今年4月、マーク・リッパート駐韓米国大使の仏国寺訪問に同行した。同大使がソウル市内で刃物を持った男に切り付けられるテロに遭ってから2カ月も経っていない時のことだった。大使の後ろを付いて歩く子どもたちがどんどん増えていき、釈迦(しゃか)塔近くまできた際、とうとう警護ラインを突破してしまった。子どものすることなので力で制圧したり引き離したりはできない。警護員たちは困り果ててしまったが、リッパート大使はけがを免れた方の手で近寄ってくる子どもたちをなでた。その時、何人かの子どもが叫んだ。「ユー・エス・エー(USA)!」。すると、ほかの子どもたちもそれに加わった。「ユー・エス・エー!」 「ユー・エス・エー!」。念仏の代わりに「親米スローガン」が1000年の歴史を持つ古刹(こさつ)に鳴り響いた。
それから1カ月後、リッパート大使は韓国人たちに対し、自身が暮らしている大使館を開放した。それが、ソウル市中区開催の「貞洞夜行祭り」の目玉として話題を呼んだ。星条旗が空高く翻るその場所で、前々から思っていた疑問が一つ解決した。徳寿宮重明殿が米国大使公邸から非常に近いことについてだ。重明殿は現米国大使公邸内の旧米国公使館からわずか20メートルという距離にある。朝鮮時代第26代王・高宗(1852-1919年、在位1863-1907年)は徳寿宮の火災後、消失を免れた重明殿を執務室として使用していた。高宗は昌徳宮や景福宮でなく、なぜ米国公使館(現在の大使館)の目と鼻の先に執務室を設けたのだろうか。