アナウンサーの小田切千でございます。
さあ私母校の駒澤大学に来ております。
今日の「インタビューここから」実は私の後輩にあたりますフレッシュな現役大学生がお相手という事で今その後輩を待ってるところなんですが。
後輩先輩を待たせてね…。
驚き。
先輩先輩ですか!?すいません後輩ですか?はい。
ほんとに入ったんですね駒澤大学に。
先輩改めて萩本です。
よろしくお願いします。
どうも。
先輩の小田切でございます。
驚いた話ですね。
え〜っ!?ほんとに後輩になったんですか?ほんとにここを出たんですか?出たんですここを。
私の取らないで下さい。
これでいいんですか?今の合ってますか?ええ。
まあちょっと違う。
飛び方にはちょっとね疑問がありますけど。
俺飛べなくなったんだって。
飛ばないで。
すいませんねやらせちゃってもうほんとに。
じゃ行きましょうか。
はいよろしくお願いします。
それじゃ早速。
こういう感じで?
今回のゲストは「欽ちゃん」こと萩本欽一さん74歳
今年春駒澤大学の社会人入試に合格。
大学生になりました
70代で新しいチャレンジを考えたのは実はテレビの世界への熱い思いがあるからなんです。
大学1年生欽ちゃんのキャンパスライフに迫ります
欽ちゃんが入学したのは東京の駒澤大学。
そのルーツは安土桃山時代に仏教の研究などを目的として設立された「学林」にあります。
今では7学部17学科がありおよそ1万5,000人の学生が学んでいます
その中で欽ちゃんが選んだのは仏教学部。
禅の教えを象徴する施設を一緒に見学しました
仏教学部にお入りになったという事で。
じゃあ皆さん仏教を学びに来られる学生さんと一緒に今勉強を。
ほとんどお坊さんですもの。
それで入ってえらい目に遭ってますよ。
こんなに難しい事を勉強するのかと思って。
いろいろこう人生を今学んでらっしゃる最中なんですか。
そうですね。
ですからちょうどお釈様でしょ。
だから釈尊さんがいろいろ考えた人間はどのようにしてあるべきかみたいな。
74歳にして。
74になると頑固でね。
いいお言葉おっしゃるけどでも年取ってね今ごろ言われても遅いよとかねなかなか素直な気持ちでね受け入れられないとこが。
続いて欽ちゃんと一緒に大学の教室を訪れました
いやいやいやいや…。
欽ちゃんいつもどの辺りに座るんですか?僕はですね大体前から3〜4番目。
ここ。
結構前ですね。
僕はねほとんど前。
何でそんな前に座るんですか。
時々先生と目が合うもんですから。
いやこれやりづらいな先生。
やりづらいかもしれないね。
先生やりづらいですよ。
結構視界にど真ん中に入るというよりもここに欽ちゃんがいるというのを意識しながら授業をしないといけないじゃないですか。
時々目線来ますもん。
必ず声出しますもん。
「そうね」「だと思いますよ」って。
いちいち反応するんですか。
全部反応します。
質問とかもするんですか?「何か質問」といって僕は空気の調整してるわけ。
誰かが手を挙げそうかなと思ったら…。
だからこうやってこの辺がいいんですよ。
誰か手を挙げてるかといったら手を挙げないし。
全体見てるんだそこから。
あのねもうテレビと一緒。
何かね寒い空気が流れるのとっても嫌い。
職業病ですねそれ。
はい。
何かステージと一緒ですねじゃあ教室が。
ただそれをしてたらいけないという事に3か月して気付きました。
書かなきゃいけなかった。
黒板に書いてあるのを。
書いてないもんだから。
書くの忘れて突っ込んだりボケたりしてたから。
そう。
黒板に書いてある事ってのが全部この試験に出る問題だったんだよね。
それいちいち先生の突っ込んでる場合じゃなかった。
それが気がついたの3か月。
3か月で気付いたんですか?試験の時ねああこれねアドリブ飛ばしてる場合じゃない。
書かなきゃいけないという事に反省して。
それからはじゃあちょっと。
今はもう真面目に聞いてます。
欽ちゃん大学の中でもテレビで盛り上げていた司会の癖が出ちゃうんですね。
日頃どんな事を勉強しているんでしょうか?
仏教学部という事で授業はどんな授業を今受けてるんですか?歴史から禅からあと思想からあらゆる。
1つ授業に行かなくなったのあります。
お経の。
分かんないの漢字ばっかりで。
分かんないなあと思ったら隣の生徒が「欽ちゃん卒業したらお坊さんになるの?」と言うから「いやなんないよ」。
「これお坊さんになるのには大切なお経だから。
ならない人はいる必要ないんじゃない」って。
次の日からいなくなったんですけどね。
分かんないですもん。
漢字ばっかりなんだもん。
まあそうでしょうね。
お経ですもんね。
言ってる事も意味も分かんないもんね。
授業がお経を聞いてるみたいだもん。
それはどきました。
デビュー50周年の去年3月欽ちゃんはライフワークにしていた明治座での公演を最後に舞台から引退しました。
その後欽ちゃんが人生の新しいチャレンジとして選んだのが大学に入学する事でした
大学に入るって聞いてすごくびっくりしたんですけど何で大学?最初に思ったのはだって明治座やめたんで1つやめたんなら1つまた挑戦足さなきゃと思って。
どうせ挑戦足すならなるべく簡単じゃなくて一番大変な事に挑戦しようって。
僕にとって一番今大変なの何かなあと思ったらあボケだと思って。
ですから。
ボケってのはねテレビ見てるとね「ボケにならないためには」って予防のテレビいっぱい出てくるの。
ですからそれじゃない自分流のボケ対策というんで。
ですから言ってみればテレビでやってるのは言ってみればディフェンスですね。
つまり守るという。
「忘れないように」とかさ。
僕のはそうじゃなくてどんどん忘れていくなら忘れていきやがれ。
よ〜しこっちからどんどん足すからって。
それが大学だった。
すごいですよ毎日足しだらけ。
それで今度は覚えたかどうか試験するって。
これは…これはね1つ分かりました。
僕の脳がね初めね「今ごろ言われても困る」と言ってました。
「それやっても無理だと思うから」って。
「うるさい。
とにかくどんどん来てるから早く覚えろ」ってやったら「分かった覚えるよ覚えるよ」って言ってるうちに最近「はいどんどんいらっしゃい。
なんぼでもいらっしゃい」という脳になってきた。
まあ大学に入るまでに受験勉強もしないといけなかったわけですよね。
どういうふうに勉強したんですか?英語をすぐ家庭教師の先生お願いして教えてもらって5月から始めて5678…8月ぐらいまで。
さっぱり分かんなかった。
…で分からない理由が分かった。
何だったんですか?まずはねきれいな発音するから。
先生が。
(英語で)画が出てこない。
「バード」とか「アイハブ」って言えば分かるんだけど…。
(英語で)何だか分かんない。
だから「先生その発音しないでくれ」って言ったの。
勝手に発音しないって。
自分で発音したら…発音したって事。
その次に片仮名で書くから分かんなかったの。
漢字で仮名振ったの。
そしたら分かる。
日本語覚えるんだもん。
ちょっと待って下さい。
漢字で仮名振るってどういう事ですか?だから漢字でだよ。
漢字でってのはだから例えば「アンフォーチュネイトリー」といったら「餡子」って書いて餡子が4か所から…4か所。
フォー。
だから「フォー」っていうから分かんない。
4か所。
それから「チュ」だからネズミじゃない。
アンフォーチュネイ…だから無くなっちゃった。
おまんじゅうがあって餡子の4か所からチューチュー吸ったら餡子が無くなっちゃった。
それをアンフォーチュネイトリー。
画が出てくるじゃない。
そうしたらねどんな気持ちっていったら「残念ながら」とかさ。
1つの単語を覚えるのにストーリー仕立てというか画が浮かんでくるような。
それをねその辞書を作るのに2か月かかったんです。
欽ちゃんオリジナルの辞書を作ったんですか。
そうそうそう。
いやそれ見てみたいわ。
ですからそれは僕でしか分かんないのね。
割とねテレビで紹介したらね割と人気あったのがね「リスポンズビリティ」というのね。
だからリスにポン酢かけてどうするのって。
責任取ります。
「責任」という意味なんだけどねいいでしょ。
これ結構町に出ておかあちゃんが「私覚えたわよ。
リスにポン酢かけて責任でしょ」って。
そういうふうにするとねそれを作るのに今だと英語の試験…。
英語の試験だから全部OKですよ2日で。
今なお続いてますよ全然。
面白いですよ。
映像が浮かぶような暗記術を編み出すとはさすが欽ちゃん。
今度は大学の先輩である私小田切が学生時代最も苦労した場所へご案内しました。
実はここ駒澤大学伝統の授業「坐禅」の道場なんです。
来年受講するという欽ちゃんに一足早く体験して頂きました
やった事あるんですか?やりました。
すごくつらかった記憶があります。
坐禅って大体テレビ向きではないですよね。
全然向きではないです。
欽ちゃん少し黙った方がいいんじゃないですか。
いやいやあのねこのテレビの仕事しててね言ってみりゃこの空間この静かがね耐えられないのね。
それはお客様が…お客様も見てる人もねこの格好ならいいですけど。
欽ちゃんやっぱりテレビの事を考えてるんですね。
かつて「視聴率100%男」と呼ばれたテレビの王様はキャンパスでも人気者。
若い学生たちからさまざまな相談を受けるといいます
友達つくりに来てる感覚もあるんですか?大学。
そうそうそう。
年を取ってね僕はね年取ってね一番幸せって何だろうって考えた事があるの。
それはね明日会う人がいるってのが一番幸せだって。
年取ってね明日会う人がいない。
明日仕事があるとかじゃないねやっぱ会う人がいるっていう。
学校来てるとうじゃうじゃ会う人いますから。
それも知らない生徒まで「欽ちゃん!」ってさうれしいよ。
有名人やっててよかったなと思う。
知らない生徒から。
先輩もくそもないから「おっ!」って。
雑談どうなんですか?こういう教室で会話したり一緒に御飯食べに行ったりとかという事はするんですか?知らない生徒がよくいろいろ聞きに来る。
「僕モデル事務所にさ写真出したんだけど受かりそうかね?欽ちゃん」って言うからさ「受かんないと思うよ」って言ったの。
何でそんなはっきり言うんですか?だって分かってますもん。
まあ確かにそうだとは思いますけど「大丈夫じゃない?」とかってちょっとこう気持ち上げるような言葉じゃないんですか?だけどそれは無理よって言って適当にしないですもん。
だからどうして落ちるかって説明してあげたよ。
君は既に頭茶色にしてるしピアスしてるからもうモデルだもん。
一流のプロはね素人を一流のプロにしようとしてるから既に出来上がりは絶対とらない。
そうしたらその子は「なるほど。
それ言われりゃそうだね。
よし俺明日から頭黒くしていこう」って。
一人前のタレントさんにしたいんですもん。
芸能界で「有名になる」はないんですよ。
「有名にさせる」人がいるんですよね。
4年生でしょんぼりしてんのがいてね俺言ったの。
「4年生いいな就職もう決まって」って言ったら「えっ?決まってないんだよ」って。
「あっ就職って大変なんですか?」って。
「自分の行きたい所自分のやりたい仕事というのはなかなかなれないんですか?」って聞いたら「うんなかなかいっても難しい」って。
僕ねテレビやっててねたくさんの名人に会って「あなたはその仕事になりたくてなったんですか」って言ったら99%が「やりたかなかったよこの仕事」。
「俺は商社マンになりたかったんだよ。
国帰ってきたらよおやじがやってたんだよ。
お前はいいんだ継がなくてっていう背中見たらよ何か悪いもんだからおやじ継ぐよって継いだんだ」。
「でも今名人でしょ。
この仕事今…?」。
「今?この仕事就いて幸せになったな。
やっぱ幸せになったな」ってあの顔が好きなの。
…って言ったらその大学生が就職の幅広がった。
恐らく自分がこの仕事したいと思ったらなかなかそこは。
世の中ってそうじゃない?私本当にずっとね…私本当に勉強してきたのはドラマですから。
いつ大河から来るかいつ朝ドラから来るかってドキドキしてたの。
来ないでしょ。
来ないよね。
その修業してたんですもん。
でもああテレビってすごいなと思って。
自分が得意のとこに一回も仕事来ない。
自分が苦手だなと思うと必ずそこへ仕事来る。
最初からアナウンサーやりたいって入ってきたんですか?私ですか?ええ小田切さんは。
私は…そうですね最初NHKに入る時は…。
すいません質問されてますけどもNHKに入る時はアナウンサーという職種を一応選んで入ってきました。
そしたら?あの…多分これは使われないと思いますけども使われないから言うんですけど結構ステージの仕事が途中から多くなっていったんですよね。
じゃあもう完全に?僕ステージ嫌だったんですよ。
いいですね。
俺ねこういうの聞くと大好きなの。
最初だからアナウンサーになってリポーターの仕事を随分やってリポーターでやっていきたいななんて思ってたら…。
なるほど司会。
そしたらね「ステージに立て」っていきなり言われてもうその時はほんとにもう一番嫌な仕事だったんです。
できないよって思うんでしょ。
思います思います。
何で俺なんだって。
それがテレビなの。
あのねやりたいとこにね仕事来ないの。
来ないほんと。
何でなんですか?これがテレビ。
やりたい事をやって番組がね当たるって事はないですね。
やりたいとかやりたくないけどこの人をそう使いたいんだという人がいるってところがすごいのテレビの。
どっかで自分の分かんない所でもしかしたらそれができるかもしれないって思う人がいたんだと思うと今考えるとすばらしい。
だから自分は何ができるとか何が得意なんだって言ってるのはね世の中にね私は無駄な事だと思う。
ですから僕はだからたくさんつきあってて欠点が長所になった時その人間が一番美しい。
僕みんな駄目な人と一緒にやって欠点だらけなんだけどそれがねある日何か長所になってくるって何かねその人間が何かうきうきするのかな。
このキャンパスライフ。
今大学入った。
欽ちゃん大学とテレビは何かつながってるんですか?つながってますよ。
つながってるんですかやっぱり。
テレビ作る時にテレビ見てテレビ作るって事はありえないね。
テレビって作る時は違うものを見て。
だから僕がテレビ成功したのはテレビを作るのにラジオへ行ったって事。
ラジオから気付いた事を持ってきたの。
だから変わったテレビになったんですね。
ですからテレビ作るのに違ったとこって大学っていいじゃないですか。
違ったとこへ来ると違う目線とか視線とか。
学校来て勉強してる半分ぐらいはあっ何か新しいテレビができそうだできそうだって叫んでますよ。
ですから4年の間に面白いテレビができればいいなと。
欽ちゃんにとってもしかしたら74歳というその世代その年齢だからこそ感じられるものが大学にあるんですかね。
70代で何ができるだろうって考えない方がいいですね。
70代だからやってない事って。
俺だって高校時代に大学行けないって事で母親がね大学へ行った方がいいよって言ったけども学校行かなくて済むんだってすごいうれしかったけどね。
母ちゃんと約束して俺年を取ってさお金稼いだら大学行くから心配しなくて大丈夫だって言ったけどその時はそんな気持ちはなかった。
そう言えば親喜ぶと思って。
まるでそういう気なかった。
でも何でこの年で行きたくなったんだろう。
この年だから面白そうだという事に気付いたからだね。
みんなできればね高校卒業してみんな働いてほしい。
それで社会に出て一生懸命ね。
それで社会に出て足らないやって気がついて大学へ行ったら大学面白いと思う。
俺大学行った方が楽しいやって気付いたのちょっと遅かったな。
もし卒業したらね今はねまた違うとこへねちょっとね挑戦してみようかなという気分はあるね。
何するんですか?大学。
だってもうちょっといろんな大学あるじゃない。
大学いっぱいありますけどどうするんですか?ですからまた行って。
別の大学に行くって事ですか?ええ。
楽でしょう。
なるべくだったら同じ学部だったらね。
もう一回1年からやったら全部100点だもん。
一応やってるから。
俺最高だと思うね。
この年で来ると学校って嫌な所じゃない。
最高に面白い所。
2015/09/21(月) 06:30〜06:53
NHK総合1・神戸
インタビュー ここから「萩本欽一 〜シニア世代よ 大学に行こう!〜」[字]
社会人入試に合格し、駒澤大学に入学した萩本欽一さん。74歳。舞台引退後の新しい挑戦として考えたのが大学入学。駒澤大学卒業生の小田切千アナウンサーがお話を伺う。
詳細情報
番組内容
今年春、社会人入試に合格し、駒澤大学に入学したコメディアンの萩本欽一さん。74歳。舞台引退後の新しい挑戦として考えたのが大学入学だった。キャンパスでは、若い学生と交流し、大いに刺激を受けている。時には、就職活動などの悩みの相談を受けることもあるという。「明日、会う人がいるっていうのがこの年になると一番幸せ」と語る萩本さんに駒澤大学卒業生の小田切千アナウンサーがお話を伺う。
出演者
【ゲスト】萩本欽一,【きき手】小田切千
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ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
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