(テーマ音楽)戦後日本を代表する哲学者鶴見俊輔さん。
日常の生活や大衆の視点を思想の中心に据え日本人と日本社会を鋭く捉え直しました。
また「ベ平連」など反戦運動にも積極的に関わり行動する思想家として発言し続けました。
鶴見俊輔さんは大正11年東京生まれ。
父祐輔は作家でありリベラル派の衆議院議員。
母方の祖父は東京市長だった後藤新平です。
鶴見さんは家名を大事にする厳しい母親に反発。
勉強せず素行不良で退学させられました。
転機は16歳の時でした。
父の勧めでアメリカに渡りハーバード大学に入学哲学を学びます。
日米開戦で鶴見さんは敵国人として拘留され昭和17年交換船で帰国しました。
翌年海軍軍属としてインドネシアジャワ島に派遣されます。
日本の敗戦を確信していた鶴見さんは誰ひとり殺さずに終戦を迎えたいと願っていました。
そして迎えた終戦。
鶴見さんたちは自由な思索の場を作ろうと昭和21年雑誌「思想の科学」を創刊します。
戦後日本の進むべき道を国家やイデオロギーにとらわれず普通の人々の生き方から考えます。
「思想の科学」は50年間続きます。
さまざまな人たちとの共同研究を通じ鶴見さんの思想は生み出されていきました。
昭和32年岸内閣が成立。
太平洋戦争中東条内閣の大臣を務めた岸信介です。
昭和35年警官隊を導入し新安保条約を強行採決しました。
これをきっかけに安保条約に反対するデモ隊が連日国会を取り巻きます。
昭和40年ベトナム戦争が激化します。
沖縄の米軍基地から次々と爆撃機が北ベトナムに向け出撃していきました。
日本が戦争に加担している。
鶴見さんは作家の小田実さんを誘い「ベ平連」ベトナムに平和を!市民連合を立ち上げます。
鶴見さんは予想外の手を打ちます。
アメリカ兵に脱走を呼びかけたのです。
鶴見さんには戦時中の自分自身の姿がよみがえっていました。
脱走兵をかくまっていると記者発表。
兵士たちのインタビュー映像を上映して理解を求めました。
昭和50年北ベトナム軍がサイゴンを陥落させベトナム戦争は終結します。
しかし沖縄の基地問題が残りました。
平成16年鶴見さんは「九条の会」の呼びかけ人になりました。
憲法第9条の意味平和について論戦を重ねます。
あんなものただの大衆の動きじゃないか。
いやそんな事はありません。
市民の記憶に根ざした思想を求めた鶴見俊輔さん。
平和の意味を問い続けた93年の生涯でした。
2015/09/26(土) 05:40〜05:50
NHK総合1・神戸
NHK映像ファイル あの人に会いたい「鶴見俊輔(哲学者・評論家)」[字]
戦後日本を代表する思想家の一人鶴見俊輔。戦後のあるべき姿を問い続け、ベトナム戦争反対運動などにも取り組んだ。市民の思いに根ざした哲学を追求した人生が語られる。
詳細情報
番組内容
戦後日本を代表する思想家の一人鶴見俊輔。大正11年東京生まれ。16歳でアメリカに渡りハーバード大学で哲学を学ぶ。日米開戦で帰国。昭和21年、雑誌「思想の科学」を創刊。ここを舞台にさまざまな分野の人たちとの共同研究の中から鶴見の思想は生み出されていく。戦後のあるべき姿を問い続け、学問だけにとどまらず、ベトナム戦争反対運動などにも取り組んだ。市民の思いに根ざした哲学を追求した人生が語られる。
出演者
【出演】哲学者・評論家…鶴見俊輔,【語り】鈴木奈穂子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
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