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大阪でベンチャーやってます

WikiPlanの社長がベンチャー/スタートアップ(と時々趣味)に関する記事を書くブログ

もう一度テレビを復活させるためにICTで何ができるだろう

Street TVflic.kr photo by Bonnaf


TBSとNTT西日本が主催しているハッカソンに参加してきた。


www.tbs.co.jp


テーマは「もっと楽しく! もっと便利に! テレビ × ICT!」だ。


ネットとスマホの普及で最も戦々恐々としているのはテレビ局といっても過言ではない。2013年度の調査の結果、ネットを利用する時間とテレビを視聴する時間を比較すると、10代ではほとんど並び、20代ではネットを利用する時間が上回った。"若者のテレビ離れ"という言葉は、リアルなデータとなって表れてきている。


ICTを使えば、もっとテレビが活用されるかもしれない。テレビが楽しくなるかもしれない。そして、みんながテレビを見てくれるかもしれない。


このハッカソンにはそんな思いが込められているのだろう。


でも、そもそも、テレビにICTを活用するって、どうすればよいのだろうか。


筆者なりに、テレビの機能に着目して、その機能毎にICTでどんなこができるかを考えてみた。

【目次】

情報を提供する


テレビの最も重要な機能は情報を提供することだ。平時の情報から、災害時の情報まで、テレビの発信力は他のメディアの追随を許さない。


1925年にグラスゴー生まれの発明家、ジョン・ロジー・ベアードによるテレビ放送実験が成功して以来、テレビは多くの人の情報源となってきた。


この地位はネットに奪われつつある。地震が発生した時には、テレビよりもまず、スマホで地震速報にアクセスする。ニュースを読むのも、明日の天気予報を見るのも、スマホに変わりつつある。


スマホがあり、ネットがあるけれど、テレビをつけてまで得たい情報とは何だろうか。


テレビが、新聞やネットに比べて優れているのは、動画主体のメディアであることだ。動画情報は、文字や絵の情報に比べ、情報を分かりやすくかみ砕き、より多くの人に伝える能力に優れている。


ICT技術を使って、多くの情報を集積し、テレビ局が持つ優れた編集機能で咀嚼し、多くの人に対して発信する。ICT技術が応用できるとしたら、情報を集積するという部分ではないだろうか。一般視聴者の能動的な情報提供、また、センサー等による自動的な情報収集によって、より多くの情報を集約し、テレビ番組作りに生かす。ICT技術を使えば、情報の取得するための取材の生産性を十二分に向上させることができるだろう。


感情を揺さぶる


驚いたり、感動したり、笑ったり。多くの人がテレビに魅力を感じるのは、テレビが放送するコンテンツの感情を揺さぶる力だ。


国営放送のNHKで、ニュースのみならず、朝の連続テレビ小説を、大河ドラマを放送するのは、それがテレビの大切な機能だからである。


しかし、コンテンツを作る能力はテレビ局だけがもつ特別な能力ではなくなった。Youtuberが予算数千円で作ったコンテンツの再生数に、何千万円をかけてテレビ局が作ったコンテンツの再生数が及ばないこともある。


返す返すも、テレビ局は超巨大なコンテンツメーカーである。海を跨いだ向こう側で行われるスポーツの中継をしたり、巨大なセットを組んでドラマを撮影したりできるのも、テレビ局の予算と企画/制作力あってこそだ。


ICTを用いれば、テレビ局が持つコンテンツを"活用した"ビジネスモデルを変革できる。


既に、NHKやテレ東が自社のコンテンツを有料でネットに流し始めている。放送波でコンテンツを流し、その時間の広告費を収益とするビジネスモデルだけでは立ち行かなくなった今、同じコンテンツをアーカイブとして配信したり、他社に二次利用許諾したりすれば、収益源の幅が広がる。マッシュアップ、なんてカッコイイ名前があるけれど、テレビ局が持つ膨大な映像コンテンツは、更なる金を生み出すマッシュアップ材料である。


とはいえ、動画の"活用"については、様々な障壁が高い。当初想定していた以外の用途にコンテンツを利用する場合、著作権者が複数存在する場合、著作権者全てに許諾を得なければならない。過去のコンテンツに係る出演者の肖像権もネックになっている(最近はモザイク処理をして対処しているようだが)。


ICTを用いて、コンテンツを活用した様々な仕組みを作ろうとしても、その土台が未だ心もとない。ICT技術云々の前に、ここらの整備も早急に手をかける必要がある。


文化を形成する


社会学者アーヴィング・ゴッフマンは、1974年に「Frame Analysis」という論文を発表し、「人間は自分のまわりにある世界を"フレームワーク"を通じて解釈する。"フレームワーク"は人間の意識下に潜り込んでいるため、"フレームワーク"を通じて解釈していることに気づかない」と主張した。


"フレームワーク"は自然発生的に生まれることもあるし(例えば社会的な風習、生理的な制約)、恣意的に作られるものもある。


社会を"フレーミング"する最も大きな勢力はテレビだ。


テレビが「今度の選挙の争点はこれです」と言えば、視聴者はそのように意識をセットする。「これが流行っている」と言えば、視聴者はそのように意識をセットする。


テレビによる"フレームワーク"とは、何をどのように考えるべきか、ではなく、何をどのように考えなくてもよいのか、という基準を設ける。選択肢を減らして、松竹梅を提案する。重要なのは、フレーミングによって様々な選択肢が消えていることだ。


フレーミングとは、このように考えなくても良い選択肢を減らしていくことで、人の生活の範囲を形成する。違う言葉に置き換えると、文化を形成している、ということだ。


ネットの登場によって、テレビの力は相対化されてきている。編集が効かない様々な声が、ブログやツイッターやフェイスブックで拾われ、テレビの"フレームワーク"が批判にさらされることもしばしばだ。


テレビは文化を形成する。人の生活の大部分を規定する。その膨大な力があるからこそ、常にフェアで、正直でなければならない。


ICTを使ってフェアで正直であるためには、より多くの人々の意見をくみ取り、自分たちの"フレームワーク"に取り入れるよう、努力しなければならない。筆者はテレビ局に左右の思想の違いがあっても構わないと思っているのだが、必要なのは立場がきっちり相対化されることだ。偏った情報を配信する際には、民意とは違ったことをあえて表明しなければならない。


多様な情報で文化を豊かにするためには、右左、多数少数、清濁あわせ呑むことが肝要だ。ICTは、そんなフェアで正直であるための様々な情報を提供してくれる重要なツールである。



※※※



少し長い記事になったが、おおむねこんなところである。


ハッカソンの話に戻ると、面白いアイデアを持った多くの人たちが、ハッカソンに集まっている。TBSのハッカソンには約100名が参加していた。皆真剣に、「こうすれば良くなるんじゃない、便利になるんじゃない」と考えているのだ。


これだけ人の関心を引き付けて止まないテレビというメディアは、きっと、良い方向に生まれ変わるための大いなる可能性を持っているのだと思う。


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