衝撃の死から8年…「ZARD」坂井泉水の語られなかった40年
|
「ZARD ALBUM COLLECTION~20th ANNIVERSARY~
Amazonで購入する」
「坂井さんが散歩している姿を撮影していると、気がついた日本人の新婚カップルがサインを求めてきました」
坂井さんは少し困ったような表情を浮かべて、映像制作担当者のもとに歩み寄り、こう言ったという。
「こういうときって、サインしてあげてもいいんですよね?」
この担当者が「してあげればいいんじゃないかな」と答えると、うれしそうな様子でサインに応じたという。
05年末、小さな水族館を併設した東京・恵比寿のレストランで撮影した。海が好きな坂井さんはシチュエーションがとても気に入ったらしく、「今度は水族館で撮影したい」と自ら撮影を企画。07年4月には水族館でのロケを予定していた。
だが、撮影日の数日前になって、坂井さんから撮影担当者に一通のメールが届いた。
〈また治療のため入院しなくてはいけなくなったので、撮影できなくなってしまいました〉
子宮頸がんの摘出手術を受けたものの、がん細胞が肺に転移していたのだ。
「一度お見舞いに行きました。彼女はもどかしかったでしょうね。『早く仕事がしたい』と。いつもスタッフに心遣いをみせていた彼女は、帰り際にベッドから起きてわざわざエレベーターの前まで見送ってくれました。それが坂井さんと会った最後でした」
前出のビデオで、坂井さんは「幸せとは?」と問われて、こう答えている。
「自分の好きなことを、一生やり続けていけることだと思います」
亡くなった年の秋には、アルバムの発売とライブツアーを行う計画があった坂井さん。闘病中も病床で詩を書き続けていたというが、その一生は幸せだったのか。やはり無念だったのか。
いくら問うても、「永遠」に「君がいない」――。
(週刊朝日「2007年6月15日号」、「同年8月24日号」に掲載した記事をニュースサイト「ドット」編集部が加筆・再編集しました)
【関連記事】
- 菊池桃子 離婚前から難病「シェーグレン症候群」を患っていた週刊朝日
- 北川悦吏子が難病を告白「10万人に1人の病に」AERA
- 36歳の危機を乗り越えるために、小泉今日子が手放したものdot.
- 小泉今日子が離婚した理由dot.
- ZARD 坂井泉水出身地の駅メロに「負けないで」「揺れる想い」採用billboard
エンタメ アクセスランキング