SONGSスペシャル「矢沢永吉」 2015.09.25


自分で言うのも何ですけども…今月66歳を迎えたロックンローラー…日本のロックシーンを築いたカリスマ永ちゃん。
どうもはじめまして。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
そんな永ちゃんが今話してみたい男だと僕の名前を挙げてくれた。
うちの嫁さんも大ファン。
ありがとうございます。
演技がすばらしくて。
よろしくお願いします。
お願いします。
自分の父親よりも年上の…対談の3日前東京ドームで初めて永ちゃんのライブを見た。

(観客)永ちゃん永ちゃん!鳴りやまない5万人の永ちゃんコール。
(観客)永ちゃん永ちゃん!ステージを見つめる客席のキラキラした表情。
年齢を感じさせない力強いパフォーマンス。
2時間半圧倒されっぱなしだった。
何で永ちゃんはこんなにパワフルなんだろう。
何で40年も走り続けてこられたんだろう。
何でこんなに心が揺さぶられるんだろう。
俺なんて…31歳の僕に語るのはステージに立ち続けてきた66歳の生き方。
「バカたれ」って…。
いつだって思った事を口にしてきた永ちゃん。
…と言われるぐらいになってやろうと思ったね。
だから俺は…先に言ってから自分でケツたたいて行動を起こすというやり方をやってこられたじゃないですか。
できないんですよ。
いや…。
4月からの…カメラが見つめたのは…華やかなステージの裏側。
自らの体と向き合いひたむきに最高のステージを求め続けていた。
ありがとう〜!ロックンロール!誰も知らなかった素顔の永ちゃん。
その生きざまが僕らに教えてくれる事が…ある。
東京ドームライブ見させて頂きました。
ありがとうございます。
すごかったです。
ハハハッ。
矢沢さんももちろんそうなんですけどファンの方たちの熱気が今までライブいろんな方の見に行ったんですけどあんな熱気見た事なくてまずそこで圧倒されてすげぇなと思ってたらそれ以上のパワーで矢沢さん出てきたんで僕何か何もできない状態でした。
俺結構あがり症だからやる前は「今日できるかな」みたいな「やりきれるかな」というのはあったんですけど車で出たじゃない最初。
そしたらワーッと来たから「もうやっちゃおう!」みたいな感じで手上げて「よろしく!」。
あ〜と言ってるうちにあっという間にもう2時間半ぐらいたって。
ほんとはガクガクしてたの楽屋ではね。
まあそんな感じでしたね。
うだるような暑さが続いたお盆休み。
東京ドームに向けてリハーサルが始まっていた。
矢沢が海外から呼び寄せたのは超一流のミュージシャンたち。
長年彼らと一緒にステージを作ってきた。
今年66歳を迎える矢沢。
ソロデビュー40年で2,000回ものライブを積み重ねてきた。
矢沢独特のリハーサル。
一度も歌詞を見ず椅子にも腰掛けず本番同様全力で動きながら歌い続ける。
ライブの音楽監督を務めるのも矢沢本人。
長年歌ってきた曲でもライブの度にアレンジし直し演奏の質を高めていく。
カモーン!最後まで楽しんで下さい。
よろしく!ロックの先駆けとして時代を切り開いていった。
最新技術を取り入れたド派手な演出。
いち早く海外のミュージシャンを招いて作り上げたワールドクラスのサウンド。
新しいものを貪欲に取り入れ名実共に日本を代表するライブアーティストへと上り詰めた。
矢沢の歴史はまさにライブの歴史。
ずっと大切にしてきたステージへの強い思いがある。
びっくりしました。
ぶっ通しでやる体力がすごいなと思いましたし…。
でも40年ずっとツアーやったり地味なのよ結局は。
同じ事ばっかやってんだから。
地味…。
結構地味。
俺自分の事不器用だと思うもん。
同じ事しかできない。
だから自分で工夫して面白くしちゃう。
ドキドキなっちゃう。
山田さんなんかもそういうのをずっと考えてんじゃないですか?そうですね。
僕はまだ始めて多分16年ぐらいなんですけど極力いろんな作品に出ていろんな役をやるという事をやってます。
それはもっと芝居がうまくなりたいという事もそうですし人をもちろん楽しませたいのもそうなんですけど何より同じ事をやってるので飽きるのが嫌なんですよね。
好きな事…。
そういう事ですよ。
飽きたくないんだよね。
そうですね。
飽きないために自分が…。
飽きなくていつもドキドキワクワク燃えるために開ける必要があるんだよね新しい扉を。
開ける必要があるんですよ。
矢沢が27歳の時に書いた…反骨心をむき出しにした矢沢の生きざまを示す一曲。
ライブでもずっと歌ってきた。
おはようございます。
今夜この曲が新たな試みで生まれ変わる。
よろしくお願いします。
新進気鋭のジャズミュージシャンたちと挑むのは…66歳の歌声で塗り替える27歳の叫び。
フゥ〜フゥ〜。
ロック!
(取材者)おはようございます!おぅ。
お願いしま〜す。
今年の春矢沢は新たな試みに挑んでいた。
そうですね。
若いやつらと全国を回りたいとロックバンドZ’sを結成。
矢沢にとってキャロル以来およそ40年ぶりのバンドになる。
千人以上の若者の中から矢沢自らがオーディションでメンバーを選んだ。
今年は彼らとツアーに出る。
会場は矢沢が若い頃に回っていた小さなホールばかり。
66歳を迎える今あえて初心にかえる。
(笑い声)ねっ。
海外の一流ミュージシャンには到底及ばない演奏力。
しかし矢沢は若いメンバーにもっと大切な事が欠けていると感じていた。
「根性」だって…。
ライブに来てくれるファンに恥ずかしいものは見せられない。
矢沢はどうやってメンバーを鍛えていくか悩んでいた。
若いメンバー若いバンドにしか出せない勢いや熱量がきっとある。
ライブに命を懸けてきた自らの背中を見てメンバーにも情熱を感じてほしい。
このバンドとして見せるべき姿を模索しながら全国14か所のツアーを迎えようとしていた。
大きな挑戦となるツアーの裏で矢沢本人もある問題を抱えていた。
矢沢が口にしたのはこれまで語ってこなかった事実。
ソロデビューの前に矢沢が組んでいたバンドキャロル。
画期的なサウンドと激しいライブが人気だった。
それから40年。
ファンを魅了し続けるパフォーマンスは矢沢の体に大きな負担となっていた。
よろしくお願いします。
ハードなスケジュールをぬって矢沢が訪れたのは都内の治療院。
あの矢沢永吉が病室にいる。
今まで誰にも見せてこなかった姿があった。
僕は明日本番ですから。
これまでの無理がたたり長時間歌い続けると背中と腰が激しく痛む状態。
それがツアーのリハーサルで悪化。
痛み止めなしではステージに立てないほどだった。
全国ツアー初日の会場。
入って入って入って。
本番直前まで最高を目指す。
矢沢の努力が続いていた。
へ〜いご苦労さん!矢沢が取り出したのはボイスレコーダー。
ライブに向けてのアイデアや気付いた事を自宅で吹き込んできたのだ。
矢沢の本気が伝わる16個の注文。
若いメンバーたちに身振り手振りで熱い思いを伝え続ける。
腰の痛みなんて全く感じさせない。

(一同)お願いします!
(一同)はい!
(一同)イエーイ!
(拍手)いよいよ始まった全国ツアー。
痛みを感じさせない矢沢の圧倒的なパフォーマンス。
若いメンバーも矢沢に負けじと食らいついていく。
目の前で飛び散る汗ほとばしる情熱。
若いバンドならではの熱気が客席に伝わっている。
矢沢の新しい挑戦確かな手応えをつかんだ。
自分の体がどんな状態であっても完璧なパフォーマンスを届けたい。
華やかなステージの裏側にはただひたむきにライブをつくり続ける66歳の姿があった。
スタジオとことんやってましたよね。
ねっ。
スタジオ何なんだろうその体力と思って。
僕は正直言って腰がかなりキツい時あったから。
ダンサーに君らこんなにダンスして「大丈夫か?」って言ったら「ボス俺たち自分たちは全員座骨神経痛です!」って言ってた。
じゃ仲間じゃん俺たち。
うれしくなった。
うれしくなったと同時に「あっやれる」と思ったね。
だから何言いたいかっていったら真央ちゃんにしてもスポーツ選手…野球選手もそうサッカーの選手もそうなんだろうけどその道その道で張ってる人は何もないわけないんだよね。
どんなジャンルの人でもね。
そう思ったら楽じゃない?そうですね。
だからまあこれから地味な事いっぱいたまに思う時あると思うんですけどそれでいいのよ。
予定どおりだから。
でも何かその…僕続けるんだと思いますし続けたい気持ちもあるんですけど一つ何か…僕結構ひねくれ者なところがあって役者よりも何か面白いと思えるもの出てこないかなと思ってます。
あのねそれすっごく分かる。
ほんとですか。
実はね山田さんね40ぐらいの時僕ずっと思ってたの。
音楽以外に何かあるんだろうって。
もうね…うんつまんなかったんだね。
困ったな〜。
音楽家が音楽つまんないって困るわけじゃないですか。
何で俺は音楽今面白くねえのかなと思ってまたあがくんですよね。
苦しむ。
何でつまんないの?つまるようにしようと思うとまたそこに新しい事やろうというエネルギーが出てくるんですね。
だから同じ事ですよ。
僕から「同じ」とはなかなか言いづらいですけど。
いやいや。
宿命というのがこの性格あって悔しいというか絶対やめたいとは多分僕一生思わないんですよ芝居を。
そうなると一つ自分の逃げ道としてもなんですけど「これしか僕の一生はないんだ」と思うとウーッってなるのでいや僕はいつだってやめていいんだこれは。
やめる気はないけどこれよりももっとやりたい事ができたらそっちやりゃあいいんだ。
架空の逃げ道を作ってるんですけど。
いやそれが人よ。
それでちょうど30代40代の頭ぐらいにそうやって自分を…「ほんとにこれだけでいいのか」とかそれ思いながら実は貫いてんだよ。
ずっと役者の道を貫くだろうし矢沢もそういう時もありながら音楽しかないもんやっぱり。
18歳の時矢沢はロックンローラーを目指して広島から夜行列車で上京した。
それから10年後成功を手にする。
自らの半生をつづった「成りあがり」は100万部を超えロック歌手として初めて長者番付1位を獲得。
矢沢は20代で頂点まで上り詰めた。
しかし31歳で全てをリセット。
活動拠点をアメリカへと移す。
「真夜中の」”Midnight”youknow?・「真夜中の」「マヨナカノ」。
ろくに英語も話せない中ロックンロールの本場に自分の可能性を求めたのだ。
おセンチにかっこつけてる場合じゃねえなっていうぐらいにモノホンがいっぱいいるわけ向こうに。
日本に来たらスーパープレーヤーになるような者が食べれないぐらいの三流ぐらいでゴロゴロいるわけ。
それ見た時に僕「ワーオ日本の矢沢永吉とか何なのそれ」って。
何しょってるのっていうふうに自分で思うぐらいショックでしたよ。
それだけで十分だったですよ行って。
そこでまた切り替えたですもん。
ワオ!また頑張らなきゃと思いましたしね。
頑張ったって甲子園なんか行けるわけないのによ。
何でよ。
僕が鹿児島から上京したのは中学3年。
デビューのきっかけはスカウトだった。
あぁ〜!デビューからもうすぐ16年。
31歳を迎えた今やりたいと思った役にはどんな役でもチャレンジしている。
何なの!?前から試したかったんだ。
今の僕と同じ31歳の矢沢は何を考えていたのだろうか。
当時のインタビューがある。
僕金欲しいのよ。
金をダッと欲しいわけ。
この「金が欲しい」というのは何が欲しいんだと思います?札って限度あるのよ。
朝昼晩の3食とも決まってるわけ。
それでも「金が欲しい」と矢沢は言ってる。
いわゆる違うんですよ安心感が欲しいんですよ。
ほんとに自分が感じたものと自分が出したいものといいと思うものを絶対…その時に思いっ切り汗をかいて出したい。
それを徹底的にするためにはね底辺を固めなきゃいかんのですよ。
金がないとしたくない仕事も受けなきゃいけない時ある。
絶対自分の信念を曲げてまでやらなきゃいけない仕事もある。
だから僕は一日も早く金もうけようと思った。
自分をまとめるために。
スタジオギンギンギラギラだったですよ。
すごいギラついてました。
おぉっギラついてた。
あの矢沢さんが…僕今同い年なんで。
いや〜…こんなに俺無理だなと思いました。
こんなにギラつくのは無理だなって。
もうかなり前にね「ちょっと見てみようか」って見たんですよ。
見れなかったね。
恥ずかしくてね。
あんまりもう青くてとんがってる自分がいてね。
「俺さぁやるし」みたいな。
「誰に言ってる」っていったら分かんない。
だけど「こいつバカじゃないの」と思いながら「分かるよ」って。
「怖かったんでしょ」って。
「怖かったんだよね」って。
「ほえていたかったんだよね」って。
でも今まで矢沢さん自分で先に言ってから自分でケツたたいて行動を起こすというやり方をやってこられたじゃないですか。
それが「らしい」というか僕それが全く逆というかできないんですよ。
じゃあやりゃあいいじゃない。
いや…。
これから。
面白がっちゃうんだよ。
じゃあやっちゃおうかみたいな。
ハハハハッ。
そうですね。
やった事ないんだったらそれやってみるのもアリですね。
怖ぇ〜なそれ。
でも30の頃に「決めてやろう」がなかったら駄目ですよ。
30のところでいいところ落としどころでっていったらそれはウソだから。
僕は30代40代50代めちゃくちゃ張ってきたから。
今は違う。
「何が何でも」っていうのは「いやいや何が何でも」じゃなくたっていいからというのも加わってきてstillrocksingerまだ現場みたいな。
現場ですよ〜という。
「まあいいんじゃないこれ。
なかなか矢沢もいいね」みたいな事を最近思えるようになりましたよ。
山田さんも絶対そこ行くから。
続くかな〜。
僕もまさか自分が65〜66まで現役で東京ドームでバーンとやってると思わなかったから。
いいわ〜。
いいっすね何か。
夢がありますすごく。
先輩ですごいバーッてやってる人たちがいると「あっいいんだ」って何か自分の勢いというのか「まだまだやれるな自分も」っていうか。
ああそういう意味ね。
いや何かいいですよ矢沢の若い時をチラッと見てるような感じして。
ほんとですか。
そうですか。
40年前26歳の矢沢が書いたバラードがある。
過去の自分と決別し未来へ向かう思いを込めた。
BIGになりたいとほえた20代。
アメリカで大きな挫折をした30代。
時計の針が時を刻むように矢沢は歴史を刻んできた。
そしてこれからも。
青臭い時代に書いた…でも大切な歌。
よろしくお願いします。
東京ドームに向けたリハーサル。
ステージをご覧になりますか?おぅ。
この日は演出をチェックするために実際のセットまで組み立てていた。
6年ぶりの大舞台。
東京ドームが今年最後のステージになる。
次のライブは決まっていない。
66歳の自分の全てを見せきる。
大がかりな演出も用意した。
見せたいのは進化した矢沢のライブ。
ダンスにまで矢沢自らが厳しくダメ出しをしていく。
今までやってきたどんなライブよりもみんなを驚かせたい。
そしてとにかく楽しませたい。
…と思います。
いよいよ今年最後の大一番東京ドーム当日。
会場入りしてからも矢沢は必死にステージと向き合っていた。
最もこだわったのがこのムービングステージ。
巨大なステージが客席の上を動いていくさまは圧巻だ。
しかしなぜか矢沢は全く歌えない。
客席向けのスピーカーから出る音そして矢沢がイヤホンで聴くバンドの演奏。
この2つの音が混ざって何を頼りに歌えばいいのか全く分からない状態だった。
簡単に解決策は見つからない。
しかし諦めない。
絶対に失敗はできない。
矢沢自らが音響の細かいところまで次々と指示を出していく。

(歌声)リハーサルのあと矢沢は楽屋に籠もったまま出てこない。
2時間以上にわたり矢沢の歌声だけが響き渡っていた。

(歌声)
(歓声)本番直前の会場。
(歓声)ギリギリまで全ての力を振り絞って作り上げた今年最後のライブ。
5万人が待つステージへと向かう。
矢沢の願いはただ一つ。
とにかくみんな楽しんでほしい。
みんな楽しんでるかよ〜!何度も繰り返しリハーサルをしたムービングステージ。
「楽しんでほしい」という矢沢の思いはちゃんと客席に届いていた。
皆さん今日はどうもありがとう!最後に1曲いきます!でも5万人の中で誰よりも楽しそうなのは矢沢本人だった。
ありがとう!スタジオあといつまで歌うのかなあ。
よく言われますよ。
ちょっと前はね「永ちゃん70までやってくれ」って。
ふざけんなよ70まで歌えるわけないじゃんって思ったわけ。
今66になるじゃん。
そしたらもう80になってんの。
「永ちゃん80まで歌ってくれ」って。
10年勝手に上げてんだよ。
だからうれしいもんだよね。
いつまでもやってくれって事ですよ。
そうですね。
求められるのはうれしいですね。
幸せな事だよね。
俺ね毎回ね…言ったでしょ?ステージツアーが始まる初日なんてドキドキしてるの。
でもこの怖いとか嫌だよとかドキドキだとかそういうものをまだ現役で持ててるというのは僕はめちゃラッキーだと思う。
これなくなったらおしまいだよ。
一番何が寂しいって何していいか分からないっていう事が一番寂しいじゃないですか。
そうですね。
でも僕らはほら「くそ〜」って言いながらあるんだもん。
文句言いながらあるのよ。
まあはい文句は言いますね。
(笑い声)センキューど〜も!
(拍手と歓声)突然永ちゃんが語り始めた。
もうねこの手紙言うよねみたいな感じちょっとしながらその時考えました。
(拍手と歓声)
(拍手と歓声)人間は欲張りだ。
あれもしたい。
これだってしてみたい。
でも永ちゃんは教えてくれる。
たった一つ「ドキドキ」できるものがあれば人生は最高に楽しいんだと。
僕らも見つけよう。
たった一つだけでいい。
大切にしたい「ドキドキ」を。
ありがとう!ありがとう!ありがとう!ありがとう!ロックンロール!2015/09/25(金) 22:00〜22:50
NHK総合1・神戸
SONGSスペシャル「矢沢永吉」[字]

若者バンドとの全国ツアー、そして一夜限りの東京ドーム公演に密着したドキュメントと、俳優・山田孝之との対談で、今年66歳を迎えたロックスター矢沢永吉の魅力に迫る。

詳細情報
番組内容
日本を代表するロックスター矢沢永吉が今年、躍動した。若者バンドとの全国ツアー、9月5日に5万人を動員した東京ドーム公演と今年66歳にして人生最大規模の音楽活動に挑戦した。半年間にわたる密着ドキュメントと、今最も注目される俳優・山田孝之との対談でカリスマの素顔に迫ると共に、SONGSだけの豪華なスタジオパフォーマンスで、円熟を迎えたロックスターの魅力に迫る。
出演者
【出演】矢沢永吉,山田孝之

ジャンル :
音楽 – 国内ロック・ポップス
音楽 – その他
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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