むかしNHK教育に「はたらくおじさん」という番組があった。
テレビによる社会科見学番組で、農業、工業、商業、官庁のさまざまな業種で「はたらくおじさん」の姿を見せてくれる。「はたらくおばさん」もいたと思う。わたしは「はたらくひと」を見るとすごいなあと思う。知らない業種に関しては自分に出来るか考えて、出来そうだったらちょっとうれしくなるし、出来なさそうだったら感心する。
昨日「プロフェッショナルな現場で働く特別な才能を持つひと」と書いたら、ここのところを「第一線にいる一流の人として」と読んだ方がちらほらいらっしゃった。
これはサイボーグ009みたいな選ばれた特殊能力のエリート集団の話ではない。
わたしがプロに相応の敬意を払ったらどうかと書いた理由はふたつある。ひとつは仕事で対価をえるなかで、プロとして求められることがあるということ。ひとつは遊びの延長でお金をもらっているアマチュアではないということ。
仕事に就き対価をえること
働いてみてわかることがいろいろある。子供の頃、経営者の父があちこち飛び回っているのに、いつも会社にいる専務さんは楽をしていると思っていた。空き時間に事務所の裏でゴルフの練習をしたりしている。あんなひとにパパはお金を払っているなんて!とまで思っていた。
その方の助力で父が経営を続けられたのだとわかったのはずっと大人になってからだ。世の中にはいろんな仕事があって、それぞれの仕事に求めらるスキルがあり、それに応じようとはたらくひとたちがいる。
アニメの背景を描く仕事をしていたときに、同人でバリバリ稼いでいる人から「プロの方ですね!あやからせてください!」といわれたことがあった。わたしは将来性を見込まれて運のよさだけで仕事に就いて日も浅く、「いや・・・プロとかいえる立場では・・・」という気持ちだった。同じ年に、同じ歳で名前を出してイラストレーターとして活躍している人から年賀状をもらった。「プロフェッショナルとしてがんばりましょう」というようなことが書いてあり、足元にも及ばないんですけど・・・と縮み上がった。
当時のわたしは絵を描くのがすきだから絵に関係した仕事がしたいという理由で仕事に就いていた。ゲーム会社にもいたけど、プロとしての自覚というようなものはなかった。働いて対価をいただくということがどういうことなのか、よくわかっていなかった。軽く考えていたといわざるをえない。仕事に対する敬意がなかった。*1
その仕事がどんなにたいへんかわかると、その仕事に敬意を払う気持ちになる。映画「ヘルプ」を観たとき思ったのは、この人たちは家事労働のプロである黒人に対する敬意がないということだった。
家事の現場を知らないから軽く見て、軽く見ているから見下す。相手が黒人でも完璧なピアノ演奏とか、完璧な口頭弁論とか、当時の社会で尊敬される仕事をやる黒人がいたら、彼らは家事労働に就く黒人女性を見下すほどには見下せなかったと思う。*2*3
でも見下している仕事、たとえば家事労働のたいへんさを思いやるだけではまだダメで、料理をするには計算ができないといけないとか、家事労働を平行作業ですすめるためには計画性が必要だとか、相応の技術が求められること、仕事に応じて「特別な才能」が必要だということがわかって、*4はじめてその仕事に対する敬意をもつようになるのだと思う。少なくともわたしはそんな風に「はたらくおじさん」を見ておじさんすごいと思ったものだった。
アマチュアではないということ
いまの仕事をはじめたとき、話を聞いた弟から「そんなことに金を払うやつがおるん?中洲で飲んだほうがましやん」と言われた。そんなんで金もらうとか楽な仕事やね、詐欺やん、という調子。いっぽう祖父はわたしの仕事を知って以来、顔をあわせるたびに目を細めて「ほほう、これは誰にでもできる仕事やないよ?」といった。*5
「店を出しなよ」「売れるよ」といわれるできばえのものを趣味で作れる人がいる。そういう人は気が向けば無料でサービスをしてくれることもある。そういう感覚でわたしに仕事をやってもらおうとする人がときどきいる。
仕事に自信がなかったときは、「この程度でお金もらっていいのかな」という迷いがあった。*6いまはそういうときに「プロとしてやってるんだから対価をもらわずにサービスを提供するのはあかん」と思う。けじめをつけないかんと思う。
あのエントリーによせられたブコメのなかに、そういうサービスで金をとるのはけしからんというようなものがあった。そういうひとに言いたいのは、プロなんだから金とるのは当然だ、ということだ。気に入らなければ不買すればいいのだ。不買と買って応援は大人の基本だ。
仕事を依頼する側の責任
特定の仕事を否定したかったら不買がいちばんだ。文句を言いつつサービスは利用して、結果的に投資しつづけていたら企業を倒すことはできない。なくなってほしい商売については積極的に不買を呼びかけ、その正当性を主張していけばいい。買い手がいて、利用者がいて、商売はなりたっている。
利用することで問題がおきる可能性があるからサービス提供者が悪いと書いている人がいた。刃物を売るとそれで人を刺す人がいるから売るなという話だと思う。まあでもそこで不買ですよ。人を刺す人は刃物買わなきゃいいんですよ。売ってるから悪いはとおりませんよ。
「男の生理的弱みにつけこんで」っていうのもあったけど、ヤクザか堅気かによらず、すべての商売はいわば「生理的弱みにつけこんで」成立している。肉の欲望、目の欲望に訴えて交渉を成立させるのが商売だ。買い手は売り手を吟味して、不買するか買って応援するか、自己責任で選んでいかなければならない。
そういう責任がもてない人はお金を使うのはまだ早い。店に文句を言っていいいのは店が違法行為を働いているときと、うたっているのとは違うものを売りつけられたときだけだ。
相手の仕事に敬意をはらう、仕事でやっているんだから素人に無償で頼むようなことはしない、対価をはらうに値しないと思えば不買する。どんな仕事についてもこの三つはだいじ。
*1:当時は家庭用ゲーム機がこれほど普及するとは思っておらず、漫画やアニメも圧倒的にちいさいおともだちのためのものだった。なので子供相手のおもちゃを作る仕事に就いたと思っていたのだった。
*2:それはそれで激しいバッシングに遭っただろうけどね。
*3:それで世界を変えたのがマイケル・ジャクソンですよ。
*4:id:luv-lifeちゃんとこのコンビニ仕事とかすごいよな。
*5:何年か続けてみて思うけれど、実際そうだった。
*6:いまもないわけではない。価格設定は悩みどころ。