2015-09-24 01:30:28
テーマ:内因性の正体
今日のエントリは前回の後半ではない。「悪意で入院させたのなら、毎日、面会など来ないですよ 」の記事で、
「地獄への道は善意で舗装されている」
という名言?があるとコメントがあり、非常に面白いと思ったので、短い記事にすることにした。
結論を先に言うと、この指摘は「屁理屈」か、あるいはポイントを外している。
元々、この「地獄への道は善意で舗装されている」という諺にはいくつか解釈がある。
1つは、「良かれと思って行ったことが悲惨な結末を招くこと」をいう。もう1つは、もう少し宗教的なもので、「善意を持っていても実行が伴わないと、いずれその人は地獄へ落ちる」と言うものである。それ以外にも解釈があるかもしれないが、主にこの2つが主流だと思う。
このコメント主は前者の意味合いで指摘していると思われるので、「良かれと思って行ったことが悲惨な結末を招くこと」について考えてみたい。
まず、「悪意で入院させたのなら、毎日、面会など来ないですよ」の記事だが、家族は本人を決して善意で入院させてはいない。この記事では、悪意の反意語が善意になっていないのである。
では、なぜ入院させたかと言うと、むしろ家族の生活が成り立たないか、あるいは本人があまりにも酷い状態に見えるからである。家族の生活が成り立たないとは、本人を家においておくと、家族の誰もが一睡もできないとか、本人の行動異常のため(例えば妄想から、全ての窓に目張りをするとか、家の電源を切るため、エアコンは効かない、冷蔵庫の物が全て腐るなど)、かなり生活に支障をきたすことを言っている。
本人が悲惨とは、「食べない、眠らない、入浴しない、着替えもしない」などがよく挙げられるが、疾患の内容によりさまざまである。家族が一時でも油断すると自殺しかねない状況は、家族も悲惨だし本人も悲惨な状況といえる。
このようなことから、本人を入院させるのは、少なくとも善意とは言わない。しかし悪意でもないのも確かである。
しかし病識がない本人は、家族が騙されているとか、悪意を持って行っていると思うことは稀ではなく、よくあるパターンとさえ言える。
家族は「本人の変容」が今までの本人のものとは不連続で異質なものと、なんとなく気付いているのである。だから、苦労しても病院に受診させる。
精神科に最初に連れて行かないこともあるのは、スティグマだけでなく、そういうこと(精神の異常)が本体とは気付かないこともある。
このようなことから、このケースでの「善意」は、本質がかなりわかっていることで初めて成立することがわかる。
従って、初診で入院させた場合、家族は本人に対し、非常に申し訳ない気分に落ちいることも稀ではない。だからこそ毎日でも面会に来るのである。
罹病期間が長くなり、入退院を繰り返すような患者さんの場合、家族も精神疾患の本質がわかってくることや、疾患性から来る本人と家族とのトラブルなどで、毎日面会に来る心理にはならなくなる。時間が経つと、
精神疾患に侵襲された本人=真の本人
と見なされてしまうからである。
このようなことから、精神疾患は悪い状態が長く続くこと自体、家族のシステムを変化させ、修復がきかなくなる面がある。
そのようなことからも、特に初発時の治療内容及び結果は、本人や家族の予後を考えると、非常に重要なんだろうと思う。
参考
統合失調症の寛解、就労、予後の謎
統合失調症の告知と予後

