2015-09-25

ネット趣味の話をするとマウンティング合戦になる

http://anond.hatelabo.jp/20150925095536

蘊蓄で語るなよ!なにが好きかで語れよ!」という○ンピースみたいな意見に納得している人が多くてがっかりした。

だったら、蘊蓄主体趣味はどうするんだ?

佐野氏の件で「ダサイクル」が話題になったが、あれと同様に、みんなで仲良く「きゃははうふふ」できる趣味はそれでいい。

ただ、プログラミング音楽理論プログラミング数学アルゴリズム絵画手法はどうするんだ?

プログラミング音楽理論数学アルゴリズム絵画手法など、理論(理屈)やテクニックの場は意外と荒れやすい。

必ずマウンティング合戦になる。

自分より優れた人は自分が正しいことを示す優越感を得るために、自分より劣っているもの劣等感から攻撃してくる。

ネットマウンティング合戦になるたびに、私はある映画のこのシーンを思い出す。

https://www.youtube.com/watch?v=Ko-apxrVSJo

もう、こんな感じ。リアルでもそうなったら内心これを思い出す。

さて、こんな話の例として引き合いに出すのはリンク先の人に申し訳ないのだが、

http://neralt.com/lion/

http://b.hatena.ne.jp/entry/neralt.com/lion/

sugikota いくらなんでも間違えすぎ。何が音楽理論考察だよ。例えばメロディックマイナーは上昇旋律ドミナントモーションでしか使わないだろ。菊地成孔ボコられろ。

rg2770 普通に解釈間違いまくっててワロタwこの解釈スタジオ入ったら一瞬でクビになる。理論学習サイトならちゃんとしたもの提供すべき。アヴェイラブルノトスケールも理解してないなら人に教えるのはまだ早いよ。

allezvous メロディックマイナー旋律が高音へ向かって順次進行するときの話だから、この曲では違うんじゃないかな。むしろドリアンスケールだろう。/ブコメ流星が乱舞してるがそれ違う曲じゃないですかねえ…

HideAutumn 菅野よう子が「音楽理論限界を超えている」って…。

自分はこのブコメを見て初めて菅野よう子の「ライオン」に興味を持った。

正直、この曲もマクロス全然知らないのだが、とりあえず聴いて、耳コピを試みた。

結論としては、自分もこれは「ドリアン」だと思う。

理由は端的に言えばレッド・ツェッペリンの「天国への階段」と同じパターンからだ。

Am7→Dというパターン。正確には、ベースラインから菅野よう子の「ライオン」はAm7→Dの代理コードBm7だろう。

さて、上記のリンク先は個人のブログだが、これを音楽理論について話すクラスタであれ、音楽一般について話す場所であれ、かつ、上記のリンク先のようにドヤ顔結論付けることを「控えた」表現で書いたとしても、攻撃的な意見を書いてくる人が大勢いる。

理由はどうあれ、「ネットはどこでもマウンティング合戦になる」ということを肝に銘じておくべきだ。

まり、どこであっても、「菅野よう子ライオン耳コピしてるんだけど、あれメロディックマイナーだと思った。菅野よう子すげえな!」と書いたら、集中砲火を浴びるのだ。

「お前バカだろ。ドリアンだろ。耳腐ってるだろ」

と返ってくるのがオチだ。

ただ、上記の例は自分も「ドリアン」と解釈するのが妥当だと思う。

繰り返しになるが、「天国への階段」のように、例えばAm7とCドリアンは相性がいいようだ。ドリアン民族音楽っぽさとマイナーの切なさが交じり合う。

しかし、私は、音楽理論というのは後付けの理論ではないか、と思っている。

音楽理論が曲を創るわけではない。

しろ、なんとなく偶然間違って弾いたものが意外とイケてる、ということが自分でもある。

間違って弾いたフレーズが奇麗に聴こえる、どうしてだろう?という疑問からスタートするのだと思う。

音楽史についてはよく分からないが、黒人音楽現代に至るまで音楽に大きな影響を与えているのは、むしろ正規音楽教育を受けてなかったからではないだろうか。

無知であるからこそ、白人の、西洋の、教会音楽を間違えたからこそ、ジャズブルース誕生し、そのジャズブルースの文法は菅野よう子であれ小室哲哉であれ、今となっては普通になっている。

蘊蓄議論する趣味というのは存在する。

プログラミングアルゴリズムの話もそう。

ただ、アルゴリズムの話でも速度だけが正解でない場合、というのもあるし、音楽理論も色々な解釈が可能な場合がある。

解答を絞り込むことは可能だし、みんな違ってみんないい、なんてことはないけど、解答がちょっとぼやけてたり、複数あることは存在する。

解答が1つにならないと、個人の考え方、宗教問題になりやすいし、当然それは荒れる。

自分としては、その「解答を絞り込みたい」ある問題があって、そのことについて意見を聞きたかったりするわけだが、先に仮の解答を書くと集中砲火を浴びることがある。

しかし、「間違った解答さえ書かないと、見向きもされない」という問題もある。

まり他人優越感を得たいがために攻撃することで、皮肉なことに正解に辿り着く、ということがある。

ただ、不愉快な思いをしても、正解に辿り着けばいい、と自分は思っている。

問題は、不愉快な思いをしても正解に辿り着かない場合がある。

それから、集中砲火してきた側の意見を読んで、自分なりに長期間考えてみて、やっぱり自分は正しくて、攻撃してきた側が頓珍漢なことを書いている、ということもある。

ヘリ下って、相談して、不愉快な思いをして、間違った助言を得て、そのことについて長期間考えている間、理解できない自分劣等感を感じ続けたりする。

相手は間違っていても、他人攻撃できた優越感で満足している。

ネットはそんなことばかりだ。

から自分趣味について積極的に語るのは控えている。

ときどき匿名で書いたり、捨てアカで書いたり、消したり、逃げたりすることでしかネットを楽しめなくなった。

こうなってくると、「結果で示せ」ということをどうしても考えざるを得なくなる。

「お前の音楽理論は間違っている」「お前の筋肉の描き方は間違っている」「お前のプログラミングは間違っている」「幼稚園からやり直せ」

と言われるたびに、「まあ、そうだろうな」と思うのだが、一方では、音楽理論理解が間違っていても売れる曲を創る人、筋肉の描き方が間違っていても売れる絵が描ける人、面白い漫画が描ける人、プログラミング能力が劣っていても面白いサービスが作れる人、というのは存在する。

どちらかというと、自分後者の方を尊敬しているし、なれるならなりたいと未だに夢見ている。

しかし、皮肉なことに、ネットは結果を出すための競争を過剰に加速させた。

「お前はクソだ。悔しかったら結果で示せ」と言われても、このネット時代では、そのハードルがどんどん高くなる。

そして、地上ではそのハードルを越えられない糞同士がマウンティング合戦という喧嘩に明け暮れている。

弱い者たちが夕暮れ、更に弱いものを叩く。

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