NHK高校講座 世界史「ムガル帝国からインド帝国へ」 2015.09.25


鎖国下の日本でも…
(眞鍋)マジカル・ヒストリー倶楽部にようこそ!歴史を知れば旅はもっと楽しくなります。
今回も世界を旅して歴史を学んでいきましょう。
さあ今回文太君に与えたミッション。
(永松)はい。
「ムガル帝国からインド帝国へ」という事なんだけどどんな歴史があるのかな?はい。
16世紀から19世紀アジアでは4つの帝国が並んで繁栄していました。
まずはこちらをご覧下さい。
うん。
これは17世紀後半の地図です。
トルコではオスマン帝国イランではサファヴィー朝中国では清そしてインドではムガル帝国が栄えたんです。
なるほど。
これまではアジア地域の帝国の繁栄を見てきたけど今回はインドが舞台だっていう事だね。
いやどんな帝国だったのかな?はい。
そうなんだ。
はい。
つまりインドの外から進入した勢力が打ち立てた帝国なんです。
へえ〜。
そしてその崩壊後はイギリスが植民地として新しい帝国を築く事になります。
今回はその時代のインドの歴史をたどっていこうという旅です。
なるほど。
それではマジカル・ヒストリー・ツアー。
まずは見どころです。
いざ3つのビューポイント!今回のマジカル・ヒストリー・ツアーはインドの繁栄と衰退の歴史をたどる旅。
訪れるのはインド。
時代は…まずは300年以上続いたムガル帝国の支配体制の背景を探ります。
そしてその後ムガル帝国に代わってイギリスがインドを植民地とします。
その支配方法はどのようなものだったのでしょうか。
マジカル・ヒストリー・ツアー。
インドの繁栄と衰退の歴史をたどる旅へさあ出かけましょう!インドといえばこれまで仏教が衰退してヒンドゥー教が強くなったところまでは習ったと思うんだけど16世紀に入るとどういう状況になったのかな?当時は南インドではヒンドゥー教の王国があったんですが北インドではイスラーム王朝が勢力を持っていました。
そこに別のイスラーム勢力が進入しムガル帝国を築く事になるんです。
ほう。
ムガル帝国はそれを支える軍事と財政のシステムを持っていました。
ふ〜ん。
それではファースト・ビューポイント!いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー。
まず初めはインド北部の都市アグラ近郊にある都の遺跡から。
16世紀イスラーム王朝のムガル帝国第3代皇帝アクバルが築いた都です。
残された宮廷の建築物にはイスラームによく見られるアーチやドームがほとんどありません。
それどころかインド古来の建築様式を取り入れています。
更にはヒンドゥー教の神々の姿も見られます。
イスラーム王朝のムガル帝国の支配とは一体どんなものだったのでしょうか?ここで時間を遡って…。
マジカル・ジャンプ!1526年北インドを拠点にムガル帝国が成立します。
初代皇帝としてムガル帝国の礎を築いたのがバーブルでした。
バーブルはチンギス・ハンの子孫といわれ中央アジアから北インドに進出。
北インドを支配していた王朝との戦いに挑みます。
この時敵軍10万に対しバーブルの軍勢は僅か1万。
しかし機動力の高い騎兵とインドにはまだ伝わっていなかった鉄砲や大砲などの火器を使って戦いに勝利します。
その後ムガル帝国はインド北部に勢力を広げていきました。
ムガル帝国が大国へと成長していくのは第3代皇帝アクバルの時代からです。
1556年2代目皇帝だった父親が急死したため13歳で即位。
成人する頃までに独裁的な権力を手にして軍事や財政の改革を行っていきます。
まずその一つが…マンサブとは官位の事。
帝国の役人に官位を与えその階級に応じて維持すべき騎兵の数などを定めました。
アクバルはまず帝国の軍事力を支えたのです。
財政面では騎兵を維持するのに必要な資金を与えるためにジャーギール制という制度を作りました。
役人たちに官位に応じて土地を割り当て税金を取り立てる権利を与えたのです。
こうした軍事財政システムに支えられ強力な軍隊を持ったアクバルは北インド一帯に領土を拡大します。
支配した人々に対し…そして優秀な人材ならヒンドゥー教徒でも軍人や役人に登用しました。
こうしてアクバルは「万民との平和」を政治理念に掲げ安定的な支配体制を築き上げていきます。
アクバルが新たな都として建設したファテープル・シークリー。
アクバルの「万民との平和」の考えが表れた都です。
インド古来の建築様式を取り入れヒンドゥー教の神々の姿が見られたのもこのためでした。
アクバルはイスラーム以外の要素も見られる新しい文化を誕生させたのです。
う〜ん。
アクバルさん懐が深いな。
はい。
異教徒でも税を払わず共存できるっていうのはさぞかしいろんな文化とか宗教の人が共存できる豊かな国だったんだろうね。
はい。
その融和的な支配と帝国を支えた軍事財政システムによってムガル帝国は領土を拡大し最盛期に向かいます。
うん。
しかし同時に帝国は衰退していくんです。
えっせっかくうまくいってそうだったのにどういう事?そこでセカンド・ビューポイント!ムガル帝国最盛期の様子とその崩壊の原因について探ります。
いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー。
続いては…ムガル帝国を代表する建築物として知られています。
タージ・マハルは第5代皇帝シャー・ジャハーンが若くしてこの世を去った妻のために建てた霊廟です。
シャー・ジャハーンの時代領土を広げたムガル帝国は最盛期を迎えました。
しかしそれは帝国崩壊への始まりでもありました。
一体何が原因だったのでしょうか。
それを知るために…。
マジカル・ジャンプ!ムガル帝国…第5代皇帝シャー・ジャハーンの後を継いで帝位に就きました。
アウラングゼーブの時代帝国の領土は最大になります。
この時代も…しかし…軍事力も頭打ちになってしまいます。
またアウラングゼーブは熱心なムスリムでした。
そのためアクバルが廃止したジズヤを復活するなど「万民との平和」という理念を放棄してしまいます。
これによってヒンドゥー勢力の反乱が度々起こるようになり帝国の求心力は弱まっていきました。
やがてそれらの地方勢力が各地で独立の動きを活発にしていきます。
地方勢力はそれぞれ領地の拡大を狙って争いますがそこにつけ込んだのがインドに進出していたイギリスでした。
アウラングゼーブの死後帝国の力はデリー周辺の限られた地域にしか及ばなくなります。
まだ帝国の支配が揺るぎない時期に建てられたタージ・マハル。
この霊廟はムガル帝国繁栄の象徴でもあったのです。
そっか。
ムガル帝国が最盛期を迎えて領土が最大になった事でそこで成長が止まってしまって崩壊の始まりになっていく訳だね。
はい。
皮肉な結果ですよね。
うん。
拡大する領土がなくなった帝国は財政を立て直すためにヒンドゥー教徒など異教徒への税を復活させました。
ほう。
またヒンドゥー寺院を破壊させたりもしたんです。
いや〜何かせっかくうまくいってそうだったのにね。
そこからじゃあ地方で反乱が始まったりとか独立を宣言したり…。
いや大変な事になっていくんだね。
そうなんです。
その争いに加わったのがイギリスでした。
ほう。
そしてインドは植民地支配を受ける事になっていくんです。
それでは最後のマジカル・ヒストリー・ツアー。
サード・ビューポイント!いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー。
最後はインド最大の商業都市ムンバイから。
19世紀末イギリスの植民地時代に建てられた駅舎です。
今も現役の駅として使用されています。
かつてボンベイと呼ばれたムンバイはイギリスの植民地政策の拠点でした。
ここから全国に鉄道網が敷かれ駅にはインド中から物資が集まり駅の裏にあった港へと運ばれました。
まるで宮殿を思わせるような駅舎は植民地支配の象徴であり大英帝国の権威を示していました。
イギリスはどのような植民地支配を行ったのでしょうか。
それを探るために…。
マジカル・ジャンプ!18世紀地方の独立政権同士の争いに乗じてインドに進出したのがイギリスでした。
そのけん引役となったのが1600年に設立されたイギリス東インド会社です。
インドの地方勢力が争う中イギリス東インド会社は…19世紀に入ると東インド会社は貿易会社から統治の主体へと変わっていきました。
1857年にはイギリスに対する反感が頂点に達し大きな反乱が起きます。
この時反乱の象徴としてムガル帝国の第17代皇帝バハードゥル・シャー2世が担ぎ出されますが反乱が鎮圧されるとともにその地位を追われてしまいました。
こうして300年以上続いたムガル帝国の歴史に幕が引かれました。
その後イギリスは東インド会社を解散して直接統治に乗り出してきます。
1877年ヴィクトリア女王がインド皇帝を兼任する事となりイギリス領インド帝国が成立します。
これでインドは名実ともにイギリスの植民地となりました。
イギリスはインドへの通信網を整備し帝国全域に鉄道網も広げていきました。
この収入によって得られる利益はほとんどイギリスのものとなったのです。
こうしてインドの富は一方的にイギリスに向かって流出していく事になります。
う〜ん。
インドから遠く離れたイギリスの女王がインドの皇帝になるっていうのはこの時代になってくるとかなりグローバルになってきたなって感じはするけど…。
でもその植民地支配のやり方っていうのはインドの人にとってはたまらなかったろうね。
そうですね。
イギリスの…なかなかうまくはいきませんでした。
結局独立したのは第2次世界大戦の後だったんです。
そんなに長く支配されてたんだね。
はい。
いや私もロンドンに行った時においしいインドカレーのお店がいっぱいあるなと思ったんだけどその裏にはこういう悲しい歴史もあったんだね。
そうですね。
ここからは歴史の深いお話アドバイザーの水島先生に伺っていきます。
(2人)よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今日は「世界に広がるインド人」というテーマでお話させて頂きたいと思います。
地図を持ってきました。
これは世界各地にいる在外インド人の数を円グラフと場所で示したものですね。
(永松眞鍋)あ〜。
いやでも先生本当に遠くまでインドから行ってるんですね。
その背景にはイギリスがインドも支配しますけれども世界中に植民地を広げていく訳です。
それに応じて人の移動人の流れも随分活発になっていきます。
まず19世紀の初めはですね中米のような所にですねカリブ海沿岸地域にインドからサトウキビ・プランテーションの単純労働者として移動していく訳ですね。
労働力だったんですね。
そうです。
で19世紀も後半になってきますとマレーシアとかあるいは東アフリカマレーシアもプランテーションが活発に開発されるようになりますし東アフリカの方は鉄道の建設そこの労働者たちが東アフリカを中心に移動していくと。
石油の値段が一挙に高騰するんですね。
高くなります。
その石油からの収益を自分たちのこの地域の開発に使おうと労働者が必要になる。
それでインドから中東に対して人が移動していったと。
でも先生やっぱりこの地図で見るとアメリカはすごく多いですね。
確かに。
本当ですね。
アメリカへの移民の特徴はですねやはり学歴が高い。
向こうの大学あるいは高等教育を受けにインド人が留学のような形でですね。
彼らの一部がどんどんどんどんアメリカで仕事を見つけてそこに住むようになる。
それが1970〜1980年代になりますといわゆるIT産業というコンピューターにつながる産業ですね。
シリコンバレーってのがサンフランシスコにあるんですけれどもそこの中核的な技術者として活躍しているという事になります。
いや先生面白いお話どうも…。
(2人)ありがとうございました。
ありがとうございました。
いやねえ文太君世界で住んで働くっていうのは大変だと思うけどどっか行ってみたい国はある?そうですね。
でもやっぱり僕は日本が好きなんで日本に住んでいろんな国に行ってみたいです。
それが実現するっていうのはやはり世界でちゃんと平和な状態が続いていると。
確かに。
是非海外に進出していって下さい。
はい。
よし。
夢は大きく持とう。
大きくいきますよ。
ムガル帝国に代わってイギリス国王が皇帝を兼ねる…2015/09/25(金) 14:20〜14:40
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 世界史「ムガル帝国からインド帝国へ」[字]

歴史を知ると、旅はもっと楽しくなる! 世界各地の遺跡や観光地に隠された歴史の秘密を解き明かすマジカル・ヒストリー・ツアーに、みなさんも出かけましょう。

詳細情報
番組内容
歴史の秘密を解き明かすマジカル・ヒストリー・ツアー。今回訪ねるのはインド。中央アジアからインドに進出したバーブルによって、1526年にムガル帝国が建国された。やがてムガル帝国はインドの大半を支配して最盛期を迎えたが、18世紀にヨーロッパの国々の進出を許し、19世紀には全土がイギリスの植民地となってしまう。それは一体なぜだったのか? ムガル帝国の発展と衰退の歴史をたどる。【出演】眞鍋かをり、永松文太
出演者
【講師】東京大学教授…水島司,【司会】眞鍋かをり,永松文太,【語り】山田みほ

ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
バラエティ – その他
趣味/教育 – 大学生・受験

映像 : 480i(525i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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