日韓関係に対する憂慮は杞憂…日韓交流おまつり,『壁クン(壁ドン)』に『心クン(胸キュン)』する
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SEPTEMBER 24, 2015 15:16.
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祭りはもともと楽しむものだが,今回は勉強になった。19日にソウルの延世路と20日にCOEXで開かれた日韓交流おまつりでの話だ。COEXの会場では,若者達が長い列を作るブースを見つけた。よく見ると,全員女性だった。最初は,浴衣(日本人が温泉や祭りで着る服)の体験ブースかと思った。毎年,日韓おまつりでは,浴衣の体験ブースが最も人気が高いからだ。でも,ブースの名前が妙だ。「壁ドン・フォトゾーン」。壁という意味の「かべ」は分かるが,ドンとは一体何だろう。うどんの一種だろうか。
ブース前に置かれたXバナーの説明を読んでやっと分かった。「壁とドン(壁を打つ時の音)の合成語で,少女漫画やドラマによく登場するもの,男性が女性を壁側に立たせ,男らしく壁を打つ行動を指します。2014年に,日本の新造語,流行語に選ばれる等,話題になった言葉です。」
自分の無知を叱責する前に,若者との距離を感じた。
後で調べてみると「壁ドン」は,「I❤DK」という少女漫画に登場し人気を集めたもので,この漫画が映画化されたことで,日本の若者達の間で親しみを感じる単語になったという。列に並んでいた韓国の若い女性2人に聞くと,彼女らも「日本に関心のある若者なら誰もが知っている単語だ」と答えた。
自分の番になってブースの中に入った女性は,壁の前に立ち,待機している5人の男性のうち1人を指名する。指名された男性は,壁に近寄って壁を打ち,しばらくポーズをとると,その様子を友人が撮影していた。5人の男性は,日本の芸能人「コドモドラゴン」のメンバーだという。
草ばかり食べる,男らしくない男という意味の「草食男」も,日本が作り流行らせた言葉である。草食男に疲れた女心は,自ら壁の前に立ち,男らしい男性を待つようになったのだろうか。壁を打つ男性が芸能人だから(たとえイベントとはいえ)より満足感を感じるのだろうか。この疑問に対する答えは,社会学者や心理学者にお任せするが,自分が感じたことは「変化」という言葉だった。既存の世代が足を踏み入れるには少し躊躇せざるを得ない,一方で,誰も拒否することができない堂々と流れる変化とでも言おうか。
「壁ドン」を韓国では「壁打ち」と訳している。しかし,最近,韓国では「胸がドキドキする(クンクァンコリンダ)」という意味で「シムクン(心クン)」という言葉がよく使われているので,「壁打ち」よりも「壁クン」にしたらどうだろうかと,暫しくだらないことを考えたりもした。「壁クン」であろうが「心クン」であろうが,二つの単語は物語っている。若者同士は,国籍を越え,互いに通じ合って生きているということを。そして,世の中に揉まれ意気消沈しているようではあるが,彼らだけの舞台では,しっかり足を踏ん張って楽しく生きているということを。
今回の日韓交流おまつりで学んだことがもう一つある。人間の肉体に対する驚異とコラボレーションに関する発見だ。肉体に対する驚異とは,出演者が歌を歌おうが,楽器を演奏しようが,踊ろうが,究極的に観客を魅了するのは,彼らの「身振り」であるという意味だ。日韓交流おまつりは,古典と現代が行き交い,大人と若者が入り交じる。ジャンルは,歌,ダンス,舞踊,バレエ,楽隊,チアリーディング,農楽等,多種多様であり,楽器だけをとっても,ピアノから,名前も知らない昔の楽器まで様々だ。このような公演を30余り続けて観覧すると,結局は,公演のジャンルに関係なく,楽器の音色に関係なく,また出演者の年齢に関係なく,彼らの「身振り」に関心が集中する。その身振りに,歌声と楽器の音が追いかけてついてくるような錯覚を感じる。特に日本側の公演は,それほど事前の知識がないのでなおさらだ。
出演者は,時に跳び上がり,時に座り込み,時に走り,時に止まる。それらの身振りに集中すれば,彼らが何を表現しようとするのか大体分かってくる。いや,分からなくてもいい。自分なりに理解したところで,それに文句を言う人もいないだろう。
コラボレーションは,最近の公演の流行りのようだ。一つのジャンルだけで舞台に立つのではなく,複数のジャンルを融合してステージを飾るのである。バレエにストーリーを加え,演劇のように公演したり,太鼓とエレクトリックバンドが共演したりするスタイルだ。加えて,韓国と日本は情緒的に通じるところが多いため,コラボレーションが自然である。韓国民謡の「オギヨチャ,オギヨチャ」の後に日本民謡の「ソーラン,ソーラン」が続けば,どの曲がどの国の曲か判別できない程だ。
19日に延世路で行われた朝鮮通信使行列の再現は,今年が日韓国交正常化50周年であるため特別に企画されたイベントだった。そこでも学んだことがある。やはり,お祭りは屋外で行ってこそ,その醍醐味を味わえるという事実だ。歩行者天国を原色の波が通り過ぎると,周囲の人々が一人,二人集まってきて覗き込む。彼らは,自分の楽な姿勢で立ったり,座ったり。出演者と観客の間には,何の障壁も存在しない。観客も自然に祭りに溶け込み,その観客は,いつの間にか祭りの重要な一部になる。出演者が演じ,観客は観覧するという関係ではない。両者は同じ空気を吸う。室内ではなかなか得られない雰囲気だ。それほど祭りに慣れていない自分としては,野外の祭りが醸し出す「熱気」のようなものに,しばし身を置いた気分になった。
日韓交流おまつりは今年で11回目。行事の時期が近づくといつも日韓関係を心配する。両国の軋轢が深まれば,祭りが色あせてしまうのではないかと考えてしまうからだ。今年もそのような心配をしなかったとは言えない。しかし,この「心配」は,行事を準備する人々だけがしたのであって,会場を訪問した市民の方々とは関係がなかった,と言いたいほど成功だった。
朝鮮通信使行列を再現した19日の未明,自民党は,集団的自衛権確保のための安保法案を参院本会議で強行採決した。そのニュースは,TVやラジオを通じてずっと流れていた。しかし,朝鮮通信使の行列を眺めていた一般市民の頭の中には,集団的自衛権への心配などなかったと思う。心配しなければならないだろうが,それは,彼らではなく,政治家がすべきことではなかろうか。
尹炳世外交部長官は,20日の午前にCOEXで開かれた開会式の祝辞でこのように述べた。「本日,素晴らしいハーモニーを聞かせてくれた少年少女合唱団は,小学校,中学校課程にいる両国の未来の担い手(若木)です。我々の未来の担い手(若木)を見ながら,韓日関係の未来を考えてみました。木も成長する過程で様々な試練を経験するように,隣国関係も同じです。木には,雨期より乾期がより重要だといいます。より多くの水分や栄養分を得るために,より深く,より広く根を下ろさなければならないためです。国家間の関係もこれと同じです。世界中のどの地域を見ても,隣接している国同士,大なり小なりの緊張と摩擦がない地域などありません。重要なことは,困難をどのように管理し,うまく克服して行くかであり,互いに信頼の根をどれだけ深く下ろせるかということです。」
正論だ。しかし,記者は次のように思った。自然の雨期と乾期は交代に訪れるが,今の日韓間には雨期と乾期が共存していると。国家間には常に摩擦が存在するように,同じ国の中にも考えの異なる人がいるものだと。ただ,共存と破局を分かつのは,相手の存在価値を認めるか,そうではないかにかかっているだけである。
祭りは元々楽しむものなのに,色々と無駄に考えすぎたようだ。
沈揆先 東亞日報 大記者 ksshim@donga.com