【コラム】韓国外相は口先で国が守れると思っているのか

 米国大使館はよく誤解されがちだ。大国の公館だということで、他国の宮殿にまで入り込んだと思われている。昔は京畿女子高校があった場所から芸苑学校のある場所までが宮殿だったので、古い地図を見ると徳寿宮の中に海外公館が入り込んで建っているかのような珍しい構図になっている。しかし、そうした主張は時間的に前後を入れ替えた歪曲(わいきょく)だ。公館が宮殿に入り込んだのではなく、宮殿が増築したために公館を取り込んでしまったのだ。つまり、宮殿にわざわざ米国を入れたということになる。それだけ日本が怖かったのだろう。重明殿と公館の距離の短さは、高宗が感じた恐怖の強さを現しているとも言える。

 当時の米国公使(現在の米国大使)ホロス・アレンは高宗の親米姿勢に感動した。アレンはリッパート大使と同じくらい韓国に好意的だったし、一般国民の愛も受け入れた。アレンはロシアを引き入れ、韓半島(朝鮮半島)では日本をけん制しなければならないとホワイトハウスを説得した。韓国の独立を支援しようとしたのだ。そんなアレンに、セオドア・ルーズベルト米大統領=当時=は問い返した。「あなたはなぜ負ける国を支持しろというのか」。「米国は、自分のために一撃も加えなかった国のために介入することはできない」という有名な言葉を残したのもそのころのことだ。乙巳条約(1905年、日本側呼称:第二次日韓協約)は最終的に重明殿で締結された。アレンはその前に公使を更迭された。条約が成立すると、新しい米国公使は日本に祝辞を述べ、すぐに荷物をまとめた。米国人宣教師ホーマー・ハルバートは「米国は別れのあいさつもせず、最も侮辱的な方法で韓国を最初に捨てた」と表現した。

国際部=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)部長
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