医療用の人工知能研究

2015-09-26 | taka

最近、人工知能がブームです。

挫折の歴史がある研究分野ですが、計算機の能力の向上や各種の技術進歩に支えられ、かなり見込みのあるアプリケーションがいくつも登場して来ました。当然、応用分野の一つとして、医療用の人工知能についても期待が高まっています。
そこで、医療用の人工知能研究に携わる医師として、この分野に興味のある方にぜひ知っておいて頂きたいことを記します。なぜ、こんな文章を書いたかと言うと、今、医療の情報化に関わる政策が様々な問題を抱えているのですが、医療用の人工知能研究についても、同じ問題が繰り返されることを危惧しているからです。

先日、「医師国家試験の問題を解く人工知能を開発」というニュースがありました。今のところ正解率は4割で、今後、合格の目安になる6割正解を目指す、とのことです。大学病院での実証実験を行う、とも書かれていました。
この記事、どう思われたでしょうか。「凄い!」と思うか、「正答率が低い!」と思うか。AI分野の方は予備知識がおありでしょうから、「こうした研究は他にもいろいろあるよね」と思われるかも知れません。
お伝えしたいのは、「医学知識」がある人は、果たしてこの記事をどう読むか、という点です。

医師国家試験の臨床問題は、医師として覚えておくべき重要な疾患が出ます。特徴的な所見や経過を呈する、基本的な疾患ばかり。そうした疾患の診断を支援して頂いて、医師は嬉しいでしょうか。また、「大学病院での実証実験」と言いますが、大学病院が国家試験レベルの(つまり、基本的な疾患の典型的な)患者を診るのでしょうか。正解率として6割を目標としているそうですが、誤った4割のケースはどうするというのでしょうか。
医師が望むのは、自分が知っている疾患についての情報ではなくて、たとえば、「診断に困ったときに、自分が知らない疾患の可能性」を教えてくれたりする仕組みです。したがって、普通の医師が知らない希少疾患も含めての情報が必要となるので、必然的に情報源は英語としなければなりません。今回の技術は日本語が対象のようですから、その点でも技術的なミスマッチがあるでしょう。
さらに根本的な問題は、医療では、いかに高度な技術でも臨床現場の泥臭いニーズに合致していない限り意味が無いという点です。臨床で用いるには、基礎技術を優れたユーザーインターフェースで包む必要があり、そこに相当な時間とお金が掛かります。これらは、基礎研究者の仕事ではありません。

誤解を避けるために付言すると、医師国家試験の問題に取り組まれた今回の研究の価値を否定するつもりはありません。診断用人工知能のベンチマークとして、問題と回答が整っている国家試験問題は適切な問題の一つです。また、基礎研究として、今回の研究が発展することで可能となる応用はいくつもあります。たとえば、一般的な疾患であっても診療ガイドラインを元に重症度を評価したりそれぞれの治療を確認したいというニーズはあるので、今回のような技術を元にガイドラインを自動提示するような仕組みは、本当に便利だと思います。
けれども、ここでお伝えしたいことは、そうした個別の研究の可否ではありません。医療用の人工知能という研究分野をどう育てるか、そして、それを教訓として医療用の情報技術をどう発展させていくかという、研究分野のあり方に関する問題提起です。
「人工知能が熱いよね」、「人工知能、医療用にも応用がいろいろあるのでは」という発想は、もっともなものです。実際、人工知能の研究は、医療用人工知能の研究がブレークスルーになって発展した歴史があります。けれども、以上に見たように、「だから、人工知能研究を医療に応用してみよう」、「医療用人工知能研究に予算を付けよう」という発想では、技術進歩に貢献できない可能性が高いと考えられます。

人工知能の基礎研究者が医療系研究に参入する場合、まず、疾患に関する知識ベースを構築する必要があります。疾患の知識ベースの構築には、医師による膨大な単純作業が求められますから、相当なコストと時間が必要です。さらに、臨床的に有用な技術とするためには、臨床医のテストユーザーを巻き込んだ、ユーザーインターフェースの地道なブラッシュアップが欠かせず、相当なコストと時間が求められます。したがって、単に研究予算をつけるだけでは、研究基盤の構築や臨床への対応だけで時間とコストの大半が消費され、研究としての成果にまで辿りつくことが困難です。
この分野を発展させるためには、まず、知識ベースとユーザーインターフェースについて「共通の研究基盤」を構築し、基礎研究者が存分に能力を発揮できる環境を作っていくことが必要です。しかし、こうした「研究のコーディネーション」には、情報系の研究能力に加えて臨床知識が不可欠です。日本の医療の情報化に際しては、残念ながら、そうした施策が欠如してきました。
医療用の人工知能研究は、臨床医が日常的に利用する「オーダリングシステム」の品質向上に繋がる重要な研究分野です。研究助成をされる側は、計算機科学分野の研究展望と臨床知識の双方に基づき、戦略的な研究投資をされることを希望します。また、研究に参入して下さる情報系の先生方は、基礎研究としての発展に注力して頂くためにも、私たちの研究基盤のご活用についてご一考頂ければと願っています。