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あれこれやそれこれ

雑感系ブログのさらなる高みへ

今日は絶対にバズらない「宗教」のお話をします

☆雑感☆ ☆雑感☆-老婆心

なんだかここしばらくハテブをたくさん頂いたのでスマートニュースに連続で載せていただいたり、ブロガーさんに言及していただいたりと、恍惚の境地をさまよっておりました。

うん、やっぱりブログって楽しい。自己満足には最高なツール。

でもね。今日は絶対にバズらないお話をします。それは宗教のお話。誰がどんな宗教を信じるのかも自由だし、ハテブしたら僕が変な宗教の勧誘を始めるかもしれないし(笑)何回かブログで書いたこともあるけど、まるで「う○こ踏んじゃった子を遠巻きから鼻をつまんで眺める子供たち」のように反応が薄いのがこの手のお話。

バズらない記事がダメなわけじゃない。僕は書きたいことを書くのです。でもちょっと興味が湧いた方だけ続きを御覧ください(^_-)

 

僕のFacebookのお友達に本物のお坊さんがいて、時間に余裕があるときに記事をアップしててくれはるんです。それが法話でもなく雑談でもなく、本当に心に沁みる話なんです。今日アップされた話がすごく良かったのでご紹介します。

 

ある有名な宗教を興したお坊さんが言わはった言葉とその現代語訳なんです。現代語訳をそのまま載せてみますね。

お念仏を信じない人に対して 無暗にお念仏の話をしてはいけません。さらに他宗の人や異なった見解の人と教えの優劣を議論してはいけません。異なった教えの人に対して軽んじたり謗ったりしてはいけません。そうすれば相手の人はますますお念仏を誹謗することになり それによってその人を罪人にさせてしまうのが忍びないからです。

自分はお念仏をとなえる教えを守る人だとします。つい人間っていうのは「自分こそが正しい、自分が正義、自分は間違っていない」となりがちです。するとお念仏を唱えない人に対して批判したくなり、自分こそが正しい、お前は間違ってると言ってしまいがちになり、結果的にその人はますますお念仏をとなえる事に批判的になってしまう。そしてお念仏の教えでその人を救うことができなくなってしまう、というお話です。

宗教という教えということはさておき、この言葉たちには自省させられます。自分こそが正しいと思ってない?正義だと思って誰かを批判してない?ということです。

これはあくまで僕の宗教観ですが、イスラム教、キリスト教、仏教には大きな違いがあると思っています。

  • イスラム教 ~しなくてはならない、という教え
  • キリスト教 ~しなさい、とう教え
  • 仏教    こう考えたほうが幸せでしょ、という教え

あくまで私的な感覚ですけどね。たとえば死んだらどうなるか、という考え方もそれぞれで面白いんです。

  • イスラム教 天国か地獄に行きます。
  • キリスト教 天国か地獄に行きます、生まれ変わりもあります。
  • 仏教 死んだらどうなるかわかりません。だから今が大事です。

そういう根本だからか仏教っていうのは「人の内面に問いかける」事が多いんだと思います。滝に打たれたり、写経したり、座禅を組んだりするのは「自分の内面と向き合ってる」ということですもんね。

仏教って「気付き」を教える宗教だと思うんです。「人の悪口を言ってはいけません」ではなく「傲慢になって人の悪口を言ってしまう自分に気が付きなさい」と諭されるのがこの宗教の本質だと思うんですね。

自分が弱いからこそ相手を批判したり、自分を大きく見せようとしたり、からいばりしたりします。でもそれって自分の弱さをやっぱり見せつける結果になってしまうんですよね。

ブログを書いててもつい「傲慢な記事を書いたり、批判的になったり」ってあるなぁと思います。こういう記事を読んだ時などにハッ、と心が引き締まるんです。自省自省。

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