千葉雄高
2015年9月26日05時08分
終戦直後に中国で生まれた男性を「中国残留邦人」と認める判決が、今年5月に東京地裁であった。国が残留邦人と認めなかった判断が、訴訟で覆されたのは初めて。決め手となったのは、男性の出生をめぐり、亡き母が20年前に書き残した手紙。時代に翻弄(ほんろう)されながらも、懸命に生き抜いた母の人生がつづられていた。
男性は、埼玉県羽生市の増岡孝さん(69)。母親の美津以(みつい)さんは1996年に79歳で亡くなった。
増岡さんは46年1月、中国東北部で美津以さんと日本人男性の間に生まれた。91年に日本に永住帰国。65歳まで食品加工場で働いたが、定年後の生活が苦しくなり、2012年、厚生労働省に残留邦人向けの支援を申請した。
支援は、両親が日本人であることが条件だが、国は増岡さんの父が日本人か明らかではないとして申請を却下。このため、増岡さんが却下処分の取り消しを求めて提訴していた。
裁判では、美津以さんが亡くなる前に書き残した手紙を提出した。そこにつづられていた内容は――。
美津以さんは埼玉県で生まれ、1934年に17歳で結婚したが、翌年に夫が結核で死亡した。面倒を見てくれた長兄も日中戦争で戦死。居場所がなくなり、39年に次兄を頼って中国東北部に渡った。
看護師の勉強をしながら病院に勤務。鉄道建設に携わっていた日本人男性と親しくなって同居し、増岡さんの姉を出産した。男性に結婚を持ちかけると、男性から「日本に妻がいる」と打ち明けられた。男性は45年5月に召集され、8月の終戦を迎えた。おなかには増岡さんがいた。
中国人らが日本人の家を打ち壊す中、美津以さんは、神社の床下に隠れて男性の帰りを待ったが、男性は戻らなかった。勤務先の病院で働いていた中国人の男性事務員を頼って身を寄せ、増岡さんを出産した。
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