キューバ社会に生きる音楽家の素顔に迫った映画『Cu-Bop』その舞台裏 vol.1
▲キューバでの奇跡的なライブを終え、ニューヨークへと戻ってゆくミュージシャンたち
54年ぶりにアメリカとの国交を回復したキューバ。『Cu-Bop』は、カリブ海に浮かぶこの“世界最高の音楽大国”の変わりゆく素顔を切り取った、異色のドキュメンタリーだ。今年2月には日本での公開に先立って、ロサンゼルスで開かれた「PAN AFRICAM FILM FESTIVAL」のオフィシャルセレクション作品に決定。満場のオーディエンスの喝采を浴びた。また日本でも、ジャズ・ミュージシャンの菊池成孔氏や映画研究者の四方田犬彦氏など当代一流の批評家が絶賛。7月20日の公開以来、劇場は自主制作映画としては異例の毎回超満員状態が続いている。監督は、写真家/ライターとして20年間キューバに通い続けてきた高橋慎一さん。ビデオと寝袋を持ってミュージシャンの家に泊まり込み、激変するキューバ社会の中で揺れる音楽家たちの素顔に迫った。キューバに残って音楽活動を続ける者、新天地を求めてアメリカに亡命する者──。それぞれの人生が交差する瞬間を見事に切りとった傑作はいかに誕生したのか。CAMPFIREのクラウドファンディングを活用し、わずか300万円の制作費で世界の喝采を浴びたフィルム制作の裏側を、4回にわたりお届けしたい。
映画の公開翌日、アメリカとキューバが国交回復
ー2015年7月20日、キューバとアメリカが54年ぶりに国交を回復しました。2つの国をまたぐ音楽ドキュメンタリー『Cu-Bop』が日本で公開された、何と翌日です。ちょっと運命的なものを感じませんでしたか?
高橋慎一 すごく驚きました(笑)。映画をご覧になっていただけるとわかるのですが、『Cu-Bop』で僕は、ニューヨークで活動している亡命キューバ人のジャズ・ミュージシャンが故郷に帰って演奏するところを映像に収めています。そのライブシーンが作品のひとつの核となったのですが、当時はまだ国交正常化の動きは表面化してなくて…。当然アーティスト・ビザの発行は望めなかった。それで彼らにニューヨーク発・メキシコ経由のエアチケットを渡して、自分はハバナ空港で到着を待つことにしたんです。
ーその様子は作品内でも克明に記録されていましたね。ビザなしのイリーガルな渡航なので、もちろん入国拒否のリスクもあった。
高橋 入国拒否どころか、バンドの連中とは「いざとなったら4人で刑務所に入るしかない」と話し合ってました。亡命キューバ人を帰国させるというのは、当時そのくらい覚悟のいる行為だったんです。それが2013年12月でしたが、ちょうど1年後に両政府が国交正常化の交渉を開始すると発表した。いまではハバナの旧市街はアメリカ人観光客で大賑わいだそうです。
▲ワシントンD.C.で開催された映画祭『D.C.Caribbean Film Fes』での一幕
ーたった2年間で。変化のスピードがとてつもなく速い。
高橋 速いとは思ってましたが、予想以上でした。よく知人から「高橋さん、先見の明があるね」「実は狙ってたんでしょう」と冷やかされるんですが、とんでもない。そんな先読みができたら、がんばって制作期間をもう少し延ばしてました。その方が歴史的瞬間を捉えたドキュメンタリーになって、ヒットする可能性もより高くなったでしょうし(笑)。
ーなるほど(笑)。ただ、『Cu-Bop』に登場するミュージシャンたちの発言を今になって観返してみると、何気ない言葉の端々に変化の兆しが感じとれて、そこも興味深かったです。アメリカに亡命し異国の地で新しい音楽を創り出そうとする者と、故国に残ってジャズを究めようとする者。本作では2種類のミュージシャンが描かれていますが、彼らが単に互いを羨ましがったりケナシあうのではなく、違いを認識しながら相手を認めている感じがする。
高橋 それは僕も、撮りながら強く感じていました。半世紀以上「社会主義のキューバ VS資本主義のアメリカ」という対立構図があったわけですが、少しずつ歩み寄りが始まっていたんでしょうね。先ほどの“ノービザ入国”の件にしても、(フェデル・)カストロ議長が元気な時代ならありえなかったと思う。でも2008年には彼が引退し、2013年の時点では「跳ね返りの日本人がわけのわからないプロジェクトをやっているが、まぁ泳がせておこうか」というくらいの雰囲気は出てきてました。キューバ当局はもちろん、事前に僕らの動きはすべて把握してましたしね。
ーそう考えると『Cu-Bop』は、キューバ社会にドラスティックな変化が起きるギリギリ直前の、非常に貴重な時期を切り取っているとも言えるのでは?
高橋 そう思います。キューバに通いはじめて20年になりますが、これまで僕が経験した最大のビッグバンは何と言ってもヴィム・ヴェンダース監督の映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の大ヒットでした。2000年にあの作品が世界的ブームになって、キューバ音楽はものすごく変わった。再発見された「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の成功に刺激され、この10年くらいでアメリカに亡命する若手ミュージシャンも一気に増えました。僕が今回、完全自主製作で『Cu-Bop』を作ろうと決意したのも、ひとつにはそういった社会の変化を記録しておきたかったからなんですが…。今回の国交回復で、キューバはさらに大きく変わる気がします。おそらくは15年前の『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のとき以上に激しく。
生きる喜びと超絶技巧が自然に両立した、キューバ音楽の魅力
▲高橋慎一
ー高橋さんは写真家・ライターとしてキューバに通う一方、2000年には自らKamita Label(カミータ・レベール)を立ち上げて、最先端のキューバ音楽を世界に紹介してこられました。音楽業界の知識やノウハウなしで、独力で音楽レーベルを設立するのは大変だったと思うのですが、一体どうして?
高橋 シンプルですけど、やっぱりキューバ音楽のアグレッシブさにやられてしまったというのが大きいですね。あまりに無謀すぎて、いま思い返すと自分でも笑っちゃうんですけれど。
ー初めてキューバを訪れたのは?
高橋 1995年、26歳のときです。アメリカ人ギタリストのライ・クーダーが、キューバの忘れられたミュージシャンたちと共演したアルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』がリリースされる約2年前で、ハバナ旧市街を歩いても旅行者はほとんど見かけない時代でした(注:2000年に公開された映画版は、このCDをベースに制作されている)。実を言いますと、最初の動機はけっこう不純だったんですよ。カメラマンとして駆け出しだったので、とにかく実績が作りたかった。それで、まずは“絵になる国”に行って作品を撮りだめようと。最初はアフリカも考えたのですが、予防接種をたくさん受けなきゃいけないと知って、行き先をキューバに変更したくらいで。
ーいかにも功名心に満ちた若者という感じですね(笑)。
高橋 ははは、いやもう若気の至りで。ところが実際にキューバを訪れて現地の音楽に触れたとたん、ガーンと衝撃を受けた。ベタな表現ですけれどノックアウトされちゃったんですね。
ー何にそんなに惹かれたんでしょう?
高橋 何だろう……アートとしての音楽というより、生きる衝動そのものを感じたっていうのかな。当時のキューバ社会ってまだ社会主義がバリバリ強くて。よほど幸運な人を除けば、海外なんてまず行けなかった。それどころか情報も遮断されて、アメリカの最新ヒットもほとんど入ってこないような状況でした。それなのに、なのか、だからこそ、なのか、ミュージシャンたちはめちゃくちゃパワフルで。「俺たちはここで音楽を演るしかない」という異様なエネルギーが街中に渦巻いてる気がしたんです。ライブの盛り上がりも半端じゃなくて、興奮したオーディエンスが毎晩のように乱闘騒ぎを起こすんですよ。音楽の種類こそまったく違うけれど、その熱気と気迫は、僕が高校時代に大好きだったパンクロックに似ていました。
▲ワシントンD.C.の映画祭会場となったシアター。劇場外のスクリーンには高橋さんの名前が映し出された
ー高橋さん、意外にも元パンク少年だったんですね。高校時代はどんなバンドが好きだったんですか?
高橋 一番ライブに通ったのはJAGATARAかな。パンクの精神性にアフロやラテンなどワールドミュージックの要素を採り入れた先駆け的な存在で、リーダーの江戸アケミさんには精神的にすごく影響を受けました。1980年代後半はまだ、音楽シーンもいまみたいに商業主義に席巻されつくしていなくて、自分たちでレーベルを興し、新しい音楽を手売りしようというミュージシャンがどんどん出てきた時代だったんですよね。JAGATARAはその代表格。高校の頃に彼らの音楽に夢中になっていなければ、大人になってキューバ音楽のレーベルを立ち上げるなんてムチャはしなかった気がします。すみません、何だかちょっと話が逸れちゃいましたけれど(笑)。
ーいえいえ。つまり20代半ばでキューバを訪れたとき、そういうガムシャラな熱気と再会したわけですね。
高橋 まさに。技術的なことはよくわからないけれど、人間が持っている根源的なパワーとか、祝祭感とか、何かを表現せずにはいられない気持ちとか…。そういった部分で、80年代の日本のアンダーグラウンド・シーンと90年代のキューバの音楽シーンはかなり通じるものがあったと思います。少なくとも、僕のなかでは。
ー当時、高橋さんが一番ハートを掴まれたキューバのバンドというと?
高橋 ロス・バン・バンというキューバの国民的バンドがありまして、とにかく彼らのライブに通い詰めました。JAGATARAと並んで、人生で一番たくさん観たんじゃないかな。音楽的には非常に高度でマニアックなんだけど、大臣から幼稚園児までみんなが口ずさめるヒットを連発するという──日本でいうと、サザン・オールスターズと美空ひばりさんを足してスーパー・ハイテクニックにした感じですかね。そういうポピュラリティーと音楽的チャレンジとが当たり前のように両立してしまうのが、キューバ音楽の凄さなんです。
ーバンド編成は、サルサに近いんですか?
高橋 そうですね。総勢10数人の大所帯で、トロンボーンなどの管楽器奏者とコンガなどの打楽器奏者がステージにずらりと並び、複数のヴォーカリストが代わる代わる歌うスタイルです。ただ、ニューヨークやプエルトリコ系のサルサって、アレンジにキレがあるでしょう。あれに比べるとキューバン・サルサはもっとドロッとしてる。カルピスの原液をそのまま出されたようなディープさが魅力なんです(笑)。ロス・バン・バンのライブはもう毎日がリオのカーニバル、岸和田のだんじり祭みたいな盛り上がりでした。
第2回では経験値ゼロから情熱だけで映画製作に飛び込んだ舞台裏を、より深くお届けします。どうぞお楽しみに!
【『Cu-Bop(キューバップ)』CUBA〜NEW YORK music documentary 作品情報】
監督・脚本・編集:高橋慎一
製作:Kamita Label(高橋慎一+二田綾子)
出演:セサル・ロペス / エミリオ・マルティニ / ホセ・エルミーダ / オットー・サンタナ / ルイ・エレーラ / アクセル・トスカ / アマウリ・アコスタ / ルケス・カーティス / ロランド・ルナ / アデル・ゴンザレス / ミゲル・バルデス / イレアナ・サンチェス