大学の教員公募が実際には公募になっていないことがある理由

日本の研究力を強化させるためには、優秀な研究者が公正な競争の結果PIの職に就けて、さらに自分の研究を発展させられるようにすることが重要です。しかしながら、現実はというと、「公募」と称しておきながら実際には公募でないことが多いという強い不満の声が聞かれます。

大学教員の採用については、形式的には公募制がとられていても、その情報の流通が十分でないために、結果として閉鎖的な人事が行われている場合もあると言われている。大学における教育研究の活性化のために 文部科学省

公募の偽装を公に認める大学はないでしょうが、まずは現実を直視しない限り改善策が見出せないでしょう。公募出来レースの真相、問題点を取り上げたネット上の記事を紹介します。

さらに頭に来るのは、「公募」と称して自分も参加したポスト獲得競争において、明らかに自分よりも業績や能力に劣ると思われる候補者が選ばれることをしばしば経験することでしょう。そのたびに、この国にはフェアな競争がないと絶望的な気持ちになることは想像に難くありません。ポスドクから見たダメ教員 5号館のつぶやき 2007年 10月 28日

このブログ記事では興味深い議論がなされており、論文業績の格差にも関わらずなぜ内部昇進が行われるのかの内情を説明するコメントが紹介されています。

多くの教員は業績があって採用されて、その後成果を上げられなくなっていっています。特に最近は。なぜか?まず週に講義を5-6コマ担当し、入試・教務・学生委員会など委員に選ばれれば必ず出る必要のあるさぼれない委員会や会議が週平均1.5回くらいあります。校費は昔は100万以上あったのが今は10-40万です。大手の大学と違って、卒業研究の指導も教授自ら真剣に手取り足取りやる必要があります。そのうちちょっとデキの良い学生は大手の大学の大学院に行ってしまい、自分のところには誰も来ないか、来ても2年間バイトにあけくれるモラトリアム組です。

 そして、論文も急速に出なくなり、着任当時は当たっていた科研費も次第に当たらなくなります。
 ここで公募で(場合によっては所属ラボのお陰もあって)すばらしい業績をもつポスドクと競っても、地方で苦労して教育と運営をしている教員は負けるでしょう。しかし、そのポスドクも慣れない教育と運営に四苦八苦しているうちに結局は前任者と同じ運命をたどるでしょう。
 そこで現場で行われているのは、公募条件を厳しくして当該内部候補しか当てはまらないような募集をするのです。ポスドクから見たダメ教員 5号館のつぶやき 2007年 10月 28日

地方大学ならではの悩みがあるようで、実際に公募要項にもその理解を求めるような記述をしている大学もあります。

応募資格(3)地方大学の現状を理解して教育・研究および大学運営に対応できる者
岩手大学は男女共同参画を推進しています(http://www.iwate-u.ac.jp/gender/)。 …
(https://jrecin.jst.go.jp/seek/SeekJorDetail?fn=4&id=D115080098&ln_jor=0)

 公正な審査をすっ飛ばした結果、最悪の事態を迎えたのが、あのSTAP細胞事件でした。小保方氏がリクルートされたときの状況が詳細に報道され、公募の実態の一端が一般の人の目にも明らかになった珍しい事例です。

2)運営における不誠実なヤラセ行為を止めよ
私は、STAP問題にあった背景の本質の1つは、「人事」であったと思っています。ところが、メディアなどでは、これを真正面から取り上げた記事を見たことがありません。1つは、小保方氏をCDBのユニットリーダーに採用した「出来レース」。これは、理研CDBの関係者は「出来レースではない」と言い張るが、本当でしょうか。幹細胞の分野のPIを募集するという「公募」の英文を書いたのは、一体誰だったのでしょうか?昨今の科学研究体制への苦情と提言 わがまま科学者 2014年12月29日

RIKENですらこうなのですから、偽装公募の問題は地方大学に限ったものではなさそうです。公募だったはずの人事が、フタを開けてみたら内部昇進させていただけだったという例は、首都圏にある日本有数の研究大学でも見受けられます。学生を研究者に育てるための教育を大学で行うためには、PIには高い研究能力が要求されるはずなのですが。

業績欄のレベルについては、今の日本の助教(40歳前後)はおろか、准教授(45歳前後)でも今のポスドクよりも業績欄が寂しいことは珍しくないように思います。

結局、現在のバイオ業界は、ポスドクが次のステップに行くための業績の最低ラインだけを著しく上げている(Nature/Cell /Scienceクラスの論文が必須)にも関わらず、いったん助教や准教授となった人たちは過剰なまでに守るという図式になっていて、これこそが、今のポ スドク就職難の原因なのではないかと思います。
(BioMedサーカス.com 研究者の声:オピニオン 2013年12月15日更新 執筆者:ポスドク@関東地方)

 みせかけの公募はいつの時代にもあるようです。

また,ある地方に県立大学が開設されることになり,学会誌の求人欄にて,その教授や助教授の募集の公示が出 ておりました。それには,ちょうど私の専門分野に関係する部門のポストがありました。 当時の私は,一応の論文数もあったので,教授職に応募するべく自信 を持って書類を作成し,大学開設準備室へ送付しました。 しかし,締め切り後,面接の通知もなく,一ヶ月ほどして紙切れ一枚の不採用の通知。なぜ不採用な のか自分でも疑問に思えてなりませんでした。
ところが,翌年に開設されたその大学の教員リストを見ると,なんと,全部,地元の旧帝大のOBであることを知り,唖然とし,腹立たしさも覚えまし た。 しかも,私が応募した部門の採用者の業績はそれほど多くはありませんでした。 結局,その採用者以外の応募者ははじめから「当て馬」であり,利用さ れただけでした。
公募には,「候補者が決まっているが,公募で採用を決めたという形式にする」ためのものと,文字通り「広く門戸を開いた完全に平等な人材募集」の2種類があることを,そして,いずれの場合でも,複数の著名な方々からの推薦書が絶大な効果をもたらすことを,私は学びました。大学院博士課程のあなたへ、たやすく研究者の道、諦めないで! 大槻義彦の叫び  2015-07-12

 

こうなると公募に応募書類を出す意味がどれだけあるのか、ということになりますが。

公募の体裁を取っていながら、実際は出来公募だったり、教員選考委員にコネを持った他の応募者がいるので、面接に呼ばれてもコネがなければ採用に至るのは難しく連敗を重ねてしまうことが多いようだ。しかし、デキ公募でも選考委員全員の意見が「デキ公募」で完全に一致していることは稀である。即ち、公平に選考しよう(したい)と考えている選考委員は少数だが存在する。(私の公募に対する心構えメモ http://www.geocities.jp/ryannmaryu16/point.html

就職において人間関係が重要というのは普遍の真理です。

今回の公募もコネ公募ではなく、JREC-IN を見て応募したガチ公募でした。しかし、応募してからわかったことでしたが、受け入れ先の教授の先生は、私と深いつながりのある先生と、かつて同じ研究室にいたことがあったそうです。常にシンポジウムで顔を合わすような先生ならたいてい知っているわけですが、現在の互いの研究がそこまで似ているとは限らず、意外な接点というのは把握しきれません。今回はその深いつながりの先生の名前を「所見がもとめられる研究者」として挙げたわけではなかったのですが、ちゃんとその先生にも調査が入っていました。なので、応募した私としては完全なガチ公募ではあったのですが、採用側や上のほうの先生たちの間で様々な思惑 (コネ的な側面) が本当になかったのかと言えば、どうなのかなあ、という印象は持っています。教員公募、内定をもらって思うこと  研究者って自称ギタリストと何が違うの? 2015-01 19

公募により教員を採用していることを明言している大学もあります。

また、オホーツクキャンパスでは公募制に切り替えてから、採用目的に合致するか期待以上の研究能力と教育者としての資質をもつ人材が得られるようになってきた。その結果、当該学科・研究室の研究レベルや教育レベルが向上しつつあり、全体が活性化し始めている。さらにこれらの人材は現在進行中の学部・学科再編のキーパーソンになりつつある。今のところ、公募制の長所だけが目立ち、短所は表面化していない。教員選考手続における公募制の導入状況とその運用の適切性 東京農業大学 自己点検評価書

公募が本当に公募なのか、公募でどんな人材が求められているのかは、ひとえに採用する大学側の都合であり、応募する側には知りえないことです。

公募広告が出ていても実は候補者がいたり、内部昇進を形式上カムフラージュするために公募したりと、ようするに「デキレース」とか「見せかけ公募」ってえのがあるのわ確かだ。
でもなベイベーきいてくれ、デキレースかどうかなんて、応募するおいらたちにはわからねえのよ。だから、あれこれと余計なことを考えている暇があったら、応募すりゃいいじゃねえか!
デキがいいとか良くないとかいった制度批判もすぐに過熱する傾向があるぜ。気をつけるんだな、そうゆう議論に時間を奪われちゃあいけねえぜ。そいつは貴重な公募応募活動時間の浪費だ。
目をさますんだシェキナベイベー!! 

デキレースかどうかなんてかんがえるんじゃねえぜ! 大学教員公募戦線仏恥義理シェキナベイベー

一流の研究実績を持つ人物を求めている人事だったら研究実績だけ見て教歴は考慮されないかもしれないし、教育指導に優れた人物を求めている人事だったら研究実績はそんなに重視されないかもしれない。それだけのことサ。学位をとってから民間企業の研究所だとか公的機関だとかで研究に専念してきた研究者が大学教員になる例は珍しくない。助手の経験もなく、講義の経験もなく、大学独特の教室運営に関する経験も無い彼らに求められているのは教歴かい?それとも研究能力かい?
いいかベイベーきいてくれ。
人事の数だけモノサシがあるんだよ。
人事の数だけものさしがある 大学教員公募戦線仏恥義理シェキナベイベー