2015-09-26

にゆく人のためにできること

川島なお美さんが逝去されましたね。

ご冥福をお祈りします

自分母親も数年前に乳がんリンパ転移から

全身にガンが移行し他界しました。

享年は60歳です。

(北斗晶さんと同じ症状。頑張って欲しいです)

にゆく人に生き残る人がしてあげられることは、

一体何がベストなのでしょうか。

とても大事で、だけれども難しい問題です。

母は余命を医者にあと一ヶ月と宣告されてから

二ヶ月ほど生きました。

一ヶ月を過ぎた辺りでも何とか元気だったので、

しかしたら治るのかな?と思い始めました。

そう思い込みたかった。

そういう例も映画とかテレビであるじゃん、と。

そんなある日、母が家に帰りたいと言いました。

久しぶりに家に帰って色々家のことをやりたいと。

私は言いました。体調は安定していないし、

無理したら治るものも治らないよ、と。

母は珍しく声を荒げ、どうしても帰りたいの!

と主張しました。ですが私も譲れません。

無茶をして病気悪化したら取り返しがつかない。

そんなのは嫌だと。

ただ、それに加えて、母が家に帰ることが、

まるで終わりに向かってしまうような気もして。

怖くて、

母の主張を聞き入れてあげられませんでした。

もちろん主治医許可を出すわけはなく、

結局家に戻ることはありませんでした。

その次の日以降、

母の具合は徐々に悪くなりました。

入院して最初の一ヶ月は体調悪いなりに、

喋ったり笑顔を見せてくれていたのに、

日に日に喋らず、顔色も悪くなり…。

そしてその一ヶ月後、母は他界しました。

悲しくて、

そして自分のししまったことが許せなくて、

ただ泣きました。

何で帰らせてあげなかったんだ。

母は大事な、今しかできないこと、

やり残したことがあったんじゃないか。

その結果、もしかしたら気力が戻って、

病状が良くなったんじゃないか。

私があそこで母の帰宅を認められなかったのは、

ただ治ってほしいという気持ちからだけです。

その時、

それ以外の選択肢が考えられなかったのです。

でも…。

私はあの時どうすれば良かったのか、

正解は今でも分かりません。

家族の、親の死なんてきっと、

殆どの人は受け入れがたいものです。

余命宣告を受けたって、うまくいけば、

しかしたら助かるんじゃないか、

と思いたいのです。

きっと母はもう長くないことを、

自分なりによく分かっていたのだと思います

から帰りたいと。

ただ身辺整理のために帰りたいとは言えず、

こんなことになってしまいました。

でも、そんなこと言えるはずがないことは、

子供の私が、

一番分かってあげなきゃならなかったんです。

分かってあげたかった。

川島なお美さんは限界までテレビに出られて、

やりたいことをやることの努力をされていました。

でも、その裏には家族の、

深い深い理解もあったのだと思います

私が母に対してしてしまったことが、

間違っていたとは決して思っていません。

ただ、ただ悔いが残るだけです。

ですが、もし、次に同じような機会があるならば、

たとえ少し間違っていても、

自分も相手も悔いを残さない、

皆が幸せになれる選択をしたいと思っています

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