組織の生産性低下の原因は、明確・責任・評価である
仕事の効率化において必要不可欠である「明確」「責任」「評価」。この3つこそが企業の生産力を下げる原因であると、『組織が動くシンプルな6つの原則---部門の壁を越えて問題を解決する方法』の著者であり、BCGのディレクターを務めるイブ・モリュー氏は語ります。 ビジネスが複雑になった現代において、企業が生産力を上げるために、リーダーは何をすべるきか? 人をマネージする立場にいる方には、是非読んでいただきたいスピーチです。
- スピーカー
- コンサルタント Yves Morieux(イブ・モリュー) 氏
生産力の変化が生活にどのような影響をもたらすか
イブ・モリュー氏:ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンは、かつて「生産力が全てではないが、長い目で見れば、生産力がほぼ全てだと言えるだろう」と書きました。ということは、これは深刻なことなのです。なぜなら、この世にあるもので”ほぼ全て”だと言えるものは、そう多くはないからです。生産力は経済を発展させるための最も重要な原動力なのです。そしてここで、私たちが今抱えている問題があります。
もっとも巨大であったヨーロッパ経済では、50年代、60年代、そして70年代初期まで、生産率が毎年5%上昇していました。そして73年から83年までは毎年3%になり、83年から95年までは毎年2%になりました。そして1995年からは、毎年1%以下になっているのです。
同じことが日本でも起こっています。アメリカでも同じです。15年前一時的にリバウンドしたにも関わらず、そしてインターネット、情報、新しい情報とコミュニケーション技術など、私たちを取り巻く様々なテクノロジーが次々と発明されているのにも関わらずです。
生産率が毎年3%上昇するということは、世代が変わるごとに生活の標準が2倍になるということです。子供の世代は自分の両親の2倍、裕福な生活が出来るようになるのです。
生産率が毎年1%上昇するようになると、生活の標準を倍にするまで3代もかかるということになります。そしてこのようなことが起きると、多くの人は両親よりも貧しい暮らしを送らなければいけなくなります。
全てが少なくなるのです。屋根が小さくなったり、もしかしたら屋根なしになるかもしれません。教育、栄養、抗生物質、ワクチンなど全てにおいて手に入れられる機会が減ってしまうのです。私たちが今直面している全ての問題を考えてみてください。全てですよ。それらの根底にある原因は生産力の危機に関係があるのです。
効率が人間を非生産的にする
なぜこの危機は起こったのでしょう? それは、組織やマネジメントに有効性のある「効率」の基本的な信条が、人間の努力を非生産的にしてしまうようになっているからです。会社や私たちの働き方や、開発・投資の仕方など、公共の場ならどこでも、もっと仕事がはかどるように学ぶと思います。効率における聖なる三位一体である「明確・評価・責任」を取り入れています。これが人間の努力を失敗させるのです。
このことを可視化し、証明するには2つの方法があります。
1つ目は、私が好む方ですが、厳密で明晰で適切な……数学です。しかし、完全な数学の見解は時間がかかるので、もう1つの方法にしたいと思います。それはリレー競走を見ることです。今日私たちがすることはこれです。少しアニメがかっていて、見ていて分かりやすく、そして速い競走です。出来ればもっと速いといいのですけど。
(会場笑)
世界選手権の女子ファイナルです。ファイナルに残っているのは8チームです。一番速いチームはアメリカ。このチームには地球で一番速い女性がいます。優勝の最有力候補です。特に、標準的なチームと比べるとすると……例えばフランスチームとかですね。
(会場笑)
100メートル走の最高記録を基に比較すると、アメリカチームの走者の個々のタイムをそれぞれ足していくと、彼女たちがフランスチームよりも3.2メートル先にゴールに着くんですね。そして今年は、アメリカチームはとても良いコンディションに仕上がっています。今年の最高記録を基に見ると、フランスチームよりも6.4メートル先にゴールに着く計算になります。
競走を見てみましょう。この時点でお分かりのように、終盤にかけて、アメリカチームの第4走者であるトーリ・エドワーズが先頭です。驚くことではないですね……今年彼女は100メートル走で金メダルを獲っています。それから、アメリカチームの第2走者であるクリスティ・ゲインズが地球上で最も速い女性です。地球には約35億人の女性がいるわけですが、一番速い2人がどこにいるかって? このアメリカチームです。そして、アメリカチームの残りの2人も決して悪い選手ではありません。
(会場笑)
ということで、明らかにアメリカチームが、才能ある人を集めるという戦いには勝利しているわけです。しかし後方で、標準レベルのチームが追いつこうとしています。競走の続きを見てみましょう。
(動画:フランス人のスポーツキャスターが実況している)
(動画:実況終了)
イブ・モリュー氏:さあ、何が起こりましたか? 最も速いはずのチームは優勝しませんでした。ところで、フランス人を良く見せるために私がどれほど詳しく歴史を調べたか、皆さんにぜひ感謝してもらいたいと思います。
(会場笑)
まあ大げさに言うのは止めましょう……考古学でもありません。
(会場笑)
明確・評価・責任が協力することに与える影響
しかしなぜでしょう? 理由は協力です。皆さんはこのような言葉を聞いたことがあるでしょうか……「協力すれば、部分を足し合わせたものよりも、全体の価値が上がる」これは詩ではありません。哲学でもありません。これは数学なのです。バトンを持っている人たちは遅くなりますが、バトン自身は速くなるのです。協力の奇跡ですね。これが人間の努力におけるエネルギーや知能を増大させるのです。
人間の努力において必要不可欠なものです。どのようにして皆が一緒に働くか、個人の努力をいかに他者の努力に貢献させるかということなのです。協力し合えば、もっと多くのことを少ない努力で成し遂げることが出来るのです。それでは、明確・評価・責任という神聖な信条……三位一体と言ってもいいと思いますが、これが現れると協力はどうなるでしょうか?
明確性。管理報告書は明確性に欠けているという不満で溢れています。法令順守監査やコンサルタントの診断。私たちは明確性をもっと求められ、役割や過程を分かりやすくしなければいけないのです。チームの走者はこう言ったかもしれません。「はっきりさせておきましょう……私の役割はどこで始まってどこで終わるの? 95メートル走ればいいの? 96? 97?」これは重要です。はっきりさせておきましょう。もし97と決まったら、97メートルの後そこにバトンを受け取る人がいようがいまいが、人々はバトンを落とすのです。
責任。私たちは常に責任を他人の手に委ねようとしています。この過程の責任者は誰でしょう? この過程の責任を負う誰かが必要ですね。このリレー競走では、バトンを渡すことがとても重要ですから、バトンを渡すことの責任を負う人が必要です。
そこで各走者の間に、前の走者からバトンを受け取り、次の走者にバトンを渡すことに専念する新しいアスリートが必要になってくるわけです。そのような人が少なくとも2人は必要ですよね。そのようにしたら、この競走で優勝出来ると思いますか? 結果がどうなるかは分かりませんが、はっきりとした境界線やはっきりとした責任の境目が見えることは確かでしょう。誰を責めればいいかきちんと分かるでしょう。
しかし、競走に勝つことは絶対にありません。よく考えてみてください。成功するための状況を作ることよりも、失敗したら誰のせいになるかということばかり気になってしまうのです。都市構造や処理システムなど、組織を設計する全ての人知にとって、真の目標とは何だと思いますか? 失敗した場合に備えて、責任を取れる人物を準備しておくことです。失敗した時にはっきりと責任を取れる人を用意し、失敗が許される組織を私たちは作り出しているのです。そして私たちはとても有能です……失敗することに。
評価。評価とはどのようにされるものでしょうか。見てください、バトンを渡すところです。いいタイミングで、正しい手の方へ、ちょうど良い速さで渡さなければいけません。しかしそれをするには、腕に力を入れなければいけません。この腕に入れる力が足に入ってはいけないのです。ある程度のスピードを犠牲にしなければこれは出来ません。
バトンを渡す際、次の走者が準備し予期できるように、次の走者に向かって十分余裕を持って叫んで知らせなければいけないのです。そして、それは大声でなければいけません。しかし血気や、喉に必要な力は足にはないのです。なぜなら分かるように、8人もの人が同時に叫ぶわけですから。仲間の声を聞き分けなければいけません。「今のはあなた?」なんて言ってられませんね。遅すぎます。
(会場笑)
効率が協力を妨げ、努力の方向を間違わせる
それでは、この競走をスロー再生で、第3走者に注目して見てみたいと思います。彼女が自分の努力や力、集中をどこに割り当てているか見てください。
全てが足に使われているわけではありません。そうすれば彼女のスピードは速くなるでしょうが、しかし同時に喉や腕、目、脳にも使われているのです。これが誰の足に影響すると思いますか? 次の走者の足です。しかし次の走者がものすごい速さで走れるのは、彼女の素晴らしい努力のおかげでしょうか、それとも第3走者のバトンの渡し方でしょうか? その答えが分かるメートル法はこの地球にはありません。
そしてもし、私たちが評価可能な仕事の出来栄えを基に人々に報酬を与えるとすると、人は自分の力や集中や血気を評価可能であるもの……つまり、足に注ぐのです。そして結果バトンが落ち、遅くなります。
協力することは大変な努力ではありません。どのように自分の努力を割り当てるかということなのです。しかし、リスクを背負うことではあります。なぜなら、客観的に評価してもらえる個人の仕事の出来栄えが犠牲になるかもしれないのです。比較されている人との仕事はとても違ったものになるでしょう。協力し合うなんてバカにならないとやっていられません。そして人はバカではないので、皆協力しないわけです。
複雑なビジネスにおける生産力低下の悪循環
世界がもっと単純だった頃は明確・責任・評価があれば良かったのです。しかしビジネスは非常に複雑になってきています。私は自分のチームと共にビジネスにおける複雑さの発展を計測しました。顧客の興味を惹き、それを保持し続けることや、世界規模での便利性を構築すること、そして価値を作り出すことなどは、今日では今まで以上に非常な努力を要するようになってきています。そしてビジネスが複雑になればなる程、明確・責任・評価の名において私たちは構造・過程・システムを増幅させているのです。
明確と責任の動因が、非生産的な境界線や、経営管理部門や、人や資金を集めるだけでなく障害も加えてしまう調整役などを増やす引き金になっています。そして組織が複雑になるほど、何が起こっているのかを理解するのが難しくなるのです。私たちは要約や代理人や報告書や主要業績評価指標や測定基準を要求されます。そうすると、人々は協力を犠牲にして、自分のエネルギーを評価されるものへと注ぐのです。
そして仕事の出来が悪化するのに伴って、私たちはそこに更に構造・過程・システムを加えようとします。人々は会議や、報告書を書いては消し、また書き直すといったことに時間を費やしています。分析によると、こういった組織のチームの人々は40%から80%の時間を無駄に費やしていますが、仕事自体はどんどん大変になり、どんどん長くなり、付加価値の活動はどんどん減っていきます。これが生産性をダメにし、人々を仕事で苦しめるのです。
人々が協力するために、リーダーがすべきこと
組織は人知を無駄にしています。彼等は人間の努力に敵対しているのです。人々が協力しない時は、彼等の思考態度や考え方、性格などを責めないで、職場の状況に焦点を当ててみてください。個人の意志で本当に協力したがっているのか、そうでないのか、もし協力したとしたらそれは個々が良くないということなのか? なぜ彼等は協力するのか? 明確・責任・評価の代わりに性格を責めると、私たちはそこに、役に立たない不公平さを加えてしまうことになるのです。
人々が協力するために、個々が役に立つような組織を作ることが必要です。境界線や経営管理部門や全ての複雑な配位構造を取り除かなければいけません。明確性ではなく、柔軟性を求めてください。柔軟性は重なり合います。数字で仕事の出来を評価するのは止めましょう。スピードは「評価されるもの」ですが、「どのように」に当たる協力に目を向けてください。
どのようにバトンを渡しましたか? 投げましたか、それとも効果的に渡しましたか? エネルギーを足やスピードなど評価されるものに使いましたか? それともバトンを渡すことに使いましたか? あなたはリーダーとして、マネージャーとして、人々が協力するために個人個人を役立たせられていますか?
組織や会社の未来や私たちの社会のかなめは、あなたのこれらの質問に対する答えにかかっているのです。
ありがとうございました。
(会場拍手)
(編集協力:鈴木楓子)