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御嶽山噴火から1年 追悼式で黙とう
9月27日 15時05分

御嶽山噴火から1年 追悼式で黙とう
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死者と行方不明者が合わせて63人に上り、戦後最悪の火山災害となった御嶽山の噴火から27日で1年です。ふもとの長野県王滝村では追悼式が行われ、噴火が起きた時刻と同じ午前11時52分に遺族などが黙とうをささげ、亡くなった人たちを悼みました。
去年9月27日に起きた御嶽山の噴火では58人が死亡し、5人の行方が分からないままです。
噴火から1年となる27日、ふもとの長野県王滝村では正午前から地元の自治体が主催する追悼式が行われました。式には遺族や警察・消防の関係者などが参列し、噴火が起きた時刻と同じ午前11時52分に黙とうをささげて犠牲になった人たちを悼みました。
このあと王滝村の瀬戸普村長が「明確な前兆がなかった今回の噴火は火山予知の難しさを露呈し、山頂近くにいる人たちへの情報伝達や避難など多くの課題を浮き彫りにしました。地元の自治体としては、長野県や火山研究機関などと連携を深め、より確実な安全対策の取り組みを進めていきます」と述べました。
また遺族を代表して、夫を亡くした伊藤ひろ美さんが「情報がきちんと登山者に知らされていれば多くの命が救われたかもしれず、悔しくてしかたがありません。二度とこのような惨事が起こらないよう、噴火を教訓として火山防災体制が整っていくことを望みます。被災者家族も登山者の意識向上のための活動に努力し、一日一日を励まし合い助け合いながら元気で生きていく覚悟です」と述べました。
このあと参列者たちは献花台に花を手向けて、犠牲者を悼んでいました。

遺族たちは

王滝村で行われた追悼式のあと、遺族の代表4人が今の心境を話しました。
このうち、夫を亡くした長野県東御市の伊藤ひろ美さんは「日がたつにつれて気持ちが落ち着いてきたけど、この1か月は1年を意識してしまい、つらいことを思い出していた。あすからは新たな1年に向けてしっかり生きていこうと思う」と話していました。
息子を亡くした東御市の荒井寿雄さんは「これまで息子が亡くなったことを受け入れることができなかったが、きょうの追悼式に出席して、もう帰ってこないという気持ちになり、死を受け入れることができた。前を向いて元気を取り戻して生きていきたい」と話していました。
夫を亡くした長野県池田町の野口弘美さんは「夫は自衛隊や消防などの人たちのおかげで、私のもとに帰ってきたし、毎月27日には多くの人が花を手向けて拝んでくれているので、多くの人に感謝したい」と話していました。
山梨県甲斐市に住んでいた弟夫婦を亡くした東京・小平市の猪岡孝一さんは「きょう11時52分を迎えたとき、弟は噴煙に巻き込まれた暗闇のなかで、どんな気持ちだったのだろうと考えた。われわれ家族はこれからも弟夫婦を思いながら生きていきたい」と話していました

8合目の山小屋でも追悼

御嶽山の8合目、火口からおよそ2キロのところにある山小屋の女人堂には午前中から多くの登山者が訪れました。
27日の御嶽山は山頂付近に雲がかかっているものの、時折、晴れ間ものぞいて、その間は紅葉で色づいた山を見渡すことができました。
登山者らは山小屋のそばに設置されている献花台に花を手向けたあと、山頂に向かって手を合わせていました。そして、1年前に噴火の起きた午前11時52分を迎えると、慰霊に訪れたおよそ20人の登山者が犠牲者をしのんで1分間の黙とうをささげました。
噴火当時、山頂付近にいた長野県諏訪市の50代の夫婦は「1年がたつのに合あせて慰霊の登山に訪れました。自分たちは逃げきることができたが、亡くなった人たちのことを思うとことばにできない気持ちになる」と涙を流し、ことばにつまりながら話していました。
また、長野県松川村から登山仲間と4人で慰霊に訪れた60代の女性は「亡くなった方々を供養しようと、花を手向けて手を合わせた。安らかに眠ってほしい」と話していました。

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