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【政治】

相模補給廠 爆発火災から1カ月 地位協定で市に情報来ず

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 相模原市の米陸軍施設「相模総合補給廠(しょう)」で起きた爆発火災から二十四日で一カ月。米軍が原因究明に向けた調査を進めているが、日米地位協定が壁となり、地元の市は内容を把握できていない。補給廠内には、日本政府の「思いやり予算」で建設した「危険物施設」が十六あることも判明。市は、危険物に関する情報提供の仕組みを設けたり事故時の立ち入りを可能にするなど、地位協定の見直しを米軍や国に要請していく考えだ。 (寺岡秀樹)

 「隔靴掻痒(そうよう)の感がある」。相模原市幹部は、情報を市民に提供できないもどかしさを口にする。

 火災後、市消防局は米軍の要請で八月二十七日に現地調査に協力したが、その二日後に米ハワイ州から防火専門家が来日して以降、接触は途絶えた。市が今月四日に在日米陸軍司令部に確認すると、専門家の五日の帰国予定だけを伝えられた。調査結果などの回答はなく「結果は日本政府に伝える」と従来の見解を繰り返しただけ。

 市幹部は「何も言わず帰国したのは正直残念」と複雑な表情を見せた。

 司令部は本紙の取材にも「調査が終わった段階で日本政府に情報提供する」と回答。出火原因や市に報告しない理由、市民の憤りをどう受け止めるかなどの質問には答えなかった。

 今回の爆発火災で、出火した倉庫にあったのは酸素ボンベや消火器で、消防法上の「危険物施設」ではなかったとされる。しかし、補給廠内には、アルコールや石油類など危険物を保管する消防法上の「危険物施設」が、日本政府の「思いやり予算」で建設したものだけで十六施設あることが、十五日の市議会での市の報告で明らかになった。

 このうち三施設は、出火した倉庫に隣接。今回の爆発火災で延焼はなかったが、保管していた危険物が現在どうなっているかは、市側では把握できていないという。市議会では、火元の倉庫の保管物が分からずに放水が遅れたことにも触れ、「米軍に情報開示させる仕組みをつくるべきだ」との指摘が出た。

 市渉外課は「問題を突き詰めると日米地位協定に行き着くものが多い。事故事件の際に立ち入りなどを可能にするため、協定の運用改善や見直しにつながる方策を求める」と説明。一方、補給廠を監視する市民団体「相模補給廠監視団」の沢田政司代表は「市消防局が現地調査に一回入っただけで、元のもくあみだ。市にはもっと踏み込んだ対応が求められる」と話した。

 <相模総合補給廠> 相模原市中央区にある約200ヘクタールの米軍施設。野戦病院や野営などの業務用物資の保管、発送のほか車両修理や通信機器の整備といった後方支援業務を担っている。戦前は旧日本陸軍相模陸軍造兵廠で、戦後、米軍に接収され、在日米陸軍の補給基地の性格を持つようになった。ベトナム戦争時には、戦場に搬送される戦車を市民らがゲート前で約100日間阻止した「戦車闘争」があった。2011年にはコンピューター上で戦闘や災害救援訓練を行う「任務指揮訓練センター」が建設され、機能強化が図られつつある。

 

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