▼"スーパー選抜"、町田へ現る
「すごいメンバーが来ましたね」
「弱い者イジメだな」
試合前、私はそんな会話を旧知のベテラン指導者と野津田のスタンドでかわしていた。
22歳以下とはいえ、"日本代表"がJ3にやってきた。J3には"Jリーグ・アンダー22選抜"が参加しているが、これは直近直後のリーグ戦で各クラブの18人枠に入らなかったメンバーで構成される急造チーム。個のレベルはともかく連係に難があり、常にJ3の下位をさまよっている。
しかし23日の町田市立陸上競技場に登場した"スーパー選抜"は、手倉森誠U-22日本代表監督が実質的な指揮を執っており、海外組とJ2組を除いたほぼベストのメンバーで構成されていた。遠藤航こそ不在だったものの、浅野拓磨、植田直通といったA代表経験者も名を連ねていた。
コンディションを見てもFC町田ゼルビアが不利だった。町田は20日にレノファ山口との首位攻防戦に臨んで敗れて中2日という心身の消耗がある中での試合である。一方、U-22の選手たちは19日から中3日が空き、しかも45分以上出場していたメンバーは大島僚太、中島翔哉、井手口陽介の3名だけ。となれば常識的に考えると、U-22代表が優勢に思えた。
▼J3対J1だが、しかし
アウェイゴール裏には「ULTRAS NIPPON」の横断幕が張り出され、ニッポン!コールも聞こえてくる。かくしてJ3 vs J1の戦いの幕が開いた。
ただ、町田の李漢宰主将は勝負の行方を悲観していなかった。15年のプロ生活で積み上げた経験値から、こういう試合に起こりがちな展開を理解し、何をすればいいかが分かっていた。
「代表ではなくJ3の試合という中で、(U-22が)多少モチベーション的にも低く入るんじゃないかと、みんなで話していた。球際の部分で、特にファーストインパクトで相手に強く行けば相手は嫌がる。意識的に大島選手、井手口選手に厳しく行きました」(李)
これがU-22から戦意を奪ったのかもしれない。町田のCB増田繁人はU-22の攻撃をこう振り返る。
「ボランチの選手からあまり良いボールが出てこなかった。縦に出させないというチームのコンセプトではあるけれど、"持ち方"があまり脅威でなかった。FWをもっと見て『いつでも入れられるぞ』ということをしていたらちょっと怖かった。中がないと思ったらすぐに外に振って、目線が切れるのも速かった」(増田)
この試合、町田が警戒していたのはFW浅野拓磨のスピードだ。そこに大島僚太、井手口陽介の両ボランチから縦に入れば、対応は難しいモノになる。対策としてこの試合の町田は、いつもに比べてかなりDFラインを下げていた。後ろに寄せつつコンパクトな陣形も保ち、中島翔哉が自由にプレーするスペースも消す。コンディションと相手の脅威を考えた、苦肉の試合運びだったともいえる。町田はそれが奏功して前半を無失点で切り抜けると、浅野が退いた後半は失点どころか決定機すら許さなかった。
町田は攻撃での迫力をやや欠いていたが、65分過ぎから圧力を強める。72分に戸島章がCKから191cmの高さを生かしてヘッドを決め、ついに先制。実質五輪代表の相手に1-0というスコア以上の"完勝"を収めた。
▼見えなかった「プレー」
手倉森誠監督は試合後に「クラブから選手をお借りしている中で、時間制限もあり、(試合前に)決めたメンバーでの戦いになった。試合の流れの中でメンバーを代えられない歯がゆさを感じながらの采配だった」と述べている。つまりU-22には戦術、用兵の縛りがあった。手倉森監督は試合中もピッチに細かく指示を送るという様子もなく、"観察"に徹する意図が感じ取れた。
U-22は後半開始と同時にフィールドプレイヤー4名(J3はベンチ入り、交代枠ともに「5」)を一気に投入し、布陣も[4-4-2]から[3-4-2-1]に変更したが、それはいかにも練習試合的な采配だった。お借りした選手に、無理をさせられないという"大人の事情"は無視できないが、「J2に昇格しなくちゃいけないという強い気持ちをもって戦った」(李)という町田とは、覚悟に大きな差があった。戦術的にもFW登録は浅野と鈴木優磨の二人だけで、ボールの収まるタイプが不在だった。
ただ、"モチベ―ションが低かった"だけで済ませていいのだろうか?"スペースを消されて手詰まりになった"というだけで話を終わらせていいのだろうか?
自分がU-22を観ていて強く感じたのは、"プレー"がほとんどなかったこと。能動的なアクションがなく、選手たちは淡々と、無難に90分を過ごそうとしていた。"俺はこれがやりたい"という意思、工夫を感じ取れなかった。
相手が引いていれば確かに単純なドリブル、裏へのボールは効きにくくなる。しかしそこであきらめるなら、それはスポーツマンでない。前後左右で細かくボールを動かして角度を変える、そこに3人目のランニングが呼応するというような"もうひと手間"をかければ、彼らの能力的に打開は不可能でなかったはずだ。攻撃陣だけの問題ではない。もし相手が引いているなら、CBの持ち上がる時間とスペースが生まれる。そうすれば町田の選手はそこに食いつかざるを得ず、他の味方がフリーになっていただろう。
公式戦だから、練習試合だからという問題ではない。それぞれがアイディアを持ち、ピッチで表現し、選手同士が擦り合わせていく......。それは一進一退、試行錯誤の泥臭いプロセスだが、練習も含めてそういう積み重ねが無ければ、チームはチームにならない。この選手たちはそういうプロセスを楽しんでいないのではないか? 仕事として"やらされて"いるのではないか? そういう寂しさを感じるプレーぶりだった。
言うならプレーに没頭する姿勢こそが、フットボーラ―にとって一番大切な"才能"だ。ピッチ上で頭を使えない、意思をプレーで表現できない選手は、このチームから一人二人と消えていくのだろう。リオデジャネイロ五輪の本大会を迎えるころには、間違いなく半分以上が入れ替わっているだろう。町田戦の不甲斐ない彼らを見て、私はそんなことを確信させられた。もちろん、アジア予選という壁を越えられない可能性もあるだろうが、それは考えたくない......。
町田市民、町田担当の記者として、町田がJ2昇格に向けて貴重な勝利を挙げたことは喜ばしい。しかし"日本人"として、若者たちの今後を憂えざるを得ない、そんな90分間だった。
大島和人
出生は1976年。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。柏レイソル、FC町田ゼルビアを取材しつつ、最大の好物は育成年代。未知の才能を求めてサッカーはもちろん野球、ラグビー、バスケにも毒牙を伸ばしている。著書は未だにないが、そのうち出すはず。