「函数」は意訳か音訳か

「函数」という数学用語がある。「関数」とも書く。英語では「function」と言う。この「函数」の語源について考えてみる。
Wikipediaにはこうある。
関数 (数学) - Wikipedia
「函数」の中国語における発音は(拼音: hánshù) であり、志賀浩二や小松勇作によればこれはfunctionの音訳であるという。一方、『代微積拾級』には「凡此變數中函彼變數則此為彼之函數」とあり、また変数に天、地などの文字を用いて「天 = 函(地)」という表記もある。片野善一郎によれば、「函」の字義はつつむ、つつみこむであるから、「天 = 函(地)」という表現は「天は地を函む」ようにみえ、従属変数(の表現)に独立変数が容れられているという意味であるという。

「関数 語源」とか「函数 語源」でぐぐると一番上にでてくるページにはこうある。
「関数」の語源って? - 数学 | 【OKWave】
さて,中国人が外来語の訳語を作るときは,意味が同じになるように,発音がなるべく似るように漢字を割り当てます.

数学用語の「function」の訳語を作るとき,「functionとはブラックボックスのようなものだな」と考え,そこから,数のハコ→函数という訳語を作りました.函数の発音は「ファンスウ」というようで,発音もまあまあ似てるといえます.

ブラックボックスとは,「中身の仕組みは分からないけど,何か操作すれば何か動作するもの」のことです.関数がブラックボックスだとする解説は,日本のテキストでも見受けます.中国人が目にした英語のテキストにも,そのような解説があったのかもしれません.

グーグルブログ検索で一番上にでてくるページにはこうある。
函数の由来 | NAKAGAWA's Website
これは英語 function の中国における訳語である函数 (hánshù) をそのまま日本に持ち込んだものです。
function が漢訳される際に発音が似ている「函」の字をあて、
数学に関する用語として「函数」としたのではないかという説があります。


結論から言うと、「函数」はfunctionに似た音の漢字を当てたものではないし、ブラックボックスという考えから「函」の字を用いたものでもない。函数が、他の数を含む式であることからきている。

以下、《函数》《function》は文字の表記のことを表す。ただし「数」と「數」は同一視する、つまり字体の違いは考慮しない。
【関数】は《函数》や《function》が指し示している関数という概念を表す。


《函数》の初出はElias Loomis著・Alexander Wylie口訳・李善蘭筆述(1859)『代微積拾級』である。
具体的に言うと、凡例・第三葉表の
一、諸數字之旨各異、
 函數者、言其數中函元之加減乘約開方自乘諸數也、
 長數者、言幾何漸增漸減之微數也、
 變數者、言其數或漸變大、或漸變小、非一定之變也、
 常變者、言其變一定不變也、
や卷十・第一葉裏の
凡此變數中函彼變數、則此爲彼之函數、
 如直線之式爲 地=甲天⊥乙 、則地爲天之函數、
等である。

『代微積拾級』は翻訳書である。つまりオリジナルがある。
Elias Loomis(1835)『Elements of analytical geometry and of the differential and integral calculus』P113には
 (158.) One variable is said to be a function of another variable, when the first is equal to a certain algebraic expression containing the second.
Thus, in the equation of a straight line,
   y=ax+b,
y is a function of x.
とある。



『Elements of analytical geometry and of the differential and integral calculus』は変数1が変数2を含む代数式と等しい時、変数1を変数2の関数とよぶ、例えば直線の方程式y=ax+bについてyはxの関数だと言っている。
『代微積拾級』はこの部分を中国語に訳しただけであるから、多少表現が変わっているがほぼ同じことを言っていて、此変数中に彼変数を含むとき此を彼の関数とよぶ、例えば直線の式y=ax+bについてyはxの関数だと言っている。

『代微積拾級』は文中に「函數」以外にもう一つ「函」が出てくる。原文を見ればこの「函」が「contain」に対応することは明らかである。そもそも「A中函B」において「函」を「はこ」と読んだら文中に動詞がなくなり理解できない。この「函」は「contain」つまり「含む」という意味の動詞であり、「A中函B」は「A中にBを含む」「Bを含むA」等と解釈すべきである。

《汉语大字典》の「函」に
2.包含;容纳。
  《集韻・覃韻》:“函,容也。”
  《詩・周頌・載芟》:“播厥百穀,實函斯活。”
   鄭玄箋:“函,含也。”
  《漢書・叙傳上》:“函之如海,養之如春。”
   顔師古注:“函,容也。讀與含同。”
  唐劉禹錫《問大鈞賦》“圓方相函兮,浩其無垠。”
また《汉语大词典》の「函」項に
1.包含;容纳。
  《诗‧周颂‧载芟》:“播厥百穀,實函斯活。”
   孔颖达疏:“函者,容藏之義。”
  晋陆机《文赋》:“函緜邈於尺素,吐滂沛乎寸心。”
  宋陆游《泰州报恩光孝禅寺最吉祥殿碑》:“徽祖聖德齊天崇,澤覃草木函昆蟲。”
  鲁迅《汉文学史纲要》第一篇:“故其所函,遂具三美:意美以感心,一也;音美以感耳,二也;形美以感目,三也。”
とあるように、「函」は第一義が「含む」である。※《大字典》の1.は説文にしか用例のない「舌」というものである。



おさえておきたいのは、『代微積拾級』において《function》を《函数》と訳したのは李善蘭だが、【関数】について「凡此變數中函彼變數、則此爲彼之函數、」と言っているのはElias Loomisであって李善蘭ではないということである。

Elias Loomisの他の著書を見ると、
Elias Loomis(1868)『A Treatise on Algebra』P18
 35. A function of a quantity is any expression containing that quantity.
「ある数の関数とはある数を含む任意の式である」とある。

また同時期(19世紀半ば)の他著者の数学書を見る。
Augustus De Morgan(1837)『The Elements of Algebra』P168
 Any expression which contains x in any way is called a function of x: thus a+x, a+bx², &c. are functions of x; they are also functions of a and b, but may be considered only with regard to x.
「何らかの形でxを含む任意の式をxの関数という」とある。

George Boole(1854)『An investigation of the laws of thought』P71
 8. Definition.――Any algebraic expression involving a symbol x is termed a function of x, and may be represented under the abbreviated general form f(x).
やはり「xを含む任意の代数式をxの関数という」とある。

つまり【関数】が「xを含む任意の式」であるというのは、翻訳者の李善蘭の考えでもElias Loomis独自の考えでもなく、18世紀半ばの数学者の間で普遍的に理解されていたことである。



さて、《函数》は意訳であるかどうか。
18世紀半ばの数学者の間で【関数】とは「xを含む任意の式」であると考えられていた。この【関数】の性質を簡潔に表そうとした場合、「xを含む任意の式」の中で唯一の動詞である「contain」=「含む」=「函」を使うのがごく自然ではないだろうか?【関数】を中国語で書き表すのに「含む」を意味する「函」の字を使うことに何ら違和感はない。というかむしろ「函」あるいは「含」以外の字を使う理由がない。※「含」と「函」は同音同義で異体字(通仮字)の関係にあるからここでは問題ではない。

【関数】は『Elements of analytical geometry and of the differential and integral calculus』では「xを含む式」ではなく「xを含む変数」と説明されているので李善蘭が《function》を《函数》と訳したのは100%意訳であると考えざるをえない。さらに、『代微積拾級』の凡例は原著になく、「函數者、言其數中函元之加減乘約開方自乘諸數也」は李善蘭が自分で書いた言葉である。つまりこれは【関数】ではなく《函数》という表記の説明ととることができる(実際この凡例にある「+は十と紛らわしいから⊥と書く」等は明らかに表記の説明である)。これに従えばやはり意訳であると考えられる。これらのとき「はこ」という概念は登場しない。
というか「ブラックボックス」は20世紀半ばに登場したものであるから時代がおかしい。





ここからは音訳説かどうか考える。
しかし上に書いた通り、意訳のみで《函数》に翻訳することが可能である。『代微積拾級』凡例に《函数》が意訳であることが伺える文章があるが、音については一切書かれていない。意訳だけで説明できるのだから意訳かつ音訳というのも考え難い。もし意訳かつ音訳であるのなら意味に多少のズレが生じるが、「函」が当時の数学者の共通概念であったことは述べた通りである。いくつか候補があるうちから近音の字を選ぶという作業を経たようにも見えない。
凡例で「函数」は「長数」「変数」「常数」等と並列して書かれているが、この3つもやはり李善蘭が翻訳時に作った単語である。他にも「代数」「係数」「対数」「指数」「級数」「微分」「切線」「多項式」等等、非常に多くの数学用語が李善蘭によって生み出されたと考えられている。これらの語は検証するまでもなく明らかに意訳である。「函数」だけ音訳というのは不自然である。
これらのことから音訳という可能性は低いように思える。また《函数》音訳説にはさらに疑問点がある。



「func」と「函」の音について。
「func」はIPAでは[fʌŋ(k)]である。下唇と上歯を使う日本語には普通ない音だ。また「n」は「k」につながって軟口蓋鼻音になる。カタカナで書くと「ファン」とかになるが日本語の「フアン」ではない。
「函(hán)」はIPAでは[xan]である。後舌と口蓋を使う日本語には普通ない音だ。カタカナで書くと「ハン」とか「ファン」とかになるが日本語の「ハン」「フアン」ではない。

[f]から始まる音は日本語には普通ないが中国語にはある。しかし「函」はそれではない。
[ŋ]で終わる音は日本語には普通ないが中国語にはある。しかし「函」はそれではない。
「func」と「函」は音が近いと言えるだろうか?「放(fàng)」[fɑŋ]等ではなく「函」を選んだ合理的理由がない。
李善蘭の出身地を考慮して呉語で考えると「函」は「ghoe1」、IPAでは[ɦø]でさらに遠い。

「funk(音楽)」は「放克」、「Casimir Funk(生化学者)」は「冯克」である。
「Fahrenheit」「Pfizer」[f-]は「華倫海特」「輝瑞」[x-]と音訳されているが、「華」や「輝」のような曉母字は南方方言では多く[f-]で発音される。「函」は匣母字であり、これらとは異なる。



「tion」と「数」の音について。
「tion」はIPAでは[ʃən]である。カタカナで書くと「ション」とかになるが日本語の「ション」ではない。
「数(shù)」はIPAでは[ʂu]である。そり舌を使う日本語には普通ない音だ。カタカナで書くと「シュー」とかになるが日本語の「シュウ」ではない。

[ʃ]音は中国語にはないが、[ʃ]と[ʂ]は近い。しかし[ən]と「u」は明らかに違うだろう。
「tion」と「数」は音が近いと言えるだろうか?「申(shēn)」[ʂən]等ではなく「数」を選んだ合理的理由がない。
李善蘭の出身地を考慮して呉語で考えると「数]は「su3」、IPAでは[su]でさらに遠い。



音訳説の出典について。
Wikipediaで音訳説の出典としているのは「小松勇作「関数」『数学100の慣用語』数学セミナー1985 年9月増刊」と「志賀浩二『数学が生まれる物語/第4週 座標とグラフ』岩波書店、70頁(1992年)」である。またノートページには小松(1985)「我が国へは中国で音訳された函数が輸入され」と、志賀(1992)「函数という表記は,中国語でこの英語の発音に近いファンスゥをあてたものだといわれている.」という文が引用されている。また武部良明(1976)『漢字の用法』にも同様のことが書いてある。
しかしこれらには音訳である根拠が何一つ示されていない。しかも全て戦後の本である。訳された100年後に誰かが「音訳らしい」とだけ言っても説得力0である。

[fʌŋ(k)]と[xan]は結構違うがカタカナで綴ると近くなるのは上で書いた通りである。カタカナで綴られた(擬似)発音を見た日本人が《函数》は《function》の音訳だと言い始めたのではないだろうか?しかもそれはつい数十年前のことなのではないか?
また中国語版Wikiepdiaには音訳に関することは一切書かれていない。百度百科には「含む」からきた意訳であると書かれているが音訳説については全く書かれていない。このことは日本生まれの音訳説が日本でしか話題にされていないことの証明である。





というわけで、「函数」は100%「含む」の意味からとった訳である。
「函数」と「function」の音が近いと主張する人がいてもそれは「偶然」のレベルを超えられない程度で、音訳である根拠にはならない。また音訳説は中国では受け入れられておらず、日本人の後付けである可能性がある。

意見や新資料があればコメントください。
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テーマ : 中国語
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