤回したのだ(2013年2月25日の「論文撤回監視(Retraction Watch)」。WITHDRAWN: How to create commercial value from patents: The role of patent management)。
- How to create commercial value from patents: The role of patent management
Research Policy Available online 21 May 2012
Holger Ernst、James G. Conley、 Nils Omland
こうなると、エルンスト教授の研究公正規範はマズイということだ。指導教授がこうだったから、弟子のリヒテンターラーが研究ネカトしたのかもしれない。
●【白楽の感想】
《1》根っからの研究ネカト者
31~32歳の若さで学科長・教授に就任した。そして、16論文も撤回した。
ということは、リヒテンターラーは、根っからの不正者である。不正して学位を得、教授資格(Habilitation)を得、破格の昇進をしている。大学院時代の指導教授であるエルンスト教授が、そのように育成してしまったのかもしれない。
●【主要情報源】
① 「論文撤回監視(Retraction Watch)」記事群:You searched for Ulrich Lichtenthaler – Retraction Watch at Retraction Watch
② ウィキペディア英語版:Ulrich Lichtenthaler – Wikipedia, the free encyclopedia
③ 2013年6月24日、キャロル・マトラック(Carol Matlack)の「Bloomberg Businessweek」記事:Research Fraud Allegations Trail a German B-School Wunderkind – Businessweek
④ 2012年7月19日のオラフ・ストーベック(Olaf Storbeck)の「Economics Intelligence」記事:Top-flight German business prof faces severe accusations of academic misconduct | Economics Intelligence
⑤ もう1つのウィキペディア(英語版):Ulrich Lichtenthaler
⑥ Open Innovation Blog: Academic dishonesty investigation to end next month?
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