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 医師の日野原重明さん(103)が、自身が名誉院長を務める聖路加国際病院で働いていた戦時中の体験を児童書にまとめた。交戦国の米国と縁が深く、複雑な立場にあった病院が、戦争にまつわる記録をまとまった形で公表するのは初めてという。

 25日には病院で会見を開き、今の政治状況を踏まえ、「日本国憲法は変えるべきではない」と語った。

 タイトルは「戦争といのちと聖路加国際病院ものがたり」(小学館)。同書によると、聖路加病院は1902年、米国聖公会のアメリカ人医師が設立。41年12月に太平洋戦争が始まると、外国人患者もいたことから、軍部の監視対象になった。日野原さん自身もスパイの嫌疑をかけられ、特別高等警察(特高)の取り調べを受けたという。

 43年には「大東亜中央病院」への改称を強要され、屋上に立っていた塔の十字架も切断された。45年3月の東京大空襲では周辺の民家まで火の手が迫ったものの、延焼は免れた。2カ月後に米軍は、「米国より日本への賜物(たまもの)」の説明とともに病院の写真が載ったビラ(伝単)を空からまいており、日野原さんは「(戦後の)接収を前提に、病院を空襲の標的から外したのだろう」と推測している。近隣の住民も、病院が空襲されないと気づき、避難してくるようになったという。