立山連峰を望む北陸・富山。
なぜか厨房に訪問客が絶えないシェフがいる。
やって来るのは地元の生産者。
丁々発止の掛け合いが始まる。
文句を言うのもシェフに絶大な信頼を寄せるからだ。
(笑い声)ホタルイカ白エビ。
地元で味わい尽くしたはずの食材が全く違う輝きを放つ。
新進気鋭のシェフはタケノコ掘るのも前のめり。
(主題歌)才能ひしめくフレンチの世界。
都会から離れた富山の地に今全国の食通が注目し始めた。
だが5年前の谷口は出口のない迷いの中にいた。
この春新たに挑んだのは地元産のアイガモ。
だが一筋縄ではいかなかった。
それでも挑む理由があった。
「地方にこそ未来がある」。
若き料理人の挑戦の記録。
営業が終わった夜10時。
フレンチシェフ谷口英司はすぐに出かけると言いだした。
到着したのは近くに住む猟師の家だった。
猟師とは去年秋からのつきあい。
これまでにシカやイノシシ更には山菜などの食材も提供してもらっている。
あれはもうけもんや。
うん。
あれよかったです。
谷口の出身は富山ではなく大阪。
この地にやって来たのは5年前の事だ。
谷口がオーナーシェフを務める店は富山県中部神通川が流れる里山にある。
どんなに前の日が遅くても谷口は朝9時には厨房に現れる。
ガス台に火を入れ温めておくのが日課だ。
店は完全予約制。
昼夜それぞれ1種類のお任せコースのみだ。
谷口の経歴は華やか。
フランスの世界的な三つ星店などで最先端のフレンチを習得してきた。
だがここではフランス産のカモやフォアグラトリュフといった有名輸入食材が主役になる事はない。
こうした地元の食材を使って谷口が作るのはフレンチでも和食でもない不思議な料理だ。
まず出されるのは富山湾で取れるゲンゲや山菜などをフレンチの技法でまとめたアミューズ。
甘みや苦みが客の味覚を目覚めさせる。
そしてホタルイカをマスタードであえわさび菜を添えた前菜。
酢みそあえをヒントに意外な組み合わせが驚きを演出する。
谷口が代表作の一つタラを使った料理に取りかかった。
タラの表面の黒色はうろこではない。
そこに富山に息づく食文化の知恵が隠されている。
実は塗られているのは江戸時代からこの地で作られているイカスミ入りの塩辛…谷口は地元食品メーカーに教えを請いこのイカスミにうまみ成分をつくる酵素が豊富に含まれている事を知る。
タラに合わせるのは地元産のえごまのソース。
美しい緑色と風味を保つため用いるのは液体窒素による瞬間冷却だ。
谷口が作ろうとしているのは単に地元の食材を使っただけの料理ではない。
伝統の食文化に先進的な技術を掛け合わせた全く新たな一品。
魚のうまみと野菜の香り。
その双方が豊かに響き合う谷口の真骨頂だ。
週に一度の休日。
谷口さんは「宝探し」と呼ぶドライブに出る。
雨の中訪ねたのは食用の花やハーブを育てる農家の石村さん。
この日谷口さんのために育てておいたという鮮やかな食用のダリアを見せてくれた。
この日は更に別の所にも。
店で使っている銅製の食器を作る職人のもとにも顔を出した。
互いに高め合うこの関係を谷口さんは何よりも大切にする。
「革新は地方でこそ生まれる」。
そんな谷口さんの強い信念は店内のテーブルにも現れている。
谷口さんの店ではランチの際テーブルクロスは使わない。
ナイフとフォークは引き出しの中から客が自分で取り出す。
過剰なサービスを控え素朴さを前面に出した演出だ。
谷口さんは今世界的に広まりつつあるこうした潮流を積極的に取り入れ新しい価値観をここ富山で示そうとしている。
朝5時。
谷口は店から車で10分の竹林にいた。
ここを管理する地元の猟師に頼みタケノコ堀りに同行させてもらっていた。
谷口も掘らせてもらう。
(笑い声)すごいな。
早速谷口はタケノコを使って新作料理に挑む事にした。
だが…。
すぐに悩み始めた。
通常タケノコはあくを抜くため1時間ほど湯がく。
だがそうするとタケノコが本来持つ甘みもやや抜けてしまう。
谷口は甘みやうまみを加えるためにフレンチの世界で「ジュ」と呼ばれる軽めのだしをとり含ませる事にした。
真空パックを使う技法でしみ込ませる。
そしてアサリの煮汁などを泡立てたソースをかけうまみを更に加えてみる。
これでいけるはず。
あとからいくらうまみや甘みを足してみても本来タケノコが持つ野性味あふれる鮮烈な印象はよみがえらない。
何か突破口はないか。
翌朝7時谷口は一人厨房に立っていた。
また猟師に頼み込んでタケノコを掘らせてもらったという。
大胆な試みに打って出ていた。
タケノコは「湯を沸かしてから掘れ」と言われるほど取れたてであればあるほどあくは少ない。
そこで掘ってから車ですぐに運びゆでるまでの時間を僅か20分にまで縮めたのだ。
あくが少ないタケノコならゆで時間を大幅に短くできる。
そうすれば甘みは逃げないはずだ。
果たして客の反応はどうか。
地方で料理人として生きる。
谷口はその意味を今日も考え続ける。
(一同)乾杯!5月。
谷口さんは自らの店でパーティーを開いていた。
招いたのは日頃から店を支えてくれる生産者や職人など44人。
今大切な仲間たちと歩む谷口さん。
だがここに至るまでには料理人としての深い葛藤の日々があった。
谷口さんは昭和51年大阪・豊中で生まれた。
小学生の時料理人の父が独立しとんかつ屋を開いた。
料理を作るその立ち姿がかっこよく強く憧れた。
旅館や洋食店での修業を経て僅か22歳でフレンチの名店へ。
すぐに頭角を現すようになった。
25歳の時にはフランスの世界的名店「ベルナール・ロワゾー」での修業を許された。
そこで最新のフレンチの技法を習得した谷口さん。
「これさえあればどんな所でも戦える」。
修業が終わる頃にはそう確信するようになった。
転機が訪れたのは34歳の時。
フランスから帰国し神戸の店で働いていた時だった。
当時勤めていたレストランから「富山に出す系列店を率いてほしい」と頼まれた。
都会を離れる事に戸惑いながらも富山で働き始めた谷口さん。
海外の豪華な食材を惜しみなく使い磨き上げたテクニックを見せつけるかのような料理を客に出していった。
ところがある日東京から来たという客から言われた。
更に谷口さんを悩ませる事があった。
それは東京や大阪などで働く料理人たちの存在。
彼らのように最新の情報が集まる都会にいれば自分ももっと技術を磨けるのに。
夜一人料理雑誌を眺めると斬新なコンセプトの店やシェフたちの活躍が目に飛び込んできた。
そんなある日の事だった。
谷口さんは店の近くに良い卵や野菜を作ると評判の農家がいる事を知った。
鬱々とした気分を変えるためにふと行ってみる事にした。
そこで働いていたのは農家の河上めぐみさん。
過疎化が進む集落にあって両親と共にこの地で農業を続けレストランなどに卸す野菜を作っていた。
促されるままに谷口さんはたまねぎやにんじんなど野菜を持ち帰る事にした。
ここ富山で前向きに生きる河上さんから手渡された食材。
その重みがなぜだか妙にうれしかった。
その日以降谷口さんは人づてに紹介してもらった農家や漁師たちと次々と会っていった。
山菜ホタルイカかぶらずし。
豊かな食文化が谷口さんを待っていた。
谷口さんの作る料理が変わっていった。
伝統の発酵食品「かぶらずし」をヒントにしてマスやかぶらにリコッタチーズを合わせた前菜を作った。
薬どころ富山の薬膳の伝統を生かしナツメやミカンの皮を煮出してコンソメに溶け込ませたスープも生み出した。
するとその料理を食べた周りの農家たちが谷口さんに負けじと新たな食材を持ってくるようになった。
あの河上さんも彩り鮮やかなベビーリーフやとうがらしなど新たな野菜を育てては持ってきた。
そうして作った料理は都会の最新の流行に沿っているか谷口さんには分からない。
でもこれこそが今自分が作るべき料理。
いつしか都会への焦りは消えていた。
富山に来て3年後系列店で働く任期が切れる時が来た。
だが谷口さんはその店を自分で引き取り独立。
富山に残る決断をした。
料理人人生を仲間たちのいる富山で続けていく。
谷口さんはそう固く思っている。
4月半ば。
谷口は新しい食材に挑もうとしていた。
地元産のアイガモだ。
カモはフレンチではポピュラーな食材だが谷口の店ではメニューに入れた事はない。
この地元のアイガモを新たな看板料理にしたい。
アイガモを育てているのはあの河上めぐみさん。
谷口が変わるきっかけともなった人だ。
河上さんは雑草を食べさせる事で農薬を使わないようにする「アイガモ農法」を行っている。
稲刈りのあと役割を終えたアイガモを食用として有効に扱いたいと考えていた。
去年地元の男性と結婚し父から畑を継いだ河上さん。
このアイガモで農家として更に成長したいと考えていた。
だがこのアイガモが今までにない迷いの中に谷口を引きずり込む事になる。
10日後河上さんのアイガモが新たに届いた。
作るのはカモ料理の王道ロースト。
まず丸ごとのまま皮に切り込みを入れる。
切り込みから出る脂で皮がパリパリになるように焼きそれから身の部分をカットする。
谷口はこの料理を間もなく切り替える新しいメニューの目玉に据えたいと考えていた。
地元で取れたウルイなどを下に敷きその上にローストを置いていく。
自然に近い環境で育ったアイガモ。
その風味は申し分ない。
だが谷口の表情は渋い。
アイガモは成長するに従って皮や筋が固くなる。
生後およそ1年たった河上さんのアイガモはそれが目立っていた。
思い切ってカモ肉の魅力である皮を取り除いてみる。
皮にある脂がないとやはり物足りない。
間もなくコースメニューを新しくする時期が来る。
何とかコースに入れる手だてはないか。
地元の食材や食文化を生かす料理を生み出し続けてこそここで生きる意義がある。
ここが料理人としてのふんばりどころ。
この日谷口は深夜2時まで一人考え続けた。
翌日。
谷口はあるアイデアを試し始めた。
まず丸ごとの状態で皮に切り込みを入れるのをやめ先に身を骨から外した。
取り出したのは河上さんのアイガモ農法で作られた玄米。
その玄米をオーブンで焼きそれをごま油につけ込んだ。
そして皮の固さを解消するため深めに切り込みを入れていく。
この日の夜はアイガモを育てている河上さんに料理を試食してもらう事になっていた。
いよいよアイガモを焼き始める。
ここで玄米をつけ込んだあの油を取り出した。
それを何かに加えていく。
油を混ぜたのは下に敷く付け合わせ。
谷口のねらいは深く切り込みを入れた事で抜けた脂分を玄米入りの油で補うというものだった。
料理が完成した。
おいしい。
ところが…。
玄米の香りがする油を加えるアイデアは悪くない。
だが満足できないという。
翌日。
新メニューを決定する日となった。
谷口はアイガモを新メニューに加える事を断念した。
それから10日後。
メニューに出す事を諦めたはずのアイガモを谷口は一人見つめていた。
2日後の事だった。
谷口が取り出したのはフランス産の最高級のカモ肉。
その場に河上さんを呼んだ。
そしてもう一つ取り出したのは河上さんのアイガモ。
そして両方の肉を焼き始めた。
谷口は皮が固くならない秋のうちにもう一度アイガモに挑んでみると話した。
河上さんも飼育に工夫を凝らす。
生産者が力を尽くして育てたものは必ず料理に生かす。
そう谷口は河上さんに約束した。
(主題歌)
(河上)ありがとうございます。
(谷口)よろしく。
お疲れさまです。
「革新は地方でこそ起きる」。
谷口の挑戦はまだ始まったばかりだ。
テクニックうんぬんじゃなくて富山の食材文化っていうのをどんだけ使いこなして料理ができるか。
僕一人がすごいんではダメ。
2015/09/26(土) 01:10〜02:00
NHK総合1・神戸
プロフェッショナル 仕事の流儀「フレンチシェフ・谷口英司」[解][字][再]
フランスの世界的名店で修業し、富山郊外に店を構える料理人・谷口英司。先進的なフレンチの技と、富山伝統の食文化を掛け合わせ、見たことのない料理を生み出す男に密着!
詳細情報
番組内容
立山連峰を望む山あいに、全国の食通が注目し始めた谷口英司の店。イカ墨を使った塩辛「黒づくり」をタラの表面に塗りこんだ斬新な料理をはじめ、山菜、ホタルイカ、白エビなどの地元食材に先進的なフレンチの技法をほどこし「その場所でしか食べられない料理」を目指してきた。大阪出身の谷口はなぜ、富山でシェフ人生を捧げると決意したのか?この春挑んだアイガモ料理が困難を極める中、下した「決断」とは?若き料理人の挑戦!
出演者
【語り】橋本さとし,貫地谷しほり
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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日本語(解説)
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