インタビュー ここから「一青窈 ハナミズキ 100年の願い」 2015.09.22


・「空を押し上げて手を伸ばす君五月のこと」歌手一青窈さん。
その独特な詞の世界が多くの人々の共感を集めています。
彼女の代表作「ハナミズキ」です。
・「つぼみをあげよう」・「庭のハナミズキ」名曲を生み出した一青さんが幼い頃から通っていたのが横浜市にある森村学園です。
何年ぐらいここに通ってらしたんですか?ここはおおよそ15年ぐらい。
幼稚園から通ってたので。
じゃあもうほとんど10代というかもう子ども時代…。
人生のほぼ半分を。
ここで。
はい。
ちょっと改修をして雰囲気は変わったそうなんですけれども思い出します?えっとやっぱりハナミズキが本当に学校の至る所に咲いてたのでそれも面影は残ってますし。
そのハナミズキが本当入ってすぐの所にずっと並木のように…。
そうなんです。
あるんですけど森村学園というとハナミズキ。
そうなんです。
昔はハナミズキの麓に校碑があって「正直親切勤勉」って書いてある石碑が麓にあったのがすごく印象的で。
今は季節がちょっと違いますけれども。
そうですね。
どんな花を咲かせるかその当時は知らなかったんですけどもこの名前のインパクトが大きくて。
台湾人の父と日本人の母の間に生まれた一青窈さん。
5歳の頃から森村学園に通います。
高校生までの多感な時期を過ごしました。
一青さんは今年結婚を発表。
もうすぐお母さんになります。
今回はアーティストとしての原点そして「ハナミズキ」の歌詞に込められた思いに迫ります。
一青さん私大学の先輩でしかも同じ時代に通ってらしたっていう事ともう一つは一青さんといえばお父様が台湾の方でお母様が日本の方。
私も実は母が台湾人で父が日本人。
すごく勝手ながらいつも私一青さんの事を…。
親近感?親近感以上のものを持っているっていうか。
憧れのような勝手に分身のような…。
すみませんねせん越ながら。
ありがとうございます。
すごいそんな思いでいて。
小さい頃ですね台湾から戻ってこられましたよね。
日本の文化背景背負ってどんなふうにクラスの中での自分の事を見てたのかなって。
どちらかというと父は日本の教育を受けてたので心もすっかり日本人だったんです。
で家の中でも日本語なのでそんなには違和感はなかったですね。
台湾から日本に移り住んだ一青さん。
しかし父恵民さんは仕事の都合で台湾に残りました。
一青さんにとって父との手紙のやり取りが何よりの楽しみでした。
物心付く前からずっと書き続けてましたね。
もう6歳7歳…。
はい。
離れ離れになって暮らしてる時はとにかく電話よりも手紙?電話はそんなにかけた記憶がないです。
手紙の方が頻繁に。
どんな事を書いてたんですか?あの〜「入学式なので何々を送って下さい」とか友達と遊んだ体験とかを…つれづれ日記ですよね日々の。
ある意味日記みたいなものをお父さんにずっと送り続けていた。
はい。
もうレター入れがあるんですけどそこに満々でしたねいつも。
その後父は日本にやって来ますがしばらくして悲劇が起こります。
一青さんが小学2年生の時大好きなお父さんががんにより亡くなってしまうのです。
小学校2年いくつだったかな?8歳9歳…。
それって世界の激変のような気がする…。
覚えてます?父をよく病院にお見舞いに行ってたのは覚えてるんですけどもそんなにこう悲しみに突き落とされるっていう感覚はなくて…。
そんなにはまだ実感できる年ではなかったような気が。
8歳という時が。
はい。
お亡くなりになられたあとも手紙を書いてた…。
そうですね。
書いて枕元に入れてましたね。
それはどんな思いからですか?う〜ん…。
読んでくれてると信じてました。
はい。
で伝えたい事もたくさんあふれてきますし。
私にとって手紙というツールはすごく大事な気持ちを伝えるものでしたね。
それまでは日記つれづれのような日記を書いてらしたって事だったんですけれどもそれから書く内容って変わってったんですか?うん。
あの〜日常の出来事が多分伝える事としてメインだったんですけどもそこから…そうですね真情の吐露みたいな気持ちを割と素直に書くようになったような気がしますね。
さみしいとか会いたいっていう気持ちを。
父が亡くなったあとも父への手紙を書き続けました。
自分の気持ちを整理するために書いていた手紙。
それが後に詩を書く事につながっていきます。
国語の授業でとても感想文をよく…読書感想文を書かされた…。
書かされた。
学校なんですよね。
で試験でも筆者の意図を書きなさいという設問が多くて私はそれがすごく好きで。
プリントの裏に書いても足りないぐらい大好きで。
それをよく先生が読み上げて下さったので何か得意になってたんですよね。
褒められるからこそ。
でその時に多分自分で葛藤してた時期に書いた「自信を下さい」っていう詩を読んでくれたんですよね先生が。
で例えばまあ親がいない事を誰かと比べられる。
誰かの方がかわいい。
かけっこが速い。
いろんな事をそのまんまぶつけた詩を読んでくれて割とこう自分ではちょっと闇の部分の…自分の裏側の気持ちを書いちゃったなと思ったんですけどもでもそれを評価してくれた先生がいたっていう事が私にとって大きくて。
なので何かこう書く事がすごく人に認められるっていう感覚を持ってそこからこう…そうですね枕に入れれば父は読んでくれる本当の自分の本音を吐いても先生は認めてくれる。
読書感想文をどんなに書いても先生はよくやったと言ってくれるっていう私の何かこう花丸の歴史がそうですね書くという事を肯定してくれましたね。
ここ美術室。
はい。
という事で美術部でいらした?そうです。
美術部とバスケ部でした。
美術部とバスケ部ですか?はい。
2つ兼ねた…?そうです。
中入ってみますか。
はい。
こちらが美術室だそうです。
お邪魔します。
高校時代美術部に所属していた一青さん。
小学生の頃のユニークな先生の授業が美術に興味を持つきっかけになりました。
美術の作品ってどういうものを作るタイプの生徒さんだったんですか?う〜ん。
小学校の頃から図画工作の授業すごい好きでで想像画を描くのも大好きで鉛筆だけで最初は描いてたんですけどもその先生がカッターで鉛筆を削らせるんですよね。
色鉛筆もカッターで。
でまあ道具をそろえたあとにまず黙とうさせてこう窓の外から緑が見える部屋だったんですよ。
「心の目で緑を見なさい」って始まってみんなで黙とうしながらそういえば周りにどんな緑があったかなっていうのを想像して色を混ぜて自分が心で見た緑を作って木を描いていくんですよねキャンバスに。
それが毎回毎回黙とうさせられて心の目で景色を見なさいって言われたのがこう刷り込まれて何かこうそれもすごい楽しかったですね。
今もすごく美術は一青さんにとっては切り離せない存在だっていうふうに伺っていて今もよく美術展とか行かれるんですか?行きます。
えっと写真展も映画もよく行きます。
美術館だったら…最初に頂きますよね作品のパンフレットみたいな。
あそこにどんどん書いてきます。
気になった作品の前で思いついた言葉を。
そうですね連想ゲームみたいなもんですよね。
やっぱりアート作品を鑑賞するっていう時間が自分との対話だと思ってるので私にとっては大切な時間ですね。
楽しく部活動に励んでいた高校時代またしても悲劇が一青さんを襲います。
父に続き母かづ枝さんもがんで亡くしてしまうのです。
小学校の時にお父様を亡くされると。
で高校時代にお母様をも亡くされていますよね。
もうその時は何歳になられてました?えっと高2なので17?16〜17ですね。
その時はお母様の死をどのように受け止められたか覚えてらっしゃいますか?あっその時も書いてました。
えっと…すごく感情的だったので感情的にならないように抑えるために書いてました。
どんな事を書いてらっしゃったか覚えていますか?最初は後悔だったと思いますね。
もっとお見舞いに行けばよかったとかもっと何々すればよかった。
あの時ごめんなさいっていう後悔がだんだん何で先に逝くんだろうっていう怒りとかですよね。
怒りからう〜ん…受容に変わっていきますよね。
その自分の感情の。
だから分からないですけどもいろんな方法で自分が落ち着いていくための過程として書く事がすごく必要だったんでしょうね。
書く事があったからこそ受け入れる事ができた?私にとってはそうでしたね。
写経に近い…。
ご両親のこのお二人の死というのは一青さんのその書かれる詞の世界の根底にどのような世界観を作ってるのかなって。
あるいはその経験って一青さんが詞を書かれる上でどういうものになってるのかな。
うん。
失わないと分からない事がたくさんあってけれど人間は失う事を恐れていてそれがいつやって来るかが早いか遅いかの違いで…。
うん。
あの〜いろいろ多感な時期にそれを経験できた事が私にとっての宝だと思ってるのでいろんなものがあまり怖くなくなったっていうのは私の何かこう…そうですね得たものだと思ってますね。
一青さんの代表作「ハナミズキ」。
この中に若いうちに両親を亡くした経験が影響したある歌詞があります。
あの「ハナミズキ」の歌詞の中で「果てない夢がちゃんと終わりますように」っていうのがずっと不思議だったんですよ。
「終わります」っていうのは「夢が終わる」っていうのは一般的に考えると悲しい意味合いに伝わらないかなと思って。
でも一青さんが「終わりますように」を選ばれたのは何でだろうって。
何かこう永遠に続くものはないと思っていてそれは愛も幸せも瞬間瞬間必ず終わりがやって来るから大切だと思えるっていうのがこうやっぱり肉親を亡くしたりした時の私の感覚でその夢も終わるっていう事が分かってるからそこの夢に向かって努力ができる。
果てがあるからえっと…今思い切り悲しめるっていう事が大事だと思ってていつまでも続くと思うから悩みがグルグルしちゃうんですよね。
でその「終わる」も「果てしない」もそうですけど一見ネガティブに聞こえる言葉もその先にある希望だとか明るさだとかっていう事があれば何にも怖い事なんてなくなると思っててそれをすごい伝えたかったんですよね。
一青さんはそうした思いで「ハナミズキ」の詞を書きました。
実はこの詞は2001年のアメリカ同時多発テロ事件が起きたあとニューヨークに住む友人に贈った詩が基になっています。
ハナミズキは日米友好の象徴として大正時代アメリカから贈られた木です。
一青さんは憎しみのない平和な世の中を願い歌を完成させました。
その911ってとにかく悲惨な映像じゃないですか。
それがどうしてあの本当に穏やかともとれるようなところまでどうして生み出されたんだろうっていう。
お互いに家族がある身で人を殺し合わなければいけない。
で皆がそれを止まってほしいと願っているのにそれでも終わらないっていうこの不条理な状態を音楽でどうやって…う〜ん止められるのかっていう事を突きつけられた時に湧き出てきたその時はそうだったらきっと世の中はもっとましになるあるいはこんな事起こんなかったんじゃないかみたいな感覚ですよね。
ハナミズキが日本に贈られてから今年でちょうど100年。
一青さんは節目の年に母校の合唱部の後輩たちと改めてこの歌を収録しました。
・「どうぞゆきなさい」・「お先にゆきなさい」・「僕の我慢がいつか実を結び」戦後70年の今年セルフカバーをされましたよね。
これはどういう思いからですか?まずそのハナミズキがアメリカから贈られて100年たったっていうのが節目だという事とその偶然が重なって改めてこんなに受け入れられてる歌を歌い直そうと思ってそうしました。
生徒さんと後輩たちと一緒に歌われましたよね。
その後輩たちにはどう説明して歌に臨んでもらったんですか?その時に伝えるのはやっぱり自分の事ではなく誰かの幸せを願うっていう気持ちで歌ってくれれば音が外れてても速くても遅くてもいいよとは言ってるんですよね。
その誰かを思う気持ちっていうのが声に乗って出る事が大切だからその時に人は優しい顔になるしそれが見たくて私は…あの〜何でしょう?この前生徒たちと一緒に歌った時に私が何より幸せな気持ちになったので特にテクニカル的な事は何も言ってないですね。
自分ではない誰かの幸せを願い歌い続けてきた一青さん。
今年は自らの結婚を発表しおなかには今新しい命が宿っています。
赤ちゃんがおなかの中にいて…。
いつですか?予定。
11月の頭です。
もうママになられる今準備中で考え方が変わった事とかってありますか?う〜ん…正直に言うとそんなにまだ姿形はなくておなかの中で動いてるのを感じているだけなんですけども街にいる妊婦さんや子連れのお母さんたちにとっても目が行くようになって昔はただ漠然と自分の母だけを尊敬してたんですけども世の中にいる全てのお母さんたちにものすごいリスペクトをするようになって。
それはこう今まで入ってなかった視界が開けたっていう感じなんですよね。
それによってこの忙しいお母さんたちに届くような歌が歌えるといいなとか。
今後ママになられてそれこそどんな世界観の歌を生み出していきたいか。
すごく責任を一人の命の責任を持つ母となるので「なりますように」とか「何とかだったらいいな」とかじゃなくて「何とかです」とか「何とかだ」みたいな。
「私はこうします」みたいな宣言のような…。
「します」と言ったからにはもう責任取りますっていう…詞が書きたいですね。
ご無事に出産なさって是非そういう力強い歌を期待しております。
今日はどうもありがとうございました。
2015/09/22(火) 06:30〜06:53
NHK総合1・神戸
インタビュー ここから「一青窈 ハナミズキ 100年の願い」[字]

名曲「ハナミズキ」で知られる歌手の一青窈さん。幼少の頃から高校時代までを横浜市の森村学園で過ごした。一青さんの歌詞作りについて、その原点である森村学園で伺う。

詳細情報
番組内容
名曲「ハナミズキ」で知られる歌手の一青窈さん。ハナミズキは、1912年、当時の東京市長がワシントンへ桜を贈った際、1915年にお返しとして贈られた日米友好の木。今年、100年の節目を迎えたのをきっかけに、母校である横浜市の森村学園合唱部とともに「ハナミズキ」を改めて収録した。幼少の頃から高校時代までを森村学園で過ごした一青さん。名曲を生み出す彼女の歌詞作りについて、その原点である森村学園で伺う。
出演者
【ゲスト】一青窈,【きき手】鎌倉千秋

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
音楽 – その他
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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