Vol. 4 僕のヒーロー(後編)

Guest:ミュンヘンオリンピック・男子バレーボール金メダリスト/全日本女子元監督 横田忠義さん

mc:
神宮前WEB チャンネル。第二回のゲスト横田忠義さんのお話の後編をお送りいたします。
再び、横田さんの旭川のご自宅に戻ってまいりました。

中編の最後に「今の全日本は金は無理、男子に至っては銅も難しい」という、バレーボールファンにとってはとてもショックなお話。そこに一番欠けているものは「根性」ともおっしゃっていましたがもう少し詳しく教えていただけませんか。entry002_13.jpg

横田:
ハングリーさということになると、オリンピックからアマチュア憲章が外れて、お金をもらえる様になった。そうなったら、もうだめ。プロを宣言している者は報酬をもらっても良いけれど、そうじゃない連中はお金をもらっちゃダメだ。小銭をもらって、生活にゆとりがでたりすると、とてもじゃないけれど根性では勝てない。

mc:
お聞きしていて、サッカーの「なでしこジャパン」と重なりました。彼女たちは、大半の選手がアルバイトをしながら練習を続けるほど、男子と比べると余りにも恵まれていない状態で世界一を獲った。もちろん、競技人口が違いますから、単純に比較はできませんが、恵まれた環境の中でベスト4を目指して16ぐらいになっている男子とは、ハングリーさが違う気がしますね。

大崎:
ファンからすれば、その後も、田中幹康、花輪、植田、中垣内、大竹、セッターなら清水、真鍋のようなスター選手が思い浮かぶんですが、誰一人として、金は獲れていません。横田監督は、注目された後輩たちはどう見えましたか? また、オリンピックにもなかなか出られないような氷河期がありましたが、歯がゆくなかったですか?

横田:
歯がゆくはなかった。この程度やろうなと思った。
その程度の成績に収まるような練習しかしとらんもん。だから、あれぐらいの成績で当たり前なんだよ。20 年ぐらい前からそうなんだけど、今やっている連中の練習は「オリンピックに行けたらいいなぁ」というぐらいの練習。「金メダルを獲ろう、世界一になろう」というためには、どんな練習をしたらそういう気持ちになれるかを知らんわけよ。指導者も知らんわけさ。
女子の場合は、世界で3 番ぐらいになる練習は、分かるかもしれないけれど、一番になる練習は経験していない。だから、監督も金を獲る練習を発想ができない。

mc:
なぜ、松平さんは金を獲る練習を思いついたんでしょうか。

横田:
松平さんは、人を使うのがうまかった。
メキシコオリンピックまでは、池田さんが現役の選手でやっていたんだけど、選手時代は松平さんと池田さんはものすごく仲が悪かったの。一回大喧嘩をしたのがきっかけとなり「俺が世界一のチームをつくるための片腕になれ。メキシコが終わったらお前をコーチにする。」と言う事になった。松平さんは、もともとレシーバー上がりだから、
「スパイクに関しては一切言わん。池田さんに任せるから、横田、大古、森田を世界一にふさわしいスターメンバー、エースに育て上げてくれ」と言った。
そして、トレーニングに関しては、齋藤というのを呼んで「世界一を獲るのにふさわしい体作りをしてくれ、トレーニングに関してはお前に任す」てな具合に任せていった。

大崎:
経営者として、松平さんの考え方というのはヒントになるし凄いです。人を動かす力というのは、歴代の監督の中で、松平さんを越える人はいないと思っています。

横田:
いない。そして、ありえない。

大崎:
松平さんの根性も凄いということですよ。

mc:
ただ、それだけのことをしようとすると、批判も大きなものがあったのでしょうね。

entry002_14.jpg横田:
強化委の内部から特にあった。だから、全日本の監督をやりながら、自ら手を挙げて、男子の強化委員長もやった。さらに、強化委の運営は、理事会で承認されないと進まないから、自ら理事にもなって周りを説得して協力を取り付けた。協力してくれない人は辞めさせる。ある面独裁者ですよ。

大崎:
「これで、金メダルを獲らなかったら腹を斬っても良い」ぐらいの人事ですね。また、それぐらい松平さんは自信があったと思うんですよ。
まさに、男の中の男。それぐらいのことをしないと、「金」を目指す状況は作れない。自分から手を挙げる監督なんて、いませんでしたよね。

横田:
いない

大崎:
そして、その責任を果たしていますよね。ようするに「金を獲った」ということ。その後の松平さんは、今度は優しくバレーボールを見守っていらっしゃる。

横田:
離れてみていれば「優しい目で見ているな」と思うけれど、そばによってみると「何やっとるんだ、パカーン」だよ(笑)。

mc:
さて、話は変わりまして、横田さんの現在の活動について、お聞きします。
現在は旭川にご自宅を構えていらっしゃるわけですが、それまでは、滋賀県の大津にいらっしゃったそうですね。

横田:
旭川というのは女房の実家で、義父も高齢になってきたということで2010年の4月に越してきました。

mc:
こちらに来たことが切っ掛けとなり、横田杯というバレーボールの大会が生まれたそうですね

横田:
たまたま、帯広のスポーツ施設である「交流の森」という所で、息子が所属するブレイザーズが合宿をしていたので、のぞきに行ったところ帯広で会社を経営している方と知り合い、彼も男子バレーボールのファンだということで「それだったら、北海道からもう一度男子バレーを盛り上げようか」ということになったんだわ。最終的には小中高の男女が参加する大会にしようということで、2010年から始めた。
帯広には森田の教え子が高校の先生になっていたりするので、高校の男子チームを集めてもらって、2010年は2日間で6チームぐらいだったんだけど、2011年は3日間で19チームが集まった。

大崎:
トーナメントですか?

横田:
リーグ戦をやって、最後はトーナメントで優勝を争う方式だね。

大崎:
横田杯ということは、優勝カップがあるんですか?

横田:
あるよ。今は、帯広の今年の優勝チームがもっているわ。

大崎:
横田さんの名前がついている大会があるというのは、一ファンとしてとても嬉しいです。

entry002_15.jpgmc:
本当にご縁ですね。旭川に転居していなければ、帯広に出かけていなかったでしょうし、帯広で息子さんが合宿をしていなければ、このような出会いも無かったわけですからね。


では、最後に壮大な質問をさせてください。
今、日本自体が大きな曲がり角に来ていて、大切なものを思い出さなければならない時期になっていると思うんです。
「三丁目の夕日」に象徴されるように、「あの頃の日本」を思い出そうという機運があると思うのです。横田さんからみて「今の日本に欠けているもの」や「こういう風にしたら、日本全体が元気を取り戻す」というものがありましたら教えていただけませんか?

横田:
田中角栄の時代に、大手商社の社長が国会の証人尋問に呼ばれて「この紙にサインをしなさい」という場面があったんだけど、手が震えて書けない場面が、テレビで放映された。それを見た大半の日本人は、それを笑い飛ばしたんだ。俺は、その辺りから日本がだめになったと思っている。日本は総中流「自分は上流でなくても中流で良いんだ」みたいな感覚になり、高度成長もあって割と裕福になっていった。

あの放映を見た親は、「どんな大会社の社長でも、あういう所に呼ばれていったら、手が震えて字が書けなくなるようなみっともないことになるんだよ。あのようなことをやってはいけないんだよ」という教育をしなければならなかった。それを、ヘラヘラ笑って見過ごした。「恥を知れ」という言葉が、あの頃から使われなくなってきた。

俺らが子供の頃なんか、「横田のせがれが悪さをしとるみたいな事を言われるから、恥ずかしいことはしてはいけない」と言われた。今から40 年前ぐらいから恥の文化を日本人が忘れはじめたんだ。

大崎:
確かに、使わなくなってきましたね。

横田:
昔は、近所に怖いおじさんがいて、悪さをしていたら、スコーンとやられた。銭湯に行ってチャポーンと飛び込んだら怒られた。そういうのが徐々になくなってきた。

mc:
そういうのを、スポーツを通じて底辺から教えようといういうことでしょうか。

横田:
上下関係とか大切なのに「拳骨の一つや二つ」というのを皆が否定するようになった。もちろん、ビンタとかというのはダメだけど。「失敗したらヘルメットの上からコーンとやられる」ことぐらいはある。そういうのを全体として残しておかなきゃあかん。教室でワーワー騒いでいる子がおったら、竹の鞭を持った先生がいて、ピシーッとやられてた。それぐらい当たり前だったけど。それが総中流になって、学校の先生と親の学歴も変わらなくなっちゃった。今は、東大ですら大安売りになっちゃった。いろんな所に東大がいるからね。

entry002_04.jpgmc:
学歴をとっぱらっても、尊敬すべき存在に学校の先生がなっていないということですね。
先生だけでなく「大人を尊敬する」ということ自体が崩れてしまった。これを立て直すきっかけ、というのは何かありますか。

横田:
それをやろうと思ったら、日本を大統領制にするしかない。首長が圧倒的なパワーをもってやる。橋本前知事が教育委員会を変えようとしていたけれど、間接民主主義で選ばれた政治家では、しがらみがあってなかなかそこまでできない。何か変えようと思ったら、TOPは直接選挙で選ばないと変わらない。

大崎:
大統領選挙と同じということですね。

mc:
それでは、インタビューの締めくくりに、メダルを拝見できますでしょうか。

大崎:
こちらが、メキシコオリンピックの時の銀、そして、こちらがミュンヘンの時の金ですね。

entry002_05.jpgmc:
触らせていただいてもよろしいですか。

横田:
どうぞ。横田杯の時には参加者の首にかけてあげたりしているよ。

mc:
本当に、ずっしりと重いですね。


日本が「ミュンヘンオリンピックのあの時」のように、元気を取り戻すことを期待しつつ、今回の社長対談を締めせていただきます。
 

横田さん、本当にありがとうございました。

平成23年12月31日、日本バレーボール協会名誉顧問でミュンヘン五輪の男子バレーボール監督の
松平康隆様がお亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。


横田 忠義(よこた ただよし)さんプロフィール

香川県立多度津工業高等学校から中央大学。在学中の19歳で全日本入りした。
メキシコ五輪で銀、ミュンヘン五輪では金メダルを獲得。強烈なクロス打ちの名手として名をはせ、

大古誠司、森田淳悟とともにビッグスリーとして活躍した。
現役引退後は、NECホームエレクトロニクスの監督を経て、1994年に全日本女子監督に就任。

現在は、北海道・旭川に在住。帯広にて「横田杯」を主催するなど、バレーボールの後進育成のための活動をしている。

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