「仕方がないよ」という言葉は、本心からではなく、そう言っていないと、本当に、心が死んでいってしまうからでした。大きすぎる問題に立ち向かうには、当時の自分はあまりに幼く、力も、知識もなかった。ただ「受け容れる」、そうするしか、方法がなかったからです。
生き延びた人たちが身に付けた対処法は、あくまで死なないための技術であり、能動的に欲しがって得たものではありません。それなのに、その技術を頼りにし、よくない言い方をすれば、利用して、自分を救ってもらおうとする人が、残念ながら存在します。
はせ おやさいさんと同じ環境に育っても、脳のハードウェア的なスペックがイマイチでIQやEQが低い場合、
どんなに心が死にそうでも「死なないための技術」を身につけられなくて、潰れる/詰む/死ぬ、という状況に陥っているし、
そういう人は魅力的な文章を紡げないので、知られる機会が無く、無かったもののように葬り去られます。
自分がもっと頭良く/悪く生まれていたら?というところは想像しにくいものですが、
はせ おやさいさんは、やっぱりすごく恵まれた脳に生まれていると思います。
そのせいで周囲から余計に期待されて、余計なものまで負わされて、余計に苦労もされたのだと思いますが、
それでもIQやEQが低いよりは、未来がある分、ずっといいのだと思います。
(皮肉ではありませんし、「だからIQやEQが低い人を助けろ」と言うつもりは全くありません)
賢い人ほどうつ病になるイメージがあるのは、うつ病を外に向けてわかりやすく説明できる人が、
結局賢い人しか居ないから、そういうことになっているのだと思います。
実際には、環境が悪ければうつ病にはなりますし、IQやEQが低いとそこから抜け出すことが出来ません。
精神疾患持ちに、賢い人やお金持ちは少ないです。少ない例のみがメディア露出します。
そういう思考をする人間を、元エントリのような人は敏感に察知し、近づいてきます。表面は「あなたの苦しみを理解しているよ、だから僕の苦しみも理解できるよね」というふうに親しさを装い、近づき、自分のヘドロのような感情をわたしに押し付けて、用が済むと、去っていきます。わたしは一方的にゴミを押し付けられて、ひとり呆然としますが、ただ笑ってこう言うしかできないのです。「仕方がないよ」。
元エントリのような人は、ヘドロが四六時中沸きあがってくるような「思考のクセ」を持っていますし、
誰かに押し付けないと自分から湧き出たヘドロで窒息するので、常に痰壺にできる人間を探し回っています。
IQが一定より高くないと、「思考のクセ」に自分で気づいて、年単位の時間をかけてじっくり治していくということは出来ません。
脳のスペックが足りている人は、ストレス源から解放されて、「思考のクセ」に向き合う時間を設ければ治ります。
脳のハードウェア的に出来ない人が居ます。どれだけ休んでも「思考のクセ」を手放す力が無いのです。
暴力衝動も遺伝します(それを研究している人も居ます)。やっぱり、私が一番可哀想だと思うのは、
現代社会で生きにくく、人に迷惑をかける身体(脳を含む)に生まれて、そこから死ぬまで出られない人です。
戦時中や狩猟採集社会では英雄になり得た身体が、平和な現代社会では前科者になります。
どんな時代・どんな身体に生まれるかは運です。自力でコントロール出来ないことが人生の多くを決めています。
でもはせ おやさいさんや、くたびれはてこさんのような人が、可哀想な人を身を挺して救う必要は全然無いと思います。
助け合いが出来る対等な関係の中に留まる権利があると思います。
一方的に救う役割は、SiriやPepperが負えばいいのではないでしょうか。