ハートネットTV 戦後70年障害者と戦争 ナチスから迫害された障害者たち3 2015.09.22


グーテンターク!今日はなんとドイツからお届けします。
ここは本当にすてきな場所なんだけど…。
よっと!でもねここで改めて考えたい事があるんです。
それはおよそ70年前の事。
ナチスに迫害された障害者たちについて「ハートネットTV」でお伝えしてきました。
第2次世界大戦中ナチス・ドイツによって行われたユダヤ人の大量虐殺。
実はそれより以前障害者たちの虐殺が実行されていました。
通称T4作戦です。
殺害の対象になったのは病院や施設にいた精神障害者や知的障害者などでした。
殺害には医師たちが積極的に加わりました。
質問票を使い「退院の見込みはあるか」。
「労働者として使えるか」などを調査。
治癒の見込みなく社会に役立たないと判断すると「殺してもいい」と+のマークを書き込みました。
生きる価値がないとされた人たちはひそかにバスで全国6か所の施設に運ばれました。
そこでガス室に閉じ込められ殺害されたのです。
犠牲になった命は20万に上りました。
日本の障害者施策をけん引してきた藤井克徳さんです。
視覚に障害があります。
戦後70年の節目に現場を訪ねました。
あ〜。
藤井さんはドイツで起きた事はひと事とは思えないと言います。
39年前日本で初めて精神障害者が働く作業所を作った藤井さん。
彼らの生きづらさを長年痛感してきました。
多くはものを言いにくい言えない精神障害者や知的障害者。
どうして人間っていうのはあそこまで残酷かなって事をね。
もちろんそれはヒトラーナチスの命令って事もあるんだけど私はやはりそれだけでは解決できない。
全てが戦時下の異常事態って事だけで解決しないで一人一人の行動規範っていうのか一人一人の主体的な判断って事がねここも簡単に見逃しちゃいけないと思うんですね。
こんにちは。
ハロー。
初めまして。
日本から来ました藤井克徳と申します。
障害者の虐殺を引き起こしたものとは何だったのか。
あなたは障害者。
あなたはユダヤ人。
あなたは同性愛者。
何事も分類するから差別が生まれ迫害につながるのです。
後にユダヤ人の大虐殺にもつながっていく障害者の殺害。
どこかで止める事はできなかったのか。
さまざまな立場の人との対話から考えます。
藤井さんがまず訪ねたのは障害者の人権問題に詳しい弁護士ヘルベルト・デムメルさんです。
デムメルさんも視覚に障害があります。
あのような蛮行野蛮な行為ですねそこに至るまでのドイツでの社会状況っていいますか政治状況っていうんですかそれをかいつまんで言うとデムメルさんどんなふうに理解されてますか?それは結局生きる価値のない命の話に行き着きます。
生きる価値のない命とは何なのか。
当時の医者や学者は自分の意思を主張できない重度障害者は価値のない人生を送っていると考えました。
価値のない命。
ですから彼らを殺す事は彼らにとっていい事だと主張したのです。
障害者は生きる価値がないという考え方はT4作戦より以前からありました。
遺伝病の子孫を予防する法律通称断種法です。
1933年ナチス政権が発足した年に制定されました。
対象となったのは知的障害統合失調症そううつ病や遺伝性の視覚障害など。
断種の判断は裁判所が行いました。
対象者は決められた日までに手術を受けなければなりませんでした。
拒むと警察に連行されたといいます。
まだ幼い12歳の女の子が強制的に断種の手術を受けさせられたり既に妊娠している視覚障害者の女性が中絶させられそのあと断種をさせられたりしました。
犠牲者たちはとても苦しみました。
肉体的な痛みももちろんの事精神的な苦しみもあります。
自分の子どもを持つ事もできない。
結婚して家族を持つ事もできない。
本当に残酷な話を被害者からたくさん聞きました。
断種手術を受けたのはおよそ40万人。
ずさんな手術のせいで5,000人が死亡したともいわれています。
このころドイツは深刻な不況にあえいでいました。
1929年に始まった世界恐慌の影響で国民の3人に1人が職を失っていました。
そこでヒトラーは経済の立て直しに力を注ぎます。
高速道路など公共事業を進めました。
その中で優秀な労働力こそ価値があるとアピール。
働く事のできない障害者はますます価値のない存在とされていきました。
断種に対する社会の反応についてナチス時代の医療犯罪の研究者はこう分析します。
強制断種は本当にオープンに行われていました。
でも社会そのものは全くの無関心だったんです。
ライさんは強制断種とT4計画とそしてユダヤ人の大虐殺とこの3つの関係を歴史学の立場からどんなふうに捉えてますか?とても密接な関係があると思います。
軽い障害の人は生きる事はできましたが強制断種されました。
重い障害の人は殺害されました。
両者に共通しているのは生きる価値がない生きる権利がないとされた事です。
つまり障害のある人と障害のない人では人としての価値が違うという考え方です。
社会全体で障害者を価値のない命と見なすなんてとっても恐ろしい話。
それに命を救うはずの医師までも加担していたそうなの。
それってどういう事なんでしょう?生まれる価値のない命の断種。
生きる価値のない命の殺害。
これらの実行には多くの医師が関わっていました。
ガス室にガスを送り込む操作も全て医師たちの手で行われました。
こうした行為に対し2010年ドイツの精神医学会は当時関わった医師たちの誤った意識について正式に謝罪しました。
私たち精神科医はナチス時代に人間を侮蔑し自分たちを信頼していた患者や家族を裏切り強制的に断種手術を行いそして自ら殺害もしました。
患者一人一人に向き合う事をやめむしろ社会全体を患者の世話から解放する事民族にとってよい遺伝子を残す事最終的には人類を苦悩から解放する事こそが医学の進歩としました。
医学の進歩につながると信じていた医師たちはガス室の隣に置かれた解剖台で遺体から脳を摘出。
それを自らの研究に利用しました。
ハロー。
当時の精神科医は障害者を殺すあるいは強制断種する事に対してあくまで医学的な立場でやっているという意識でしかありませんでした。
その意識が間違っているのは今日では明らかです。
彼らには率先しているという感覚はありませんでしたがやらされていた訳ではなく自ら行為を行った加害者だったのです。
なぜここまで沈黙を守ってきたのか。
素朴なそこには疑問があったんですが。
変化を起こすには何世代もかかりました。
ドイツはヒエラルキーがはっきりしていて医学の世界でも師弟関係があります。
博学であると尊敬している自分の恩師が不正をしていたと聞いてもその事実を正しく受け止めるのは非常に難しいと思います。
これには時間がかかりました。
ドイツの精神医学会が沈黙を破るまでに70年かかった事を恥ずべき事だと受け止めています。
障害者の虐殺について番組を見た視聴者の皆さんからたくさんのお便りが届きました。
今もしその状況に置かれたら切実な声ですよね藤井さん。
多くの人と対話をしてきた藤井さん。
どうしても知っておきたい事がありました。
精神障害者などが虐殺される中ほかの障害者たちは声をあげなかったのか。
訪ねたのは戦時中の障害者について詳しい…視覚に障害があります。
大変私は厳しい言い方するんだけどもT4計画の前夜盲人の役割っていうのがあったような気がするんですがその辺はメールスさんどんなふうにお考えになりますか?当時視覚障害者たちはT4作戦についてほとんど何も知りませんでした。
実はT4作戦は視覚障害者に対しては影響があまりなかったんです。
当時はほかの障害者たちとの団結というものは全くありませんでしたしそれどころか視覚障害者やその団体はかなり早い時期からナチスに傾倒していたんです。
ナチス政権は障害があっても国家のために働ける人には仕事を割り当て優遇。
労働という分かりやすい物差しで障害者を分類しました。
全ての障害者団体を統制下に置いたナチス政権。
同時に人種による分断も行いました。
これは1934年に作られたろう者の団体の規約です。
会員はアーリア人種に限ると書かれています。
ユダヤ人などの締め出しです。
障害者にも愛国心教育が徹底されナチスに傾倒する人も多くいました。
障害のあるユダヤ人を告発し積極的にナチスに差し出す事もあったといいます。
二重の迫害を受けたユダヤ人障害者。
彼らは強制収容所へ送られたあとも差別されました。
ホロコーストといっても耳の聞こえる人と聞こえない人では違いがあります。
アウシュビッツに送られたユダヤ人は労働できる人とできない人に分けられ働けない人はすぐに殺されました。
手話でろう者だとばれて殺される事も多々ありました。
ろう者である事がすぐ死につながっていたんです。
民衆が見過ごしている間に進んだ障害者の断種殺害。
そしてユダヤ人の大虐殺。
やはり私はその前兆の段階で止めるって事。
もっと言うと私たちは日常生活の中にそうした障害持った人への差別や偏見っていうのはもしかしたらそういう戦争の小さな小さな種かも分からない。
この辺から問題点を察知する力をやはり磨くって事も大事じゃないかな。
戦後70年たった今なおドイツは過去に向き合い検証を続けています。
障害者を殺害した事を謝罪した精神医学会はナチス時代の犯罪についての展示を全国で開いています。
重苦しい気持ちです。
私はちょうど精神科に配属されたばかりですから。
自分が今関わっている人たちの事を思うと当時の人たちが簡単に殺されたなんて…。
私がもしその時代にいたらと考えてしまいます。
つらいです。
でもこれが事実です。
私たち医師には特に責任があると思います。
過去の過ちから私たちは何を学ぶべきなのか。
それぞれの立場の人に聞きました。
自由には価値がありどんな障害のある人も社会に参加する権利があります。
どんな人生にも価値がある。
命そのものに価値がある事を常にはっきりさせなければいけません。
そうでないとどんな事が起こりうるか。
だからこそ今もその事を常に強調していかないといけないと思っています。
ドイツにはこんなことわざがあります。
「一滴一滴落ちた水はいずれ石にさえ穴を開ける」。
私は毎月視覚障害者の歴史問題と運動について記事を書いています。
私もそういう一滴になろうと思うしその一滴を大きくしていきたいと思っています。
ドイツでは現在も尊厳死や自殺の手助けあるいは子どもが生まれる前に障害があるか調べる出生前診断についてなど命に関する議論が行われています。
私たちはどうあるべきか何を変えていかなければならないか歴史から学ぶべきではないでしょうか。
ナチス時代の障害者たちの過酷な歴史。
でもその中には小さな光もあったのよ。
それは前回の放送でお伝えしたドイツ人視覚障害者オットー・ヴァイトの行動です。
盲人作業所を経営していたヴァイトはそこで多くのユダヤ人障害者をかくまいました。
隠れ部屋も用意し危険を顧みず彼らを必死に守ろうとしました。
ここはそのヴァイトが当時住んでいたユダヤ人地区にある小学校。
いろいろな人種の子や障害のある子も通っているの。
毎月ナチス時代について考える授業が行われているんですって。
子どものうちから真剣に向き合っていてう〜んすごい!いい未来を作ってくれそうね。
8月。
ドイツから帰国した藤井さんはあるシンポジウムを開きました。
日本の障害者はどのような戦争体験をしたのかを語り継ぐ会です。
およそ400人が集まりました。
近所の小川で拾ってきた不発弾それが爆発したんですね。
その時に視力をなくし両手をなくしました。
弟は5歳でしたがズボンのベルトから下がほとんど元の形をとどめないようなむごたらしい死に方でした。
戦争は新しい不幸を引き続き生み出すなあと。
(拍手)藤井さんもドイツでの体験を報告します。
地下室にトコトコトコッと降りて17段階段がありました。
この右手ですね触った感触が残っているんです。
それはあの12平米の小部屋ですよね。
今こうしてまだ感じます。
こうして…。
ガスが流れてね意識が遠のいていく中できっと「もうこんな事私で終わりにして。
もう自分たちの障害持ってる後輩たちにはこんな事はねしてほしくない!」。
きっとそんな事をねきっと言ったんだろうな。
思ったんだろうな。
今を生きる私たちができる事は何か。
藤井さんはこう締めくくりました。
前触れ察知請負人。
障害者は。
前触れを察知する請負人。
私たちだから感じる事。
これをね言いたい。
目を見開く。
私は全盲ですから精いっぱい心の目を開きましょう。
どう開くか。
過去の事実を知るために。
事の本質を知るために。
そしてこれから未来をしっかりと見つめるために目をしっかり開きましょう。
どうもありがとうございました。
(拍手)2015/09/22(火) 13:05〜13:35
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ハートネットTV 戦後70年障害者と戦争 ナチスから迫害された障害者たち3[解][字][再]

ナチス政権下、20万人以上の精神・知的障害者が殺害された「T4作戦」。なぜ医師は加担し、民衆は見過ごしてしまったのか。さまざまな立場の人との対話から考えます。

詳細情報
番組内容
シリーズ障害者と戦争「ナチスから迫害された障害者たち」第3回。「T4作戦」で、医師たちは精神・知的障害者の殺害を医学的に正しいと信じていたことや、一般民衆だけでなく障害者同士も見過ごしていたという事実がわかってきました。過去の過ちからいま私たちは何を学ぶべきなのか。現地を訪れ取材してきた日本障害者協議会代表の藤井克徳さん(自身も視覚障害)と医師や歴史家などさまざまな立場の人たちとの対話から考えます
出演者
【出演】日本障害者協議会代表…藤井克徳,【声】ブルボンヌ

ジャンル :
福祉 – 障害者
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
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