フォルクスワーゲンは1937年に創業した会社で、最初に出したクルマはビートルでした。

ビートルはアドルフ・ヒトラーが伝説的なエンジニア、フェルディナンド・ポルシェに指示して作らせた「国民車」で、ベストセラーになりました。

第二次大戦後、フォルクスワーゲンは英軍に接収され、1948年に西ドイツ政府に返還されました。そして1960年に民営化されました。

2005年に故フェルディナンド・ポルシェゆかりのフォルクスワーゲンに対し、ポルシェが経営権奪取を企てます。

ポルシェはカリフォルニア州サンディエゴに本社のあるバリュー投資を専門としたブランディスから持ち株を譲り受け、それをタネ玉として2007年3月までに30%を超える株数を玉集めします。

ドイツの証券法では30%の株式を取得すると強制的にテンダー・オファーで残りの全株式を買い付ける公告をしなければいけません。

ただこの法律では「幾らのプレミアムを払いなさい」という規定はありません。

それを利用して、ポルシェはわざと思いっきり低い提示価格(当時、場で付いている値段より低かったです)で「この値段で買い取ります」という公告を出しました。

当然、一般株主は、誰もそれに応じないわけです。

結局、一株も公開買い付け出来ず、ポルシェはフォルクスワーゲンの30%株主のまま、現状維持されるかのように思われました。

しかしポルシェには秘策がありました。

ポルシェは、キャッシュ・セトルド・オプションとよばれる、金融機関との相対取引で、将来、キャッシュを払う代わりにフォルクスワーゲンの株式を現引き出来る取り決めを結んだのです。

このキャッシュ・セトルド・オプションは、別名、エクイティ・スワップと呼ばれることもありますが、個人投資家の方にとっていちばんイメージしやすい喩えは、一種のCFD(差金決済取引)だということです。

つまり通常、CFD取引ではトレードをした結果、「勝った、負けた」という結果、ないしはポジションを建てた値段と、手仕舞ったときの値段との差額だけをキャッシュで清算する(=cash settledという表現は、ここから来ています)タイプの取引なのです。

だからトレード自体は本人と金融機関との間での取り決めに過ぎず、実際に金融機関がその取引から生じたリスクをヘッジするためにフォルクスワーゲンの現物株を場で拾うかどうかは、その金融機関の肚一つで決めれば良い事です。

この場合、ポルシェが「差額のキャッシュで儲けたお金を清算してくれるのではなく、やっぱり現物が欲しいです」とリクエストすれば、金融機関は現物株をポルシェに渡さなければいけません。

ただポルシェがそういうリクエストを出すまでは、金融機関がヘッジ目的で手当てしておいたフォルクスワーゲン株の名義は金融機関の名義になるわけです。

つまりキャッシュ・セトルド・オプションを利用する目的は、名義人の隠蔽(いんべい)にあるわけです。

このような取り決めを結んだ後、ポルシェは「これまでにフォルクスワーゲンの42.6%を取得した。そしてさらにキャッシュ・セトルド・オプションにより75%まで買い付ける権利を有している」と発表して世界をアッと言わせたのです。

しかしポルシェとフォルクスワーゲンでは事業規模が全然違います。つまり「小が大を呑む」買収なので、実際にフォルクスワーゲン株を現引きして買収を成就するためには巨額の借入をする必要がありました。

一般の機関投資家の多くも(ポルシェが買収資金を用立てることは不可能だろう)と判断します。

このような睨み合いが続いているとき、リーマンショックが襲い、世界の金融機関は生死の境を彷徨う状況になります。アメリカではゼネラル・モーターズが事実上倒産の危機に瀕し、政府へ救済を仰ぎます。

このような状況でポルシェが持ち株を過半数の51%に引き上げるのが完了すれば、フォルクスワーゲン株を買い支えている買い手は居なくなるので、フォルクスワーゲン株は暴落するリスクがあるのです。

2008年10月からフォルクスワーゲン株が急落しはじめ、ポルシェは高値でフォルクスワーゲン株を仕込んだ分が損になり、株式買付のためにした借金が返せなくなり、破産の危機に瀕します。

結局、ポルシェは自分の持っているフォルクスワーゲン株5%を供出し、ショート・セラーが借株をちゃんと調達せずに場で売ったショート・ポジションの受け渡しを付け、解け合いに応じます。

こうしてポルシェには100億ユーロを超える負債が残り、フォルクスワーゲンの買収は失敗に終わりました。

2012年7月に今度は逆にフォルクスワーゲンがポルシェの50.1%を取得すると発表しました。これにより、もつれ合った両社の株式の持ち合いが、スッキリ整理されたわけです。

フォルクスワーゲンが排ガス不正をはじめたのと、上に述べたM&Aバトルでフォルクスワーゲンの経営が大混乱に陥った時期とは符号しています。

排ガス不正の直接の引き金が上に述べたお家騒動であると結論付けることは出来ないでしょうが、当時のフォルクスワーゲンが焦っていたことは、このエピソードからも窺えるとと思います。