ブログは書きたいことを書いた方がいいです。
書くことで昇華できたり、整理できることもあります。
書きたいと思って書かれた記事は、人の気持ちを揺さぶる力があります。
わたしは書くことも読むことも大好きです。
生々しい体験や声。自分がしてこなかったことや、体験できなかったことを読むことで、新しい気づきや考えかたを得ることあります。
他でもいろいろブログなどを書いてきましたが、はてなでは他のブログでは得られなかったことを得たような気がしています。
書いてくれた人に同意納得感謝したり、反発反意違和感を覚えたり。それがはてなブックマークコメントでダイレクトに伝えられて、さらに拡散されてしまうのも、はてな。
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みんなが思うように書けばいいし、書きたいことを書けばいい。そんな感じで書いているブログは好きですし、書いている人をちょっと尊敬しています。そういうブログを読むのは楽しいのです。でも、自分の中では「書きたいこと、伝えたいことほど慎重に書いたほうがいい」と思っています。
心の底から書きたいと思うことの中には、
- 自分が大切に思っていること
- 大事な思い出
- 傷ついた過去
- なかなか振り払えないトラウマ
こういうものがあります。
自分の思いが強くこもっていること。
まだ、傷が完全には癒えていないこと。
そんなことをブログに書きたいことがあるでしょう。
ありますか?
わたしはあります。
たくさんあります。
そこにはわたしの思いがこもっています。
書くことによって思考は整理されるので、そういうことこそ書きたいことの1つです。
未昇華のことをあれこれ書いていくことで、
- 本当はわたしこう思っていたんだ
- 問題はここにあったのか
と、気付くこともできます。
書くことは、いいこと。
でも、すべてを書くことは難しいのです。
せっかく自分が大切にしていた思いを書いても、自分の趣旨と違うふうに読み取られてしまうことがあります。
自分は全部解っているから、「そういうことを言いたかったんじゃないんだよ!!」と怒りを覚えたり、読者の読解力のなさを(心の中で)なじることもあります。
自分の思っていること、考えていることが、なかなかうまく伝わらない。自分の中の繊細なことならなおさら。
筆力の問題も。
すべてを伝えることなんかできません。本人の体験や思い、本人には本人にしかわからない文章にはできなかったバックグラウンドがたくさんあるのですから。
そのまま書くと他人に迷惑を掛けるからフェイクを入れたりして、話がぼけてしまったりすることもあります。
読み手の読解力の問題もあります。たいていの読み手は自分の読みたいように読みます。その裏にあるものや行間なんか読み取る義務はありません。自分の読みたいように読むことがほとんどだと思っています。わたしもそうです。自分を重ねて読んだりしています。
もしかしたら「伝わらないことがある」というよりは、「伝わらないことのほうが多い」のかもしれません。
でも、それでいいのです。
一度手を離れたお話は、勝手に歩き出して勝手な方向に行ってしまうのです。
だからこそ、
- 自分の大事な思い出
- 傷ついた過去
- なかなか振り払えないトラウマ
これが、まだ、やわらかなうちは、この自分の弱い部分、大切なことを、安易に手放して歩かせてしまわないようにしています。
書いてはいけない、書かない方がいいというわけではありません。そこを臆せず書ける人はすごいなと思っています。
特にはてなでは、日常的にアクセス数が少なくて「誰も読んでいないだろう」と思っているようなブログでも、他のブログにはないような双方向のやりとりが、はてなブックマークコメントや言及で繰り広げられることがあります。
傷はきれいになった
昇華した
消化した
理解した
納得した
と思っていることも、(自分には)思いもよらない方向から打たれると、傷ついたりします。かさぶたをむしり取られたりします。
書くのをやめたほうがいいということではありません。そういうことこそ読みたい人はいるでしょうし、わたしもその一人であったりもします。でも、その反響によって傷つきそうなら、激しく傷つきそうなら、ブログにはちょっと慎重に書いていきたいと思っています。
今日はここまで。
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