NHKスペシャル「憎しみはこうして激化した〜戦争とプロパガンダ〜」 2015.09.25


今から70年前。
アメリカで上映された一本の映画が国民を熱狂させました。
日米が激戦を繰り広げた硫黄島で撮影された映画です。
およそ100人のカメラマンを動員して撮影された戦場の姿。
クライマックスは兵士たちが硫黄島に星条旗を掲げる場面。
この映像は今に至るまで勝利のシンボルとしてアメリカの歴史に刻まれます。
この映像の撮影を指示した人物が今も健在である事が分かりました。
硫黄島の映画は国民を戦争に駆り立てるために作られたのだと言います。
太平洋戦争では日米双方が敵に対する憎しみをあおり互いの人間性を否定するプロパガンダを繰り返しました。
日本は国民全員が国のために命をささげるよう鼓舞しました。
一方アメリカも日本人に対する敵がい心を植え付けていきます。
(一同)バンザ〜イ!こうした映画のために撮影されたフィルムはアメリカ海兵隊のものだけでおよそ3,000本。
その未編集の素材を今回入手しました。
映画では決して公開されなかった映像。
遺体を冒とくするアメリカ兵の姿など軍にとって不都合な映像は巧妙に隠されていました。
国家が戦争を推し進めるためのプロパガンダ。
憎しみはどのように生み出されエスカレートしていったのか。
隠されてきたフィルムと証言からその真実に迫ります。
日本による真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まりました。
この年対日戦の主力を担う海兵隊に戦場を記録する映像部が初めて設立されます。
その創設メンバーの一人がノーマン・ハッチ氏でした。
撮影部隊の責任者を務め検閲にも深く関わったアメリカの映像戦略の内実を知る数少ない生き残りです。
ハッチ氏らには重要な任務が与えられていました。
戦場の最前線をつぶさに記録し国民の戦意高揚につなげる事です。
当初破竹の勢いで勢力圏を拡大した日本。
しかしミッドウェー海戦での大敗を機に戦局が大きく転換しました。
戦いの中心は太平洋の島々へと移っていきます。
1943年11月。
アメリカ軍は当時日本軍が守備する島の中で最も東に位置するタラワに迫ります。
4,600人の日本軍が待ち受ける島。
タラワは海兵隊が上陸から地上戦までを最前線で撮影した初めての戦場となります。
ハッチ氏にとっても初めての最前線でした。
この時海兵隊は海から陸へそのまま侵入できる新型の水陸両用車を初めて投入。
ハッチ氏も同乗し兵士と共に上陸しました。
その最初の映像です。
手前にいるアメリカ兵が日本兵を撃つ瞬間を至近距離で捉えています。
映像はそれまで記録された事のないものだったと言います。
3日間の戦闘で日米合わせておよそ7,800人が死傷しました。
この映像をアメリカ政府は戦費調達のプロパガンダに利用します。
その中心となったのが財務省のモーゲンソウ長官でした。
長官の日誌に政府関係者と電話で話した記録が残っていました。
タラワの映像に目をつけた財務省。
この時アメリカはヨーロッパと太平洋の2つの戦線を戦うために790億ドルに及ぶ戦費を必要としていました。
これは開戦前の国家予算の6倍に相当するばく大な額です。
モーゲンソウ長官は戦時国債を大々的に売り出します。
これはタラワの戦いの前に財務省が戦時国債を売るために利用した映画です。
しかし国債は思うように売れませんでした。
当時の映画はドラマ仕立ての現実味のないものだったのです。
国民の多くにとって太平洋での戦争はまだアメリカ本国から遠く離れた出来事でした。
開戦からおよそ2年後のアメリカの世論調査です。
この時点でも戦争を深刻に考えていないとする国民が半分以上に上っていました。
そこで財務省はタラワでの実戦の映像を見せる事で国民の危機感をあおり国債の販売につなげようとしたのです。
映画はハリウッドで活躍するナレーターや編集音響効果など一流のスタッフによって製作されました。
実戦の映像だけで描いた初めての映画でした。
第2次世界大戦中で初めてアメリカ兵の遺体の映像が国民の目にさらされます。
この映像は戦争に関心を持っていなかった国民と戦場との距離を一気に近づけました。
財務省はこの映画を戦費調達のため全米の映画館や学校などで大々的に上映。
撮影したハッチ氏も戦時国債の販売キャンペーンに一役買いました。
このキャンペーンでは1か月で167億ドルの国債を販売。
これは第2次世界大戦における日本の戦費のおよそ3割にあたる額でした。
タラワの映画はアカデミー賞を受賞。
映画を利用して調達した巨額の戦費。
アメリカは日本への攻勢を強めていきます。
劣勢が続く日本もプロパガンダで対抗します。
1943年10月。
兵力不足を補うため学徒出陣が始まりました。
戦地へ赴く学生はおよそ10万人。
若者たちの勇壮な姿を強調し国民の戦意を高揚させました。
全ての国民に対し戦争に向けて立ち上がるよう鼓舞。
アメリカは血も涙もない鬼であると繰り返し宣伝しました。
1944年6月。
日本の戦況は更に悪化。
絶対国防圏の内側に位置するサイパンにアメリカ軍が侵攻します。
この戦いを機にアメリカの日本人に対する認識が大きく変わっていきます。
島には日本の民間人およそ2万2,000人が暮らしていました。
当時人々の間では捕虜になれば男性は八つ裂きにされ女性は辱めを受けると信じられていました。
海兵隊が撮影したフィルムには多くの民間人が自ら命を絶つ様子が記録されています。
民間人に投降を呼びかけているこのアメリカ兵。
今も健在である事が分かりました。
こんにちは。
情報部の将校だったロバート・シークス元大尉です。
心配しないで安全に出てきて下さい。
シークス氏の呼びかけで多くの民間人が投降しました。
しかし自ら命を絶った人も少なくなかったと言います。
シークス氏はその様子を目の当たりにしました。
フィルムには海面に浮かぶ赤ちゃんの遺体。
女性の遺体も映されていました。
サイパン島における民間人の死を巡って日米双方はプロパガンダを加速。
日本では民間人の自決をたたえました。
子どもたちにも軍民一体化の教育が徹底されます。
一方アメリカは撮影した映像を日本人は異常だというイメージにつなげていきます。
これはアメリカ兵を教育するために作られた映画です。
「日本では民間人も軍人と同様に自ら進んで死を選ぶ」と教えています。
この映画に使われる事なく隠されてきたフィルムも見つかりました。
女性や子どもの遺体など日本人への同情心を呼び起こす映像はその後もアメリカ国民の目に触れる事はありませんでした。
長年太平洋戦争を研究しピュリッツァー賞を受賞した歴史家のジョン・ダワー氏。
サイパンで作られた日本人のイメージはアメリカのその後の戦い方を大きく変えたと言います。
サイパン陥落後アメリカは日本本土への空襲のため新型爆撃機B29の生産を急ピッチで進めていきます。
生産力を高めるためアメリカ政府は軍需工場向けのプロパガンダ映画も製作していました。
正義のために日本人を殺す事は正しいと恣意的な編集で強調しています。
日本人を人間と見なさず哀れみは無用という考えを国民に広く浸透させていきました。
1944年9月。
アメリカのプロパガンダ戦略を変えた戦いが行われます。
ペリリュー島の戦いを描いたこの映画ではアメリカ軍が日本軍を圧倒する場面を強調しています。
初めて導入した新型の殺りく兵器。
130メートル先まで炎を飛ばす事ができる火炎放射器です。
しかし勇猛果敢な映画の裏で疲弊しきった兵士たちの姿も記録されていました。
海兵隊の撮影部隊の創設に関わったハッチ氏はその後軍の命令で映像を検閲する任務にもついていました。
200ページに及ぶ検閲報告書。
ハッチ氏が作成したものだと言います。
国民の間にえん戦気分が広がらないよう厳しく検閲していたと言います。
カラーフィルムで生々しく記録された負傷兵たち。
この戦いでアメリカ軍はおよそ1万人の死傷者を出していました。
しかしこうした映像は全て封印されていました。
検閲された映像の中には錯乱状態に陥った兵士の姿もありました。
凄惨な戦場で正気を保つ事ができなくなる兵士が相次いでいたのです。
この戦いで海兵隊の死傷率は最悪を記録。
ペリリュー島の戦闘を機に軍は不都合な映像を検閲し厳しく管理するようになっていったのです。
1945年2月。
アメリカはついに戦前からの日本の領土である硫黄島に迫ります。
硫黄島の守備隊の様子を伝える日本のニュースです。
守りの拠点は島で最も高いすり鉢山。
2万人の守備隊で徹底抗戦すると誇示しています。
対するアメリカは日本本土への決戦を前に海軍省のトップフォレスタル長官自らが硫黄島に赴きます。
そこには強い危機感がありました。
硫黄島の戦いの直前連合国の首脳が集まり既に戦後処理の枠組みが話し合われていました。
アメリカ政府はその一方で終戦は近いと国民の間に楽観ムードが広がる事を危惧していたのです。
フォレスタル長官がこの時財務省のモーゲンソウ長官に伝えた言葉です。
「国民に戦争の必要性を理解させるには戦場で戦う兵士の英雄的な行為が最も効果的だ」。
硫黄島ではこれまでで最大の100人からなる撮影部隊をハッチ氏が率いる事になりました。
アメリカ軍が目指したのは日本軍が拠点を置くあのすり鉢山の山頂でした。
上陸5日目山頂にたどりついたアメリカ軍が星条旗を掲げます。
戦闘が続く中撮影できたのは写真のみ。
旗も小さなものでした。
それを見たフォレスタル長官の意向でより大きな旗を改めて掲げ直す命令が出されます。
ハッチ氏は急きょその撮影を指揮しました。
こうして実際に山を制圧したのとは別の兵士たちが集められ星条旗を改めて掲げました。
カメラマンが待ち構える前で計算されたアングルで決定的瞬間が記録されたのです。
その2日後アメリカ各地の新聞が一斉にこの姿を掲載しました。
続いて映画も公開されました。
すり鉢山に星条旗が掲げられるまでがドラマチックに描かれています。
映像は国民を熱狂させ戦争を継続していく原動力となりました。
国民の戦意を再び高めるために英雄が必要だとしていた海軍省と財務省。
2回目の星条旗を揚げた兵士たちを英雄として呼び寄せます。
そして戦時国債のキャンペーンを大々的に行います。
硫黄島の映像で国債の販売額は過去最高を記録。
こうしてアメリカは全戦費の6割にあたる額を国債で調達したのです。
アメリカ本土で人々が熱狂していた頃硫黄島ではまだ血で血を洗う戦闘が続いていました。
死傷者は日に日に増え続けそれまでで最大の2万人を超える事態になっていました。
硫黄島で最後まで戦った元海兵隊員のロバート・ミューラー氏です。
映画の中の戦場は実際の戦いとはかけ離れたものだったと言います。
ミューラー氏は戦場で目にした仲間の無残な姿が今も脳裏から離れないと言います。
憎しみが憎しみを呼ぶ凄惨な戦場。
アメリカ兵は日本兵が潜む洞窟を片っ端から焼き尽くしていきました。
一方日本軍は地下に張り巡らせたトンネル陣地で徹底抗戦しました。
海軍の通信兵として最後まで戦った秋草鶴次さんです。
潜んでいた洞窟にガソリンを混ぜた水が洪水のように押し寄せ一面が火の海になったと言います。
秋草さんの目の前で仲間たちが生きたまま焼かれていったと言います。
日米合わせて5万人の死傷者を出した壮絶な戦闘。
星条旗が掲げられた後も1か月以上にわたって続けられました。
作られた英雄のイメージの陰には伝えられなかった戦場の現実がありました。
硫黄島の戦況が報じられる中日本軍は捨て身の特攻作戦を繰り返していきます。
この快報を受けて我が特攻隊は直ちに出発。
(飛行機の音)一方市民に向けては本土空襲に備えるための映像が流されました。
アメリカ軍の日本本土進攻作戦の計画書です。
「日本人は兵士だけでなく民間人も狂信的で敵意に満ちている」としています。
この前提のもと民間人を巻き込んだ攻撃が始まります。
沖縄戦では海から60万発を超える砲弾を発射。
民間人およそ10万人が犠牲となった激しい戦闘が行われました。
更に国内200都市への空襲が繰り返されます。
いわゆる無差別攻撃によって女性や子どもも含むおよそ20万人が命を落としました。
そのさなかにアメリカで作られていたプロパガンダ映画「敵を知れ」です。
占領地などで入手した日本の映像で作られています。
日本では兵器の生産を一般市民が担っているとし都市への爆撃の正当性を訴えます。
日用品を作る民間人と兵器の映像を組み合わせイメージを操作しています。
そして8月広島と長崎に相次いで原爆を投下します。
アメリカ軍が映画「敵を知れ」を公開したのは長崎が焦土と化した8月9日の事でした。
原爆投下から1か月後ハッチ氏は撮影部隊を率いて長崎に入りました。
想像を超えた原爆の被害。
被爆者にカメラを向ける事はできなかったと言います。
戦場の英雄としてシンボルとなった硫黄島の兵士像。
今でも夏になると国のために命をささげた兵士たちをたたえようと多くの人々が集まります。
あの戦争から70年。
国家が戦争を推し進めた時憎しみはどのようにエスカレートしていくのか。
真実はいかに隠されるのか。
戦場の映像が訴えかけています。
2015/09/25(金) 01:30〜02:20
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「憎しみはこうして激化した〜戦争とプロパガンダ〜」[字][再]

太平洋戦争時、日米のプロパガンダによって、憎しみはどのように増幅されていったのか。膨大なフィルムと極秘資料で、戦争とプロパガンダが何をもたらすのか明らかにする。

詳細情報
番組内容
米海兵隊が太平洋戦争の戦場で撮影した、約3000本、500時間のフィルム。当時制作されたプロパガンダ映画の元素材だ。米軍は「映像は兵器だ」として、戦意を高揚させる映像を大々的に流す一方、「不都合な映像」を検閲し排除していた。日米双方のプロパガンダで、憎しみはどのようにエスカレートしたのか。膨大なフィルムと極秘資料、そして元カメラマンらの証言から、戦争とプロパガンダが何をもたらすのかを明らかにする。
出演者
【語り】柴田祐規子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 報道特番

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