ふとイタズラメールを読むと、コレが山田波秋であるとのチクリがありました。
本名丸出しやん。
https://www.facebook.com/namiaki
山田波秋に動いてもらってはマズいと考えるヤツらがおるんやな。
まあおおよそ、日立製作所が掴んで横流ししたんやろ。
件名が"佐々木優佳里の件"とあって、工作員も早いなあと思ってついついクリックしたらコレや。
てかメールを検索したら、先週土曜日から頻繁にチクってきとるよなあ。
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本名丸出しやん。
https://www.facebook.com/namiaki
山田波秋に動いてもらってはマズいと考えるヤツらがおるんやな。
まあおおよそ、日立製作所が掴んで横流ししたんやろ。
件名が"佐々木優佳里の件"とあって、工作員も早いなあと思ってついついクリックしたらコレや。
てかメールを検索したら、先週土曜日から頻繁にチクってきとるよなあ。
ふと雑誌を読む機会があって、そこに米良美一がいて、おそらくその連想でしょう、街中を歩いていてふと、"風の谷のナウシカ"のオーケストラ版のメロディが頭の中で演奏されはじめました。
そこで、"風の谷のナウシカ"の歌詞って、宮崎駿が毛嫌いしたほどおかしくないよなあ、と考え始めました。
"青空から舞い降りたら 優しくつかまえて"
というような詞が、猛々しいナウシカの物語に反する、ということなのでしょう。
けれども私は、人間には何面性もあると思っています。
猛々しい者であっても、どこかでは気を許す相手が欲しい。
多くの夫婦が上手くいかないのも、たとえば、オトコにそういう気があり、オンナにそこまで性別で差別されたくないという意識があるからだろう、とも思います。
そうすると、細野晴臣が用意した歌詞は決して間違いではなく、その表現を拒絶した宮崎駿や高畑勲のほうが、ナウシカの意思(それはもう宮崎駿の手を離れている)を軽視しているとさえ言えると思います。
いや、映画芸術、或いはアニメーションとして、自分が表現したいものを表現しただけだ、と、宮崎駿は言うでしょう。
けれどもそうすると、ナウシカはどうして女性でないといけないかの答えにならないと思うのです。
すると宮崎駿は、画かれた"青き衣を纏いて金色の野に降り立つ"「その者」は男性だから、常識を覆すために女性にした、と言うかも知れません。
けれどもそんな答えでは、どうにも腑に落ちませんよね。
実は宮崎駿は、ナウシカがデカパイである理由として、男性を抱擁するためにデカパイにしたと答えています。
けれどもそうすると、ナウシカこそ、(男性かどうかは措くとしても)抱擁されたいと願っていたと思うのです。
"風の谷のナウシカ"の歌詞って、やはりさほどおかしくありません。
エンディングにふさわしかったか、物語中に入れるところがあったか、には、私もいまいい解が思い浮かぶわけではありませんが、"風の谷のナウシカ"という歌の歌詞については、ナウシカの感情を歌っている、と私は主張します。
安田成美がオンチで、あのままでは主題歌として使えないとも思うのですが。
私にとっては、中学2年の終わりに鍛冶屋線がなくなったのと、高校1年の冬におばあちゃんが亡くなったのが、ものすごく大きな喪失やった。
自分にとってはものすごく大事に思っているものごとや人でも、他人は無関心やったりする。
大西弘子なんか、おばあちゃんの葬式の日だって、大好きな仕事しとったぞ確か。
私はものすごくハラがたった。
けど、ヒトってそういうもの。
伊達娘だって、私がボンドなどで瀕死の工作攻撃を受けるのを、自分には関係ないからか、あるいは自分には理解できんからか、高みの見物しとった。
私が死んでようやくわかる、そんな程度の理解ならば、私から願い下げやねん。
川島なお美の闘病生活や、死への恐怖までは思い至ってなかったやろ。
私は、フットルースのときは確か知らんかったけど、クリスマス・キャロルの前にがんのことを知って、なんとかして生きて欲しいと願った。
文字にはせんかったかもやけど。
いや、元気な姿が見れて安心した、くらいは書いたかな。
クリスマス・キャロルも、広い宇宙の中でも、川島なお美の死を思うと辛いところもあった。
川島なお美の演技をいまも思い出すよなあ。
川島なお美が亡くなった、というのを、芸能ニュースは、格好のネタにしているだけ。
本当に川島なお美のことを惜しいと思っているのは、まあ世界に十人もおればええほうやろ。
あとは打算や。
そういえば、川島なお美の親や親族はどないしとるんかなあ?
旦那しか出てきてないよなあ。
私はとにかく、大西弘子は信用ならん上に、大西弘子からいくら綺麗ごとを言われたところで、大西弘子は私よりも相当早く死ぬと思っている。
だから私は大西弘子を頼らん。
それは本当は、私だけでなく誰も同じや。
"いつまでも あると思うな 親とカネ"
という言葉もあるやろ。
私はだから、親もカネも信用しないことにしている。
いまとなっては親族も信用してない。
ところで伊達娘は、川島なお美と、対談記事を書いてもらったやろ。
その時に言った言葉と、いまの自分は合っているか?
川島なお美に対して、心にもないことを言ってないか?
川島なお美が天国に召されるときに、伊達娘のパフォーマンスを見て失望してないか?
故郷の人々から"おかえり"と言われてうれしいけれども、ミュージカル仲間は実のところ、
「伊達娘がこの程度のパフォーマンスで安穏とするならば、AKBに入れたのは失敗だった」
と思ってないか?
故郷のミュージカル仲間に対して本心から、自分の成果を報告できるか?
私は正直
「伊達娘がこの程度のパフォーマンスで安穏とするならば、AKBに入れたのは失敗だった」
と思っている。
伊達娘は私の成長に貢献してくれたし、当然その分フツーの人々よりも伊達娘を手厚く扱いたい気持ちはいまもあるけど、
「伊達娘がいるから私はこれから生きていける」
と言える存在ではない。
「ゆかるんがいるから私はこれから生きていける」
と言える存在なのかは、ゆかるんのプレッシャーも考えるとまだワカランけど、ゆかるんはプレッシャーを与えてもやり切ってまうよなあ。
755の写真集企画、私は賛成ちゃうかったけど、ゆかるんはメラメラと闘志を出して・・・・いや、ドン引きするくらい出し過ぎて睡眠不足となり、チームK公演メチャクチャやろと思うとったのに、ちゃんといちばん目立つパフォーマンスをしとった。
ゆかるんの持つ執念、負けん気の強さは、なんか私と響くところがある。
とはいえ、他人から指摘を受けるように、興味のないものには全く興味がないことがなあ・・・(私もなので強く言えんけど)
ゆかるんにミュージカルや映画の面白さを、もっと伝えたいよなあ。
ゆかるんは天性の演技力がある。
私がベタ褒めした「ロマンス」をゆかるんが演じたら、どうなるんかなあ?
田野の新しい舞台作品が決まって、田野が着実に認知されているのはうれしいし、私も観に行きたいと思うけれども、ゆかるんにも演技の仕事が欲しいねん。
こんだけパフォーマンスができるゆかるんが、舞台や映画から干されているのは、おかしいと思う。
それも私の苦難と共通な点やと思うねん。
ヒト前でいい子にもならんし。
(いや私はいまとなっては、工作員の上を行くため、いろんなところでいい子を演じるくらい狡猾やけどさあ。
傍流ではいい子を演じて、ここぞという本流では牙を剥くねん。)
・・・なんか、最初と書きたい内容がだいぶ変わったなあ。
いまさら始まったことではないけど。
まず、川島なお美さんについて。
起きて訃報を知りました。
最近の報道でヤバいとは思っていましたが、同時に、なんとかして生きて欲しいとも思っていました。
伊達娘、スイセイミュージカルに関連して、ここ1年ほどで11回だか観て、いい女優になったなあと思っていた矢先(失楽園も観てない)だったので、余計に悔しいです。
私が伊達娘に奮起を促したにもかかわらず、いつもと変わらぬ平凡なパフォーマンスに、いい気がしませんでしたが、川島さんはその公演の最中に亡くなられていることからも、自分の願いをパフォーマンスで表現できなかったと、伊達娘は少しは反省して欲しいです。
伊達娘のせいという気はないですが、それくらいの気迫でパフォーマンスをしないと、相手に伝わらないということです。
それくらいの思いがあってこそ、ようやく大勢に伝わるのです。
それにしても私は、自分が目に付けた無名の新人が目立つ一方、有名な人にとっては死神的な要素もあるのではと思わざるを得ません。
淀川長治、渥美清、近藤喜文、そして川島なお美。
尤も皆さん、私に会うまでに既に、満身創痍で、死の兆候があったのですが・・・
淀川長治さんも渥美清さんも、もう会えないかも、と思ったから会いに行ったので、やはり死神ではないですよね。
ゆかるんのGoogle+のコメントも見ました。
「受け入れる」というのは、ある意味では大事なのですが、すべてを受け入れてしまっては凡人になってしまいます。
世の中、ヒトを凡人にさせようとする誘惑でいっぱいです。
いま置かれた自分の状況を冷静に分析して、どんなチャンスに繋げるか?を考える、という意味であれば、「受け入れる」ことは必要です。
けれども、他のメンバーが自分のようにパフォーマンスしないことを「受け入れ」て、他のメンバーと同じパフォーマンスをするようになれば、それは後退です。
そういうことは、夏まゆみの本にも書いてあったと思います。
http://www.amazon.co.jp/エースと呼ばれる人は何をしているのか-夏-まゆみ/dp/4763133624
ゆかるんにも、1回読んで欲しい。
私が認めるエースなのだから。
但し私は、この本の中の、エースとセンターの違いの主張は全く理解しないし、賛同もしませんが。
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