時代に埋もれた孤高の写真家の作品と生涯に迫る。映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』
シカゴに住むアマチュア歴史家ジョン・マルーフが、地元のオークションハウスで資料として購入した箱いっぱいのネガ。撮影者の名前はヴィヴィアン・マイヤー。
マルーフがネガをスキャンしてウェブにアップするやいなや大きな反響があるものの、マイヤー自身に関する情報は皆無だった。2年後、彼女の死亡に関する記事を見つけたマルーフはその記事に名前のあった人物を訪ね、リサーチを開始する。
彼女はプロの写真家ではなくナニー(乳母)であり、孤独を好む秘密主義者、そして驚くべきことに15万枚もの写真を誰にも見せることなく残してこの世を去ったのだった。
この映画では、マルーフが生前のマイヤーを知る人へのインタビューを重ねることで謎の人物像を探る過程が描かれている。
作品の素晴らしさや、彼女の風変わりな人柄はさることながら、興味深いのはマイヤーの作品を発見したのが、写真や美術の専門家ではなく、歴史家(しかもアマチュア)であり、SNSのシェアを通じてその評価と人気が広がっていったということにある。
マルーフは劇中で数度にわたって、ヴィヴィアン・マイヤーの作品に興味を示さなかったニューヨーク近代美術館(MoMA)への不満を漏らしている。一体誰が美術作品の価値を決めるのか。
ヴィヴィアン・マイヤー本人の意思によるものではないにせよ、美術館が無視したところで写真集の売り上げは記録的なものであったのだから、権威のお墨付きなどもはや必要ないのだろう(とはいえ、MoMAの言い分だって聞いてみたい)。
誰もが口をそろえて「変人」だという風変わりなこの女性が、なぜこれほど多くの写真を残しながら誰にも見せることなくこの世を去ったのか、という最大のミステリーについて明確な答えが出ることはないが、「人はなんのために写真を撮るのか」「記録とは何か」「表現とは何か」「価値とは何か」ということについて考えさせられる実に興味深い事例である。
しかし、世の中には運のいい人というのがいるものだ。劇中で、ある人がマルーフにむかって言う「君のかわりに僕が発見していたらよかったのに」という言葉は多くの人の本音だろう。あるいはマルーフ本人が言う通り、彼には「物の価値がわかる」のかもしれない。
URL:http://vivianmaier-movie.com
熊倉晴子(森美術館アシスタント・キュレーター)=文
(『美術手帖』2015年10月号「INFORMATION」より)