定額配信の可能性は「N次創作」で花開く~産総研・後藤真孝氏が期待する音楽産業の未来【特集:音楽とITと私】
タグ : Songle, Songrium, ストリーミング, ボーカロイド, 後藤真孝, 音楽, 音楽情報技術 2015/09/30公開
20年以上にわたって音楽情報処理の研究を牽引してきた産業技術総合研究所・首席研究員の後藤真孝氏。先に見据える「音楽とテクノロジー」の未来とは?
「2000年代前半には、定額音楽配信の時代が来ることを前提に研究していました」
そう語るのは、20年以上にわたって音楽情報処理の研究を牽引し、数々の音楽技術を発明してきた産業技術総合研究所(以下、産総研)首席研究員の後藤真孝氏。日本が世界に誇る、音楽情報処理研究のキーマンと呼べる人物だ。
産総研の使命の一つは、未来の日本産業の競争力を生み出すべく、その時に必要になるであろう技術を先回りして研究開発することにある。最近ではそうした研究成果をよりスピード感を持って社会に直接届けようと、『Songle』、『Songrium』といった独自サービスとして一般に公開する動きも見せている。
そんな後藤氏の目に、『AWA』、『LINE MUSIC』、『Apple Music』、『Google Play』と相次ぎビッグプレーヤーが参入している定額配信の現状は、どのように映っているのだろうか。
先に挙げた2つの独自サービスには、音楽産業に貢献するための後藤氏らのアイデア、さらにはその先に広がる「音楽とテクノロジー」の未来像が反映されていた。
キーワードは「能動的でコピー不可能な体験」、そして「N次創作」を軸にした産業構造の構築だ。
定額制サービスは「可能性」の入り口に立ったに過ぎない
—— 後藤さんは定額配信ストリーミングの時代が来ることを2000年代前半にすでに公言していたと聞きます。そう考えたのはなぜでしょうか?
2002年にはすでに「定額制音楽配信サービスが社会に普及する」ことを前提に研究を進めていたという
私が「定額制のオンライン・オンデマンド音楽配信サービスが社会に普及する」ことを前提に、情報処理学会で音楽検索技術や音楽推薦技術などを議論し始めたのは、2002年のことでした。
当時はまだCD全盛の時代。配信もようやく「着うた」が始まるころですから、まだそれを前提に未来を考える研究はほとんどありませんでした。
しかし、音楽を楽しむ環境がいつか定額配信へと向かうのは、歴史的必然でした。
90年代に音楽のデジタル化が進んだことで、2000年代にはまず、楽曲1曲ごとのオンライン販売の時代が到来する。けれどもそうすると、視聴者から見るといくつかの問題が生じてきます。
「これはいい曲だな」と思っても、気軽に誰かと共有して一緒に楽しむといったことが難しい。さらに、音楽CD販売店ではできていた、楽曲全体を自由に試し聴きすることができないという問題もあります。
視聴者が抱えたこうした問題を解決するために制約を排除したのが、定額配信というモデルです。視聴者はちょっと聴いてみて気に入らなければ聴くのを止めればいいわけなので、自分が本当に好きな曲を聴くことができるようになります。
もちろん、こうしたサービスはクリエイターにきちんと対価が支払われる形で実現しなければなりません。さらに、定額配信のモデルはクリエイターの側にも新たなメリットを生む可能性もあるんです。
音楽は時間芸術です。仮に私が朝から晩まで音楽を聴き続けたとしても、死ぬまでに聴ける楽曲数は限られています。したがって、世界中の人口が聴ける音楽の総量も決まっている。
定額配信で視聴者の好みに楽曲をマッチングする技術が発展すれば、ロングテールのヘッドからテールまで、多様な楽曲にその限られた時間が配分される可能性が高まります。なのでクリエイターとしても、自分の作品を好きと感じてくれる人にちゃんと届ける土台ができたと考えれば、今後のさらなる技術の発展を楽しみにできるかも知れません。
—— では、10年以上前からそうした予測をしていた後藤さんから見て、多くのビッグプレーヤーが相次いで参入してきている定額配信サービスの現状は、どのように映っていますか?
確かに国内では今年になって目立つ大きな動きがあってうれしく思っていますが、海外では以前から普及していましたし、日本においてもこれらが初めての定額制サービスというわけではありません。『Wonder Juke』、『Music Unlimited』、『レコチョク Best』をはじめ、2000年代を通じてさまざまなサービスが生まれてきました。
そうした流れがあって今のサービスがあるわけですが、現状は、デジタル化した音楽が実現するであろう新たな可能性の、まだ初期の段階と言えます。デジタル音楽の未来はもっと先にあると思っています。
先ほど、定額配信によって視聴者は本当に好きな曲を聴くことができるようになると言いましたが、自分が好きな曲を発見するというのは、簡単なようでいて実は難しい。3000万曲の中から自分が好きなものを探してくださいと言われたら、普通の人はめげてしまいます。
人には難しいことでも、コンピュータの力を借りれば実現できることがあります。こうした問題を解決するために私たちが研究してきているのが、音楽情報処理技術というわけです。
デジタルコンテンツの潜在的可能性を引き出す2つの技術
—— ご指摘されるような問題を解決するため、後藤さんは実際にどのような技術を開発しているのでしょうか?
その説明には、私たちが一般公開している2つのサービスをご紹介するのが良いと思います。
一つは、2012年に公開した『Songle』というサービスです。『Songle』は、90年代から研究を続けてきた音楽理解技術を活用することにより、ポピュラー音楽をより深く理解するのを助けるものです。
サビの位置やメロディ、コード、ビートといった音楽の中身を、「音楽地図」として見ながら聴くことができる『Songle』
『Songle』を使えば、従来のように音だけで楽曲を聴くのではなく、サビの位置やメロディ、コード、ビートといった音楽の中身を、「音楽地図」として見ながら聴くことができます。また、例えばサビだけを自ら選んで聴くといった、能動的な楽しみ方もできるインターフェースになっています。
これはまず、音楽の試し聴きに非常に便利です。定額配信で膨大な楽曲にアクセスできるようになると、好きな楽曲とどう出会うかが課題になります。このインターフェースでは、誰かに指定された一部分だけでなく、自分で自由に試聴することが容易になります。
さらに、音楽の中身が自動解析できると、音楽に連動してさまざまな表現が可能になります。あらかじめ楽曲ごとにプログラムするのではなく、音楽に合わせて自動的にロボットを踊らせたり、照明を制御したりといったことも、さまざまな方々の協力を得て、すでに実現しています。
そして何より、音楽の理解が深まると、人々の音楽の楽しみ方が豊かになります。私が音楽理解技術を能動的な音楽鑑賞に応用する可能性に最初に気付いたのは、サビの解析技術を研究開発した時でした。
音楽の中身を可視化することで、普通に聴いているだけでは気付けないことに気付きやすくなります。しかも、能動的なインタラクションをすると特別な関心を持って聴けることがあります。
単に音楽を頭から最後まで再生するのとは全く違う世界があることに気付き、作った自分でも何時間も試聴を止められなかった。これは音楽の鑑賞体験の未来だと思ったんです。
ニコニコ動画やYouTubeなど、インターネット上にある91万曲がすでに解析済みで、アクセスすれば誰でも「音楽地図」を見ることができます。例えば同じことを定額配信サービスと一緒に取り組めたら、デジタル化されたコンテンツの潜在的な可能性をもっと引き出せると考えています。
—— もう一つの『Songrium』はどういったサービスでしょうか?
『Songle』が1曲の中身を理解するためのものであるのに対し、『Songrium』は曲と曲との関係の理解を支援します。音楽理解技術とWebマイニングの技術を組み合わせることにより、日々生まれる膨大なコンテンツをいかに視聴するかという問題を解決することを目指しています。
音楽理解技術とWebマイニング技術を組み合わせることにより、日々生まれる膨大なコンテンツをいかに視聴するかという問題を解決することを目指した『Songrium』
私たちは音楽理解技術とともに歌声合成技術の研究にも取り組んできましたが、『初音ミク』に代表されるボーカロイド楽曲の文化ですごいのは「N次創作」で、1つのオリジナル楽曲が生まれると、それを元にいろいろな方々が歌ったり踊ったりして派生作品を生み出すことです。私たちの独自調査によれば、13万曲のオリジナル楽曲から、4倍以上にあたる57万動画が派生作品として生み出されたことが分かっています。
どの曲からどんな派生作品がどれくらい生まれたかを分かるようにしたのが『Songrium』です。派生作品が「歌ってみた」作品なのか「踊ってみた」作品なのかは色で区別しているので、例えば周りに赤い丸が多く集まっている楽曲であれば、「この楽曲を聴くと、みんなが踊りたくなるんだ」といったことがひと目で分かります。
これは、派生作品というコンテンツを生み出す力、つまり楽曲ごとのコンテンツ生成力を、世界で初めて可視化することに成功したということです。このことが持つ意味は大きいと思っています。
既存のサービスは通常、どれだけ聴かれたかという視聴行動の回数でその曲の重要性を測ることが一般的でした。そこに、コンテンツ生成力という、そのコンテンツが他に与えた影響力を新たな尺度として持ち込むことができるようになるのです。
『Songrium』の中では、曲と曲との関係は矢印で表示されます。この矢印は自動でつくものもありますが、ユーザーがその次に聴きたい曲、一緒に聴くのに適した曲など、手動でも自由に設定できるんです。これにより、ある種のレコメンデーション(音楽推薦)をソーシャルに作れるようになっています。
レコメンデーションの仕方としては、プレイリストをシェアするという考え方は古くからありますが、プレイリストは曲順指定に過ぎません。その点、この仕組みであれば、コンテンツ間に直接リンク構造を作っていくことができます。
『Songrium』には他にも、現在に至るまでのボーカロイド作品の歴史をたどることができる『超歴史プレーヤ』などさまざまな機能があります。そのどれもが、ユーザーが新しいコンテンツに出会う手段として発想されたもの。音楽体験を豊かなものにするためには、こうした手段をもっともっと増やしていく必要があります。
受動的でコピー可能な体験の持つ価値は失われつつある
—— 音楽産業に関わる人々の働き方を考えるという意味で、未来の産業構造はどう変わっていくべきだと考えていますか?
まず注目したいのは、従来の「受動的でコピー可能な体験」が持つ産業上の価値は、残念ながら今後徐々に失われてしまう心配があるということです。
コンテンツ産業はこれまで、「体験をコピーする技術をどんどん高度にしながら発展してきた」と捉えることができます。初期の音楽体験とは、目の前で演奏されたものを聴く以外になかったわけですが、その音楽鑑賞体験をレコードやCDがコピー可能にし、ビデオやDVDなどによって映像も含めていつでも体験できるようになりました。
かたや音楽のデジタル化には、流通コストが限りなくゼロに近づいていくという側面もあります。
それには、より多くの人々がより多くのコンテンツに出会えるすばらしさがありますが、一方では、コピー可能かつ受動的な体験の産業上の価値は失われていく心配があり、その流れはおそらく誰にも止められないのだと思います。
これが、デジタル化によって音楽の流通を中心とした産業が現在直面している問題ではないでしょうか。
—— では、どう未来を切り開けばいいのでしょうか?
「コピー不可能な体験」が価値の中核になるでしょう。それは、その人ならではの「能動的な体験」と言い換えることができると思います。
まず分かりやすい例として、「創作」という能動的な体験が挙げられます。何かを創る体験というのは本質的にコピー不可能です。創った楽曲やその創作過程を第三者が視聴することはできますが、創った本人が実際に体験した楽しさというものはコピーできません。
SNSやブログなどが普及したことにより、テキストコンテンツに関しては、一般の方にもそうしたコピー不可能な創作体験が実現できています。しかし音楽に関して言えば「創作」の敷居はまだまだ高く、体験できるのは一握りにとどまっています。
だから私たちは、今回はご紹介できませんでしたが、音楽の創作支援技術の研究も行っているんです。
13万曲から57万件の派生作品が生まれたボーカロイド文化の見せた可能性は参考になると思います。自分が「歌ってみた」、「踊ってみた」コンテンツを数十人、数百人が視聴し、コメントしてくれることで味わえる喜びはコピー不可能です。これはリアルな場ではなかなか実現できなかったこと。今後はそこを軸に一つの産業構造が生まれるだろうと思っています。
『Songrium』は楽曲ごとのコンテンツ生成力を、世界で初めて可視化することに成功した。ボーカロイド文化が見せた可能性は音楽の未来を切り開く大きなヒントになると後藤氏は言う
これは「鑑賞」の体験についても言えることです。『Songle』が目指しているのは能動的でコピー不可能な鑑賞体験です。現在の『Songle』上でもサビを自分で選んでジャンプしながら聴き、そこから新たな発見をする能動的な体験ができますが、他にも「能動的音楽鑑賞インターフェース」と名付けて、『Songle』とは別にさまざまな研究をしてきました。
実はこうした考え方は、ニコニコ動画のコメントがなぜ流行ったかにも関係しているかも知れません。「あのタイミングであのコメントを書き込んだ」のは世界でその人だけになる。これも、能動的でコピー不可能な鑑賞体験のいい例でしょう。
こうした能動的でコピー不可能な体験を創出する取り組みはまだまだ組織的、意識的に行われているとは言いがたいので、さまざまな方々による今後の技術開発を通じて、可能性が広がっていくと思います。
コンテンツのデジタル化が持つ意味をあらためて考えてみると、過去10年間は、「量」の変化の時代だったといえます。大量の楽曲にいつでもどこでもアクセスできる素晴らしさを中心に発展してきたのが、これまでの音楽配信の歴史です。
でも、それだけではコンテンツのデジタル化がもたらす可能性の入り口に立ったに過ぎません。これまでの歩みがデジタル化することによりデータを「ハードディスクに貯めてきた」のだとすれば、今後は貯めたデータを「計算可能にする」ことで「質」の変化を起こすことが可能になります。
そのためにはまず、それぞれの楽曲がどんな中身なのかを知ることが重要になる。だから音楽理解技術が必要なのです。これをうまく活用することで、日本には大きなチャンスが生まれるはずです。
創作、鑑賞の支援に関連して、未来の産業構造のあり方を支える最後のポイントは、「N次創作」をどう可能にするかです。
ボーカロイド文化やニコニコ動画で起きたことをヒントに、定額音楽配信サービスでもさまざまな人たちの自由な発想で、かつクリエイターや権利者にもメリットと納得感がある形で「N次創作」を安心して楽しくできる環境を作ることができたら、新たな可能性が広がります。
音楽の一つの特長は、他のメディアとの親和性が高いということ。音楽それ自体はもちろん、ダンスや映像表現、物理デバイスとの組み合わせなど、「N次創作」の可能性はどんどん広がります。ボーカロイド文化がここまで大きな広がりを見せている日本には、世界に先んじてそうした可能性を切り開くための土壌がある。
私たち研究者だけでは新技術の開発しかできません。音楽配信サービスの担い手の方々も含めて、ぜひさまざまな方々と一緒に取り組んでいきたいと思っています。クリエイターや視聴者、エンジニア、研究者、企業が一緒になって、「能動的でコピー不可能な体験」や「N次創作」を軸にした新しい取り組みに挑戦すれば、きっと新たなコンテンツ産業の未来を切り開いていけるのではないかと期待しています。
取材・文・撮影/鈴木陸夫(編集部)
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