地球ドラマチック「古代ローマ 驚きの技術〜巨大帝国発展の秘密〜」 2015.09.21


歴史上まれな巨大帝国古代ローマ。
卓越した技術で造られた円形闘技場では暴力的なショーが行われていました。
流血のショーを見るため2万5,000人の観衆が集まりました。
世界初の戦車はどのようにして生まれたのでしょうか?すごい威力がある兵器です。
ローマ人はイギリスを横断するほど長い壁をどうやって短期間で造ったのでしょうか?ローマ人はその優れた英知によって偉業を成し遂げました。
古代の文明には現代人でも驚くような優れた技術が存在していました。
その先進的な技術は今日にも受け継がれています。
想像以上に優れた古代文明はどのようにして築き上げられたのでしょうか?現代にも通じる古代文明の技術に迫ります。
古代ローマは高度な技術を駆使する事で巨大な帝国を築き上げました。
水を数千キロにわたって運ぶ水道橋。
数多くの戦いを勝利に導いた兵器。
そしてローマの栄光と残忍さを端的に表しているのが帝国の各地に造られた円形闘技場です。
中でも最も有名なのが首都ローマにあるコロッセウムです。
ローマの文明は現代社会にもさまざまな形で受け継がれていますがほぼそのままの形で模倣されているという点でコロッセウムは別格です。
建設を命じたのは…主な目的は娯楽の提供によってローマ市民を統治する事でした。
人々を飢えさせず刺激的な娯楽を与えておけば反乱の可能性は低くなりますからね。
コロッセウムのような円形闘技場では暴力的なショーが人気を博しました。
見物にやってきた観衆が期待していたものは流血そして死でした。
ローマ帝国の各地に闘技場が造られ年間を通じて数千人の出場者が命を落としました。
巨大な円形闘技場には現代の建築家の目から見ても高度な技術が駆使されています。
2つの円形劇場を背中合わせにつないだ構造です。
同じ形をしたセクションを縦と横に組み合わせてだ円形を作り現在のような完璧な形を築き上げたんです。
これは極めて現代的な建築技術です。
ローマ時代の円形闘技場の多くは長さ180メートル以上幅150メートル以上。
中央部は現代のサッカーのフィールドとほぼ同じ大きさです。
首都ローマのコロッセウムは最大で8万人を収容できたとも言われ現代の巨大スタジアムに匹敵する大きさです。
現代の技術を駆使しても建設に2〜3年はかかる規模なのにコロッセウムはたった8年で造られました。
フランス南部のニームにローマ時代の円形闘技場が残っています。
ニームの円形闘技場はローマのコロッセウムと違い当時とほとんど同じ姿を保っています。
ここは最も保存状態のいい円形闘技場の一つです。
360度どこを見渡してもローマ時代と変わりません。
現代のショーやスポーツは通常数時間で終わりますがローマ時代のショーは数週間も続きました。
皇帝ヴェスパシアヌスをたたえた大会は100日間も続き9,000頭の猛獣と2,000人の剣闘士が登場しました。
この闘技場の典型的なプログラムはまず午前中が猛獣退治。
鍛え上げられた剣闘士が猛獣と戦うものです。
昼には罪人の処刑がありますが昼食を食べに出る人も多かったようです。
そして午後はメインイベント。
剣闘士同士の戦いです。
円形闘技場の地下には現代のスタジアムでも見られないような技術が使われていました。
現代のスポーツ選手はトンネル状の通路を通って競技場に入ります。
ローマ時代の剣闘士たちはもっと洗練された形で入場しました。
闘技場の真下にある地下室です。
ここに剣闘士や対戦相手の猛獣が控えていました。
そして合図があると奴隷が巻き揚げ装置で闘士たちを地上に引き上げます。
地下室には数多くの仕掛けがあって剣闘士たちはいきなり地上に飛び出してくるんです。
古代世界のショーとしては最高に洗練された演出でした。
円形闘技場の地下はどのような仕組みになっていたのか模型を使って再現してみました。
コロッセウムの遺物に青銅の軸受けがある事から巻き揚げ機が使われていた事が分かります。
おそらく船のいかりを引き上げる時に使うようなものでしょう。
模型を作ってみました。
綱と滑車を組み合わせて籠を持ち上げます。
例えばゾウのように重量のある動物も登場しましたから巨大な装置もあったはずです。
ウィンドリーの計算によるとこの装置を最大8人で操作しました。
コロッセウムの地下にはこのような仕組みで動くエレベーターが80基設置されていたと考えられています。
地上に出るための跳ね上げ式の扉です。
開閉の操作は簡単ですが装置全体の仕組みは複雑です。
こんなものを大昔に実現していたとは本当に驚きです。
当時の技術者たちは現代でも見られないほど壮大なショーを実現しました。
ローマのコロッセウムに水を満たして船を浮かべ海での戦いを再現したんです。
観客には大好評でした。
このようなショーを可能にしたのは大規模な水道施設です。
首都ローマには長さ数百キロに及ぶ水道橋によって水が供給されていました。
しかしどうやって大量の水をコロッセウムに引き込む事ができたのでしょうか?ヒントは分水場と呼ばれる設備にありました。
水道橋によってローマまで運ばれた大量の水はこのような分水場によって市内全域にくまなく行き渡りました。
実に洗練された技術です。
2,000年前のローマでは現代のニューヨークよりも一人当たりの水の供給量が多かったと言われています。
この巨大な貯水槽に入った水は20の水道管に分かれていきます。
10個の穴に水道管が2つずつ設置されていたんです。
全ての水道橋に分水場が設置されていました。
コロッセウムで海の戦いを再現できたもう一つの秘密は地下にありました。
コロッセウムが建てられた土地はかつて皇帝ネロのために人工の湖が造られていた場所でした。
その時水を引くために設置された水路がコロッセウムに水を満たすために利用されたのです。
水道橋から分岐させて地下水路につなぎ闘技場を水で満たしました。
しかも排水用の門を開く事で水を満たすのにかかったのと同じ時間で闘技場から完全に水を抜く事ができました。
翌日にはふだんどおり土の上でのショーができたというのだから驚異的です。
2,000年近い昔に繰り広げられた地上最大のショー。
全ては古代ローマの優れた技術が可能にした事です。
現代の巨大建築物であるスポーツスタジアム。
ローマの技術者は2,000年前にその原型となるものを造り上げていたのです。
ローマのコロッセウムにはスタジアム建設に必要な要素がほとんど備わっています。
アンディ・サイモンズは現代のスタジアム建設で用いられる技術の多くが古代ローマにすでに存在していた事に気付きました。
フランスのニームにあるものをはじめ古代ローマの円形闘技場の多くは現代のスタジアムに非常によく似ています。
グラウンドに当たる部分の縦横の比率はどちらもほぼ5対3になっています。
その比率をスタンド席の角度にも当てはめる事でどの席からもショーがよく見えるように設計されています。
当時の工学技術と幾何学を駆使した驚異的な設計です。
信じられません。
今日私たちがスタジアムで観戦するのと同じ体験を2,000年前の人々もしていたのです。
さまざまな点で現代とよく似ていました。
興奮した観客…。
ひいきのスターに声援を送るファン。
スナックや飲み物の売り子までいました。
現代のスタジアムからプラスチックの椅子を取り外せばローマのコロッセウムとほとんど見分けがつきません。
闘技場の周りはアーチのような構造物でぐるりと囲まれていました。
建築物の支えと観客席への通路2つの役割を果たすもので同じような設計は現代にも受け継がれています。
建築様式・技術ともに並外れたものでローマ建築特有のアーチなどが壮大なスケールで造られています。
最も良い席に座ったのは身分の高い人たちでした。
一番低い階には元老院階級が座りました。
出入りが楽で空間的に広く出し物も近くで見られる良い席です。
階が上がるにつれて観客の身分は低くなります。
第2層は騎士階級。
第3層は一般のローマ市民。
第4層は市民権が無い女性と奴隷の席です。
この構造では最上階は空間的にかなり狭くなりますがそれも計算のうちでした。
階段の幅は意図的に狭められていました。
身分の低い人たちの退場を遅らせる事で下の階にいる身分の高い人たちが滞りなく退場できるようにするためです。
このような建築技術は2,000年近くの間ローマ人だけが手にしていました。
現代のスタジアム建築技術が古代ローマと同じレベルに追いついたのはせいぜい数十年前の事です。
見物客が強い日ざしを避けるための特別なシステムまで備わっていました。
こういった穴がたくさん残されています。
マストのような柱を立てるものでしょう。
その柱を使って天幕を闘技場全体に広げ晴れた日に観客を強い日ざしから守るようにしていたんです。
複数の天幕を使ったシステムは細かい調整が可能で太陽の位置が変わっても観客を日陰にとどめておく事ができました。
天幕はどのような仕組みで動いていたのでしょうか?驚くべき技術です。
私がこの模型で試した仕組みは現代では張力構造と呼ばれるものです。
それぞれの柱から出た綱が中央に張られた太い綱につながっています。
それぞれの綱の張り具合を調節する事で中央の綱はだ円形になります。
綱で仕切られた区画一つ一つに1枚ずつ帆布が張られています。
中央寄りの部分には綱を巻き付けた滑車が設置されています。
その綱の片方を引くと帆布が広がりもう片方を引くと畳まれます。
では実際に綱を引いてみましょう。
スムーズに布が畳まれていきます。
現代のスタジアムで使われている開閉式の屋根よりも古代ローマのシステムの方がより多機能な面があります。
この仕組みどおりだったとすれば天幕はさまざまな動きができたはずです。
単に広げたり畳んだりするだけでなく太陽が空を横切るのに合わせてゆっくりと動かす事もできたでしょう。
発想といいそれを実現した技術といいとても洗練されたシステムです。
現代の技術はこのシステムにようやく追いつき始めたところです。
2022年にワールドカップが行われるカタールのスタジアムには布製の屋根が設置される予定です。
ローマの円形闘技場と同じような仕組みで動くものです。
古代ローマの技術がいかに時代を先取りしていたかが分かるでしょう。
ローマ人の建築技術はより実用的な分野でも活用されていました。
国境の防衛です。
古代ローマの建築技術には現代人が近年になってようやく追いつくほど優れたものがありました。
皇帝ハドリアヌスは2世紀の前半に帝国史上最大級の土木事業を始めました。
国境に長い城壁を造らせたのです。
特に防衛の必要があったのは現在のイギリスの一部ブリタニアでした。
ブリタニアはローマにとって重要な土地でした。
生産性が高かったからです。
現在のスコットランドに当たる地域はローマに征服されていませんでした。
そこから攻めてくる敵を防ぎつつ交易関係は保てる城壁を造る必要がありました。
ローマ帝国の最北端でもあるブリタニア北部の国境は長さおよそ120キロ。
皇帝ハドリアヌスはそこに厚さ3メートル高さ6メートルの城壁を築き上げました。
ハドリアヌスの長城です。
仮に敵が城壁を乗り越えたとしても次の障害として溝が用意されています。
この巨大な建造物を造り上げたのはローマ軍です。
ローマ軍にはもともと優れた土木技術がありました。
ユダヤ戦争と呼ばれる戦いでは切り立った崖に造られた難攻不落の要塞を攻め落としました。
大量の土を運び込みわずか数週間で崖の周囲に斜面を築き攻撃したのです。
ローマ軍は優れた土木工事を何度もやってのけていました。
しかしハドリアヌスの長城はその中でもずば抜けたものでした。
長さおよそ120キロの長城はローマ帝国の崩壊後建築資材として数百年間にわたって流用されたほどです。
この巨大な建造物は1万5,000人のローマ軍によってわずか5年間で築かれました。
建造に使われた資材の体積はおよそ100万立方メートル。
全て手作業で築かれました。
ローマ兵は背負って運べる道具しか持っていませんでした。
これはリゴというざんごう掘りの道具です。
別名「足首砕き」。
使い方を誤ると地面を掘るのではなく自分の足首を砕いてしまうからです。
2つ目の道具は…ユリウス・カエサルはこう言いました。
「我々は剣よりもドラブラによって多くの勝利を収めてきた」。
ドラブラは片方に鋭い刃がありもう片方にはフックがあります。
木の切り株を掘り出すのに使います。
断崖など天然の障壁があればそれも長城の一部として利用しました。
長城の至る所にかなり長い直線を見る事ができます。
このような直線を作り上げる事ができたのは優れた測量機があったからでした。
グローマという測量機で長い直線を引く事ができました。
グローマは直線を引き直角を測る単純な道具ですがこれが無ければハドリアヌスの長城は実現しませんでした。
ただのひもと鉛のおもりですがこの道具がローマの土木事業において重要な役割を果たしました。
ぶら下げたひもに合わせれば測量地点で支柱が垂直になっているかどうかが分かります。
離れた地点に1本の棒を立てその棒がグローマのひもとピッタリ重なる位置に来るよう調節します。
これによって正確な測量ができます。
ハドリアヌスの長城が優れているのは単に巨大だからではありません。
中国の万里の長城の方がずっと巨大じゃないか…と言う人もいますがこの2つは建造の過程が全く違います。
ハドリアヌスの長城はわずか5年で1万5,000のローマ兵によって建造されました。
一方万里の長城は建造に2,000年近くかかり膨大な数の人が作業に当たりました。
また万里の長城は一切の侵入を拒む防壁ですがハドリアヌスの長城は壁の向こうにいる人々と交易ができるようになっていました。
ローマ人は勢力圏内に収めた地域はもちろんその外側にも出かけていきさまざまな交易関係を結ぶ事を目指しました。
ハドリアヌスの長城は国土の範囲を示しながら外交関係も保てる近代的な国境の始まりだったのです。
古代ローマの優れた技術は現代に通じる軍備も生み出しました。
狙撃手。
機関銃。
軍用哨戒艇。
戦車。
現代の軍備の原型が古代ローマで生み出されていたのです。
まだ火薬は存在しない時代でしたがローマ人は軍備の質と量が戦いの結果を大きく左右する事をすでに理解していました。
ローマは優れた兵器を大量に作る事で巨大な帝国を築いていきました。
ローマはさまざまな軍勢と戦い勝利を収めるために強力な兵器を作り出しました。
ローマの軍事力がいかに強大であったかを示す建造物が今も残っています。
皇帝トラヤヌスの治世でローマ帝国の領土は最大になりました。
高さ40メートル近い円柱にトラヤヌスの戦いを記録したレリーフが彫られています。
長さは200メートル近く。
石こうでレリーフを写し取ったものを見るとローマの勢力拡大に大きな貢献を果たした兵器が描かれているのが分かります。
バリスタです。
バリスタはローマ軍が所有する兵器の中でも最大級の威力がありました。
力の源は2本のねじりばねで主に動物のけんや人の髪の毛が使われました。
このようなねじりばねには「トーメンタ」という名が付けられていました。
「拷問に苦しむ魂」という意味です。
矢を発射するねじりばねを巻いていくとまるで悲鳴のような音を出すからです。
繊維でできたねじりばねを巻き揚げ機でぎりぎりまで巻き一挙に解放する事で発射される矢の威力は絶大なものになります。
もし矢を発射しないでいたらばねの力に耐えきれずバリスタそのものが破壊されてしまいます。
この兵器の威力が分かれば決して立ち向かいたいとは思わないでしょう。
ローマ軍がバリスタの訓練用に使った標的が見つかっています。
その痕を調べる事でバリスタの威力が分かります。
スコットランドにあった要塞の遺跡でさまざまな遺物が発見されています。
その一つが動物の頭蓋骨でバリスタの訓練に使われていました。
バリスタの威力を知るためその訓練を再現してみました。
この速度計で矢の速度を測ってみます。
通常は自動車のスピード違反を取り締まるのに使われる測定器ですが今回はバリスタの速度を測るのに使います。
おおこりゃすごい。
この威力を見て下さい。
こんなものをくらったらひとたまりもありません。
時速112キロ秒速30メートルです。
当時の記録によればバリスタの矢は敵のよろいを貫きそのまま兵士を後ろの木に釘付けにしてしまったそうです。
バリスタの存在は敵に対する威嚇になりました。
バリスタは強力なだけでなく非常に正確でした。
木や鉄の矢じりを付けた太い矢を的に向けて正確に放ちます。
射程距離も長くよろいさえ貫きます。
現代の狙撃手は戦場の後方に陣取って敵を倒します。
バリスタもそれとよく似ています。
短い距離でもバリスタはライフルのように水平に発射され威力を発揮しました。
しかし角度をつけて発射すると矢は放物線を描き射程距離は4倍に伸びます。
典型的なローマの軍団一つで60のバリスタを装備していたので400メートル先にいる敵軍に対し1分間に120本の矢を放つ事ができました。
人形を使ってバリスタの威力を試してみます。
バリスタは矢を放つだけでなく砲弾のようなものを飛ばす事もできました。
これはローマ人が実際に使用した石です。
大きさは野球のボールくらい。
ローマ人はこの石の表面を磨き軌道をより正確にして狙いどおり的に当たるようにしました。
威力は十分に分かったでしょう。
このような強力な武器を手に入れてローマは超大国に発展したんです。
バリスタは古代の戦場に革命を起こしたのです。
バリスタによってローマ軍の軍事力は大幅に増しました。
さらにローマ軍はバリスタを利用する事で世界初の戦車も作り上げました。
イギリスオックスフォードのボドリアン図書館にはローマ軍に関する貴重な記録が残されています。
これはおそらくローマ帝国が東西に分裂する直前の370年頃に書かれた本です。
著者は不明ですがタイトルは「戦争に関する事柄」となっています。
この本はローマの軍事技術について多くの事を教えてくれます。
本の著者は軍備に関する優れたアイデアを生みだし効率的な防衛体制作りを皇帝に進言しています。
本が書かれた4世紀後半古代ローマはアフリカ中東からイギリスにまで広がる巨大帝国になっていました。
しかし広大な領土は脅威にさらされる国境が長くなる事を意味します。
代々の皇帝は軍備の効率化に頭を悩ませました。
ローマ帝国の末期には長い国境を守るため騎馬隊が軍の中心になっていました。
騎馬隊の攻撃力を高めるために発明されたのが現代の戦車に当たるような兵器です。
ボドリアン図書館の書物にも戦車の原型となる兵器が描かれています。
巨大なバリスタを載せた台車です。
よろいをまとった2頭の馬に引かせ360度全ての方向を狙う事ができました。
機動性や攻撃力などさまざまな点で戦車の特徴を備えています。
全身をよろいで覆われた馬を動力として使った強力な兵器。
その名はバリスタ・クアドリロティス。
古代ローマで使用された戦車の原型となる兵器です。
現代の戦車の砲塔と同じように回転が利きどの方向にいる敵も攻撃できました。
ばねを利用したサスペンションを使っていたので機動力がありました。
現代の戦車の特徴は攻撃力機動力防御力の3つです。
バリスタ・クアドリロティスはこの3つを全て備えていました。
機動性を獲得したバリスタは戦場で圧倒的な力を発揮しました。
バリスタは強力な兵器ですが半自動式で連射できる形にはなっていなかったようです。
一方紀元前3世紀にはポリボロスと呼ばれる連射兵器がありました。
ポリボロスは紀元前3世紀にエジプトのアレクサンドリアで発明されたと言われています。
古代兵器の専門家アラン・ウィルキンズがポリボロスを再現してみました。
まさに機関銃です。
歴史上次に登場する機関銃は19世紀のガトリング砲になります。
ガトリング砲と同様ポリボロスも手回しで連射ができました。
驚くべき機械です。
史上初の技術が数多く見られます。
例えばチェーン駆動システムです。
西洋の歴史でポリボロス以前にチェーン駆動が使われた例は知られていません。
チェーン以外にもさまざまな特徴があります。
ポリボロスには8本から9本の矢を装填できます。
次々と装填していけば延々と打ち続ける事も可能です。
人間の指のような部品が弦を固定します。
巻き揚げ機を回すと弦が後ろに引っ張られ矢が上から落ちてきて装填され発射されます。
現代のさまざまな兵器の原型は古代に存在していたのです。
ローマ人はバリスタの威力を地上戦以外の場面でも活用していた可能性があります。
アメリカ軍はベトナム戦争において河川の安全を確保するため武装した哨戒艇を使用しました。
古代ローマ人も同じ事をしていたのかもしれません。
1980年代ドイツのマインツ近郊を流れるライン川でローマ時代の遺物が見つかりました。
2隻の船の残骸です。
考古学者たちはそれが古代の哨戒艇ではないかと見ています。
ライン川などの河川はローマにとっていわば心臓に血液を送る動脈のようなものです。
それを守るために哨戒艇が必要だったんです。
ローマはライン川に小さな艦隊を配置していました。
ベトナム戦争時のアメリカと同じです。
調査の結果この船には甲板があった事が分かりました。
資料と照らし合わせるとこのような船で甲板があるという事は飛び道具を発射する武器を備えていたと考えられます。
現代の哨戒艇が機関銃を備えているようにこの船の上にもバリスタやポリボロスなどの武器が備えられていた可能性があります。
これなら矢を300メートル近く飛ばせます。
川の真ん中で戦っても普通の弓矢しか持たない敵なら一掃できます。
こうしてローマ人は河川も支配していたんです。
バリスタは画期的な発明でした。
近代戦の礎をはるか昔に築いていたんです。
驚きです。
古代ローマは先進的な技術を駆使して強力な兵器を作り勢力を拡大していきました。
その技術は軍事以外の分野にも活用されました。
現代の大都市でもめったに見る事のできない建築物が2,000年前のローマに存在していたのです。
それは第5代皇帝ネロが造らせたものでした。
皇帝ネロは回転式のダイニングルームを所有しそれで来客を楽しませました。
2,000年も時代を先取りしていたんです。
アメリカのサンディエゴに住むアル・ジョンストンとジャネット・ジョンストンは回転する家を造りました。
みんな喜んで皿洗いをしたがるの。
キッチンからの景色が最高だから。
建築の新たな第一歩ですよ。
回る家動く建築物。
いわば未来の建築です。
このような建築物がローマに存在したというのは本当なのでしょうか。
ローマの地下で大きな発見がありました。
ドムス・アウレア。
黄金宮殿の名残です。
皇帝ネロが造らせたぜいを極めた宮殿でかつては40万平方メートルを超える広さがありました。
大理石が敷き詰められ噴水や窓がたくさんあり天井には金メッキが施されていました。
そこでドムス・アウレアと名付けられました。
直訳すれば「黄金の家」という意味です。
現代ではありえない規模で造られた宮殿ですが回転する家は本当に存在したのでしょうか?「ローマ皇帝伝」の著者である古代ローマの伝記作家スエトニウスがネロの宮殿についてヒントを残しています。
スエトニウスはネロのプライベートな食堂を「天体の動きに連動するかのように回転する」…と表現しています。
何を意味しているのか正確には分かりません。
回転する天井に星や月が描かれていたのかあるいは壁が回転したのか…。
ドムス・アウレアの迷宮のような遺跡の中にその部屋が実在したという証拠がありました。
回転する床の基礎だったと思われるものが見つかったんです。
直径は15メートルありました。
2,000年近く前の時代にローマの技術者はどのようにして回転する床を作ったのでしょうか?CG研究者のディーンは最新の技術を駆使して古代の謎を解き明かそうとしています。
ローマ人は晩さん会でこのようなソファーに寝そべりました。
しかしどうやって床を回転させたのでしょうか?現代でも難しい技術です。
動物の力で動かした。
おもりを利用した。
何らかの回転装置を使った。
さまざまな仮説があります。
サンディエゴの回転する家は21世紀の技術を利用しています。
土台となる1階部分の天井にはレールと1.5馬力のモーター減速用のトランスミッションがあります。
モーターが2階部分を動かしているんです。
方向やスピードは自由に変えられます。
しかしローマ時代にはどんな技術が使えたのでしょうか?おそらく回転する床を動かしていたのは巨大な石を利用したボールベアリングのような仕組みだと思います。
2,000年近く前にボールベアリングの技術が存在したのかどうかは分かりません。
またボールベアリングを動かす動力源は何だったのでしょうか?床がボールベアリングの上を回転していたというのは考えられる事です。
では床を継続的に動かすための動力源は一体何だったのか?考えられるのは水力です。
ローマ人は水力の応用にたけていたためこの説には説得力があります。
しかし現状では推測の域を出ていません。
回転する床の仕組みはまだ解明されていませんが皇帝ネロの常識外れの夢は何らかの方法で実現したのでしょう。
夢のような宮殿を造ったネロですが行き過ぎたぜいたくに不満が高まりついに反乱が勃発。
ネロは自殺に追い込まれます。
栄華を誇ったローマ帝国も経済政策の失敗や内乱異民族の侵入などによって次第に衰退。
東西に分裂したのち滅亡しました。
しかし古代ローマの遺産は今も受け継がれています。
さまざまな分野で現代文明の基礎となるものを生み出したローマ帝国。
その技術は古代の文明がいかに優れたものであったかを証明しているのです。
2015/09/21(月) 00:00〜00:45
NHKEテレ1大阪
地球ドラマチック「古代ローマ 驚きの技術〜巨大帝国発展の秘密〜」[字][再]

スタジアムの原型、イギリスを横断する城壁、そして世界初の戦車…。これらは全て、古代ローマで作られた。今日にも受け継がれる先進的な技術はいかにして生み出されたのか

詳細情報
番組内容
二千年近く前のローマ帝国は、現代人も舌を巻く優れた技術にあふれていた。水を満たして模擬海戦ができたというローマのコロッセウム。長さ120キロに及ぶハドリアヌスの長城。そして、戦車の基となったと言われる矢の発射装置、バリスタ。再現シーンを交えながら、建築、土木、軍事、さまざまな側面から当時の技術を検証。現代にも通じるほどのレベルの高さを誇った、古代ローマの技術の粋に迫る。(2014年イギリス)
出演者
【語り】渡辺徹

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境
ドキュメンタリー/教養 – 宇宙・科学・医学
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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