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【芸能・社会】

川島さん 余命1年宣告されていた 親友の山田邦子 明かす

2015年9月26日 紙面から

川島なお美さんの訃報を受け、自宅マンション前に集まった報道陣=東京・渋谷で(五十嵐文人撮影)

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 胆管がんのため24日に54歳で亡くなった女優の川島なお美さんの悲報を受け、親交のあった芸能人らが25日、続々と追悼のコメントを寄せた。また、川島さんの通夜は10月1日午後6時から、告別式は2日午前11時から、いずれも東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で行われる。喪主は夫でパティシエの鎧塚俊彦さん(49)。

 山田邦子(55)はこの日、TBS系情報番組「白熱ライブ ビビット」(月−金曜午前8時)に生出演。川島さんと同じ事務所に所属する山田は、川島さんが一昨年7月には余命1年と宣告されていたことを明かした。夫の鎧塚さんから聞いたという。

 川島さんは、2013年夏ごろに受けた人間ドックで肝臓に小さな腫瘍が見つかり、舞台出演を控えていたため、悩んだ末に翌14年1月に手術を受けた。山田は「(夫の鎧塚さんは)早く(手術をするため病院に)行けばよかった、と言っていた」とも話した。山田は、川島さん夫妻と親しかった歌手の大黒摩季(45)とともに24日夜に病院に到着したが、川島さんはすでに息を引き取っていた。「本当にきれいだった。小さくなってたけど」と涙をこらえながら述懐。川島さんの遺体には、赤いワイン色のドレスが着せられていたという。

 川島さんの代表作ともなった日本テレビ系ドラマ「失楽園」で川島さんと共演した俳優の古谷一行(71)は所属事務所を通じて、「『失楽園』でご一緒してから18年。54歳の死は早すぎます」と急逝を悼んだ。

 3カ月前、古谷が出演する舞台「台所太平記」(東京・明治座)を川島さんが見に来てくれたという。「楽屋では『なお美さん少しやせすぎじゃないか』なんて半分冗談のような会話をしていました。彼女の舞台降板を聞いてすぐメールを入れましたが、いつもなら返信メールがすぐ返ってくるのに返事がありませんでした。チョット嫌な予感はありました。まだまだ良い仕事ができただろうに」とした。

 ミュージカル「パルレ〜洗濯〜」で川島さんと共演し、同じ所属事務所の俳優三波豊和(60)は「彼女が大好きな舞台の上でだんだんともし火が小さくなっていくその時を、一緒に過ごし、そして戦友になれました。29日、30日、最後の新潟での特別公演を天国から、やっぱり良い作品!と言ってもらえるように全力でやり抜きます」などとコメントした。

 また、青山学院大学の先輩・後輩の間柄で、ドラマでも共演した高橋克典(50)もブログで「弟のようにかわいがってくれました。いつでも優しく前向きで、強い方でした」としのんだ。

◆鎧塚さん誕生会 川島さんが企画

 鎧塚さんは25日にフェイスブックを更新。川島さんの携帯電話を確認したところ、10月16日に誕生日を迎える鎧塚さんへのサプライズとして川島さんがバースデーパーティーを企画し、亡くなる前日の23日に知人らにメールを送信していたという。

 鎧塚さんは「偽の雑誌取材企画まで作って『Toshiにはサプライズだから絶対内緒にしてね』で締めくくってありました。遺品を整理していて妻の愛情をあらためて感じる事の連続で涙が止まりません。私はなお美に何をしてあげられたのか?」とつづった。

◆「きれいなお顔」弔問の林真理子さん

 25日未明に川島さんが無言の帰宅をした自宅マンションには、同日朝も多数の報道陣が詰め掛けた。

 午前11時半ごろには、故人と親交が深かった作家の林真理子さん(61)が弔問に訪れた。悲しみの対面を終えた後、取材に応じ「メークをしていて、いつもどおりきれいなお顔でした」と声を絞り出した。

 最後に会ったのは今年7月。東京・赤坂の料亭で食事をしたそうで「すごくやせていたのでびっくりしましたが、なお美ちゃんを元気づける会にしようって、一緒に写真を撮りました」と語った。

7月24日付の川島さんのブログには、そのときに撮ったと思われるショットが掲載されており、作曲家の三枝成彰さんと3人で笑顔を見せていた。

◆ただただショック 渡辺 めぐみ

 川島さんの代役としてミュージカル「クリスマス・キャロル」に出演する渡辺めぐみ(51)は「なお美さんの訃報を聞いてただただショックです。アドバイスもいただけると思っていたので…。今…私にできることは、なお美さんの思いをしっかりバトンとして受けとりましたので、スタッフ、キャストの皆さん、見に来ていただく皆さんに、そして天国に旅立たれた、なお美さんに喜んで頂けるように、なお美さんの分も頑張ります! 見ていてくださいね!」とコメントした。

◇悼む とにかくよく笑う明るい人

 川島なお美さんに初めて会ったのは2001年1月。松平健公演「暴れん坊将軍」に出演していた名古屋・伏見の御園座の楽屋だった。

 「私の父は裁判官だけど、熱烈なドラゴンズファンなの」

 中日スポーツの取材とあって気を使ってくれたのか、いきなり野球の話を切り出した。

 「ドラゴンズが勝った翌日の判決は軽くして、負けると重くするのよ。おかしいでしょ。ハハハッ」

 もちろん冗談である。大笑いする川島さんにつられて、私も声を上げて笑ってしまった。

 この公演には、御園座が松平健をはじめ、故川合伸旺さん、松岡富美、服部妙子ら愛知県出身の俳優を多く使っており、名古屋生まれの川島さんもその一人だった。もともと地元の舞台出演も多く、御園座では西郷輝彦や五木ひろしの公演のほか、名古屋・栄の中日劇場「名古屋嫁入り物語」にも出演しているが、松平健公演はテレビドラマ「失楽園」がヒットし全国区の人気者になって、最初の舞台だった。

 御園座は“凱旋(がいせん)公演”となり、気分を良くしての名古屋入りだろうと思ったが。

 「別に…。そんなことより名古屋の舞台は楽しいんです。母校(中村高校=名古屋市中村区)の友達も来てくれるし。今回は地元の役者さんも多いから、愉快な話で盛り上がっています。ハハハッ」

 それにしてもよく笑う。御園座関係者に聞くと「楽屋ではにこにこ。いつも明るい」そうだ。確かにいきなりドラゴンズファンの父親の話を持ち出したくらいだから、冗談も好きなのだろう。

 それならと、ご機嫌の川島さんに「うちはスポーツ紙なんで聞かない訳にはいかないんですが、好きな人は? 結婚について考えることは?」と立て続けに質問。これには所属事務所や御園座の関係者が顔色を変えて言った。

 「そういうことを聞くのは失礼でしょう。もう終わりましょう」

 肝心の芝居のことはまだ何も聞いていないのにインタビューは突然、打ち切られた。川島さんはそんな私を見て、ただ笑っていた。 (二村譲)

 

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