麻枝准作品については昔からアンチと信者の間の断絶が激しい。今日もまたAngelBeats!が話題になり奥深くない無益な争いが生まれちまったな……。悲しいことに、今日話題になった記事に関しては筆者がアンチ姿勢を明確にしており、言葉遣いが汚く、それからドナーカードの件で間違った知識をばらまくな!と憤りの姿勢を示しているにもかかわらずKey作品と京アニの関係について間違った知識をドヤ顔で書いてしまうなど、突っ込みどころが満載であったためか、残念なことにあまりまともな反応がなかった。だが、以前からこのような残念な記事よりもっとまともな麻枝准批判はたくさんあったのに、それでも麻枝准作品の信者から直接の応答があったことはあまりなく、両者の間の断絶が深まっている印象を受ける。代わりにどうでもいい人がどうでも良い反論をして余計溝を深めていっている気がする。今日の残念な記事についてもそんなわけで、もはや両者の間にはまともなやり取りが成立しなくなっており、今日の残念な記事のようにただ過激で単純な意見が今更話題になってしまい、アンチや信者が空中戦を繰り広げるだけの虚しいこぜりあいがチマチマ繰り返されるだけなのである。どこかの大学生が、一生懸命「作品そのもの」を味わうことや、作家論否定などを語っているが、そういうことを言っていいのは、一通りの作品を味わってよほど感性が優れた状態になってからである。エロゲ以外ろくな文学作品を読んだ経験もない人間が、「反解釈」読んで理論だけ学んだところで、作家論の手引も前提知識もなしに作品を深く味わえると思ったら大間違いで、そういう人はergのように優しく誘導してくれる作品でなければ、自分の感受性の壁に阻まれて残念な体験しか出来ないとはいえ、リアリティを追求すると自称しておきながらCLANNADの坂上智代のDVDは買いました、発言は余計だったね。確かに坂上シナリオは麻枝作品の世界観を理解していなくても楽しめるオーソドックスなシナリオではあるが、普通の女子高生が空中で64ヒットコンボしたり、保健室に不良がやってきてワイワイやっていることに違和感を感じないのだろうか。 結局好き嫌いで判断してるだけってのがバレてしまう。 リアリティを重視するなら最初から麻枝准作品を全否定すればいいのに、中途半端に京アニだから、とか坂上智代のシナリオだけは評価とか言い出すと、あ、こいつ底が浅いなって感じる