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この夜が明けるまであと百万の祈り

「人が自殺しないためのシステム」について考えてます。 ブログタイトルは私が好きな「幻想再帰のアリュージョニスト」からです。

麻枝准作品について大前提として理解しておくべきこと

僕のAngel Beats!・麻枝准批判が話題だからちょっと書いとく。 - かくいう私も青二才でね
私は麻枝准信者ではあるけれど、麻枝准作品にアンチが多いことはむしろ自然なことだと思っている。だからこの記事も否定するつもりは全くない。むしろ青二才さんは自分が感じた違和感を率直に表現していて嫌いではない。

青二才さんの記事へのブコメのコメントで擁護のつもりか筆者批判のつもりかわからないが、麻枝作品に対して興味が無いのか「深く考えずに楽しめよ」とか「ファンタジーにケチつけるな」みたいなことを書く人がいるが、こういうコメントは、そんなことはわかった上で、それでもも深く考えずにはおれなかった結果としてアンチになってしまった人に対する最悪な侮辱だと思う。いくら記事が残念だからといって、その記事と同じレベルに落ちるくらいならコメントなんかしなければいい。


信者としては、理解して欲しいならやはり説明すべきだと思う。麻枝准作品において「リアリティ」「整合性」は重要ではないのではなく意図的に否定されているものであり、その「違和感」は目的があってやっていることなのだということを知ってほしい。です。



麻枝准作品を楽しむために大前提として理解しておくべきこと

麻枝准作品に関してはアンチの人たちの言いたいことはとてもよくわかる。否定するつもりは全く無いです。もともとある前提を共有できない人には絶対に理解できないものだから。それは麻枝准作品は寓話だとかファンタジーだとかそういう話じゃなくもっと個別的なもの。

大前提として理解しておくべきことは、麻枝准作品は必ずリアリティから外れて、戯画化した描写をするということ。それから解決されない謎がたくさん残ること。 なぜか。ここが理解・納得出来ないと麻枝作品というのはただの破綻したシナリオでしかない。


麻枝さんは「自分はこういうライターだ」と規定されることを極端に嫌ってるので、あまりこうだと断言するのは避けたいが、ヒントは麻枝准にとっては世界は多層構造でとらえられているということ。

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(「恋愛ゲームシナリオライタ論集30☓30」より引用)

作品中で描写される日常は「もうひとつの世界」と現実がまじりあったものになっている。だから、あえて日常に違和感を感じさせるようなあからさまにおかしい描写を入れていてくる。現実の確かさを揺るがせようとする。「こんなことありえないだろ」を感じさせるために「間違い」をあえていれてくるのである。だから、青二才さんが「間違い」に反応するのは自然なことであり、それを「こじらせ」だとか「アンチ」だと思う必要はない。信者だってそこをごまかしてるわけではない。逆に、この「違和感」から浮かび上がってくる超常的なもの、これに麻枝作品は何を描くことを目指しているのか、それを感じ取るのが麻枝作品の楽しみ方になる。



おそらく過去に最も麻枝准作品と真摯に向き合われた一人であろうthen-dさんが「麻枝准論」の冒頭で書かれた序文によるとこう。

麻枝准の多くの作品において最も特徴的に現れることは、現在(いま、ここ)の否定にある。このことは、現状に諦念を有し、べつの道に「高み」や強さを目指す志向に現れている。この高みへの志向は、大抵の場合、過去における否定的出来事に寄る視点人物等の記憶に基づき、ねじれた上昇志向となって現れていることが多い

このあたりは作品ごとによって変遷しているので個別に検討してほしい。麻枝准作品を村上春樹作品と関連付けて語る人もいるが、別物であるとはいえ、多少類似点はあるのは間違いない。こういう「作者が見ている世界観」が、自分たちの現実と全く違う、ということを受け入れないと、ただの気取った話として嫌いになる、という構造も村上春樹作品と似てますね。



「作者にとってのリアリズム」と「視聴者にとってのリアリティ」がぶつかるときどちらを優先するかという問題

確か村上春樹が、なにかのインタビューで、どうやってこんな独創的な世界観を生み出しているのですかと聞かれている時に、私には世界はこう見えているからそれをそのまま描いているだけみたいなことを書いていた気がする。(ソースが検索で見つからなかったのでご存じの方は教えて下さい)

作品によっては「作者にとってのリアリズム」を理解することが重要になる。たいていのエンタメ作品は視聴者が気持ちよくなれるように「視聴者にとってのリアリティ」に合わて描かれるが、麻枝准作品の場合は、必ずしもそうではないということだ。視聴者が自分の感覚と一致しない。リアリティを感じないからといって、作者を否定するという姿勢なのであれば、そもそも向いてない。

アンチの人は、自分のリアリティの感覚を優先した、信者の人は作者のリアリズムに共感した。それだけの争いである。決して分かり合えないわけではないと私は思っている。繰り返すが、青二才さんの感覚が間違っているわけではない、のだが、そこから一歩進んで「作者にとってのリアリズム」というものが有るということを知ってほしい。



13話の短いアニメでは麻枝准の良さが生ききらず、違和感や謎だけが浮かび上がって残ってしまうだけになってしまう?

とはいえ、麻枝准の感覚は、13話アニメだと表現しきれないということはだんだんわかってきた。やはりある程度尺がないと「現実の描写の数々に違和感を感じつつもそれに適応していく」という過程がえられないのかもしれない。アニメではむしろ尺を考慮してか、大げさに違和感を強調しようとしすぎて滑ったりぎこちなくなっているかもしれない。

私もAngelBeats!やCharlotteが完成度の高い作品だと思っていない。 アニメの中では、ひたすらに違和感の塊が投げ出され、それがうまく昇華されないまま残ってしまっているように感じてしまうのは当然のことだと思う。 ある程度前提知識を持って、補完しようと努めてなお、納得しきれない。

AngelBeats!はそれほどでもないがCharlotteの終盤はかなりつらいものがあると思う。信者だからといってなんでも肯定するわけではないのでそこはご安心を。


then-dさんの「亡き現在のためのパヴァーヌ

簡単に書いたけど、本当は、私が何か書くよりも、真摯に麻枝作品に向き合ってきたthen-dさんの論考一覧を読んでもらったほうが良いと思います。

『恋愛ゲームシナリオライタ論集 30人×30説+』掲載原稿リンク集 - then-d’s theoria blog ver.
麻枝准論 亡き現在のためのパヴァーヌ

これを読んだ上で、それでもAngelBeats!やCharlotteに突っ込みたいという人は、それはそれで構いません。多分分かる人って半分いないだろうし、それでいいと思ってます。


アンチの方々へ

作品に反発を感じる事自体は間違いだとは思わない。自分が良くないと思っているものが、妙に持ち上げられているのを見て否定せずには気が済まずにアンチになる人達の気持も否定するつもりはない。

ただ、それだけを持って麻枝准作品そのものだとか、麻枝准作品を楽しんでいる人を否定するところまでいくと話は別である。気に入らない点を批判するのは構わないです。だけれど、そこから先に進んで作品を楽しんでいる人をバカにしたりしないで欲しい。口汚く罵るとか論外です。それはやり過ぎ。自分の感性と合わないならそれはそれで結構。 自分が気に入らない作品が持ち上げられていることが気に入らない、という感情を表に出すのも結構。

だけど、そこまでで踏みとどまれないならただの狼藉者です。アンチ以下の存在に成り果ててしまいます。楽しんでいる人の楽しみを邪魔しないであげください。かわりに自分が楽しいと思うものを全力で語ってください。

よろしくお願いいたします。