菅野彰
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葡萄。
それは私には、めんどうくさい食べ物だった。
子どもの頃まるっと出されて、一房を食べ切ることに無心になり、一粒一粒皮を剥いて種を出して、
「食べきれないよー」
そうなるのが葡萄。
今回の「東北食べる通信」が葡萄だという予告を見て、私のテンションは正直下がった。
「葡萄じゃ、お酒呑めないし」
そこまで私も酒呑みではないわと、注文も適当にした。適当にしたら注文した翌々日に、問答無用でキャンベルという品種が届いた。
「友達と二人でムシャムシャ食べよう」
仕事中の友人に、LINEで、
「葡萄届いたんだけど、今日仕事の帰り食べに来てくれない? なんか夕飯は別に作るよ」
そうメッセージを送った。
すると友人から、
「葡萄? ただ食べるの!? 私デザートパーティ開いていい? 夕飯はいらない!」
そんなテンションの高い返事が来た。
「葡萄は何色!?」
そんなに葡萄好きか、と、友人の新しい面をまた知りながら、私はこのときやっと葡萄の箱に手を掛けた。
そう、私は届いた箱を、開けてもいなかったのだ。なんてことなの? そのぐらい私の葡萄に対するテンションが低かったということなんですよ!
葡萄の入った箱は、ちゃんと近づくとそれだけでもう甘酸っぱい香りがしていた。
「え……? なんだこの香り」
慌てて、梱包してある箱を開ける。
すると中には、あまりにも存在感のあるキャンベルが三房、堂々と横たわっていた。食欲をそそる香りも容赦ない。
「これは……ただの葡萄ではない」
いつものように冊子を捲ると、それは秋田県横手市の「葡萄屋 久兵衛」鈴木靖之さんが丹精して、一つ一つを嫁に出すようなつもりで仕上げた芸術的な葡萄であることがわかった。
レシピのページには、ローストビーフを使っての葡萄のサラダが載っていてとても美味しそうだ。
そうだ、葡萄の酸味は確かに肉と合わせてサラダにしたらきっとすごく美味しいし、ワインにも合うだろう。
「ローストビーフはハードルが高いけれど、生ハムを使って葡萄のサラダにしよう!」
俄然私はテンションが上がり、買い物に行こうと立ち上がった。
その間友人から、デザートプランが描かれた不審なLINEメッセージが来る。
「デザート好きにしていいけど、その前にサラダ食べてね。葡萄はキャンベルだよ」
仕事中に彼女が描いたデザートプラン、何処まで本気なのだろうと不安を覚えながら、私は生ハムやチーズを買いに出かけた。ドレッシングは家にあるオリーブオイルとワインビネガーで、シンプルに作ろうと思った。きっと葡萄の酸味が味を整えてくれるだろう。
ちょっと奮発して美味しそうなハモンセラーノを購入して、帰宅する。
「お願いがあるの。白玉を作って」
友人からまた、メッセージが入った。
「作ったことないけど白玉……まあいいや、白玉粉買って来てくれたら作るよ」
白玉を作ったことがない。
ええ、私は。
酒だけなんです。
両刀じゃないの。
デザートには実はノー興味。
だから友人のテンションには、怯んでいた。友人は常々、
「世界のスイーツを食べ尽くしたい」
と、言うような女である。
「……なんだか嫌な予感がするわ、彼女のハリキリに」
震えながらも、私はサラダの準備をした。仕事場にたまたま昨日買ったルッコラがあったので、それとレタス菜をちぎって、セロリを刻んだ。
簡単に作ったドレッシングに、水を切った野菜を馴染ませる。
生ハムは後にして、葡萄の実を皮から取り出した。食べる時と一緒で、破れたところから押し出すだけだ。種は取ろうかと一つを半分に切ってみたが、
「こりゃ無理だ、この数の種を取るのは」
と、一つ目であきらめた。
皮を剥いているうちに、
「私、何故この香りのみなもとを食べてみようとしないの!?」
はっ、と気づいて、実を口に放り込む。
「美味しい! ジューシー!!」
これを生ハムと合わせるところを想像しながら、淡々と皮を剥き続けた。
チーズにも葡萄を合わせてつまみにしようと、その分も葡萄を剥いた。
そこに、何か大きな袋を抱えた友人が、満面の笑みで到着する。
「来たよ! デザートパーティにお招きありがとう!」
「……デザートパーティに招いてないし。それは後で好きなだけやっていいから、とりあえずサラダを食べよう」
私は葡萄と出会うまでは、夕飯は関係なくパスタでも作って、本当に友人と無心で葡萄をムシャムシャ食べるつもりだった。
だが、生ハムを和えた葡萄のサラダは、我ながら本当に美味しそうだ。
生ハムは残しておいても自分一人では食べないので、ふんだんにというか全部使った。
「わー、きれいだねー! 生ハムいっぱい。お、今日はさすがにワインなの?」
「そう。葡萄だからね。さすがにワインです」
ワインは仕事場に一本だけあった、白ワインを開けた。いつも千円台のものしか呑まない私にしては、ちょっと良いワインだ。「グランデス・ビノス・イ・ビニェドス アナヨン シャルドネ 2011」。スペインの白ワイン。蜂蜜色をしているけれど、甘すぎずまろやかで、フルーティなワインだ。
ワインのことはよくわからないので、美味しいと思ったら同じものをまとめて買ったりする。これはそのまとめ買いの、最後の一本だった。
「食べてみて、葡萄のサラダ。種は噛まずに飲み込んでいいと書いてありました」
このとき友人は、ふと、何か不穏な表情をした。
「なんかちょっといつもと違う! ブルジョアな感じ!!」
だがすぐにテンションを上げた彼女に、気のせいかと思い直す。
「ブルジョアって……今なかなか言わないよねその表現」
見た目確かになんか高そうなサラダを、友人がまずは一口食べる。
「これは、なんかすごいね。ちゃんと生ハムと葡萄が合ってる! 美味しいよ!!」
「我ながらものすごく美味しい……!」
もっといっぱい作れば良かった、こんなのあっという間に食べ切ってしまうと思っていると、友人がクラッカーの上にかわいらしくサラダを盛ってくれた。
「これはかわいくて美味しい。ありがとう!」
チーズと葡萄もよく合って、白ワインも進む。
葡萄を食べながら、私はあることに気づいた。
飲み込んでいいと言った種を、友人が全部出してきれいに積んでいる。
「種、全部出したの? すごいね」
大変だったのではないかと思い私が何気なく言うと、友人はまた不穏な表情をした。
「……う、うん」
何か彼女は、挙動不審だ。
「実は私」
重い口を、彼女は開いた。
「葡萄の種が、どうしても飲み込めないの」
「なんで?」
「お腹から……葡萄の木が……生えてきたらどうしようかと、怖くて」
「え?」
ちょっと待て今いくつだ友よ。
「もちろん今はわかってるんだよ! お腹の中で種が溶けることくらいわかってる!! でも子どもの頃、大人に言われてね。だから葡萄の種は出さないと駄目だって。それで今でも、怖くて飲み込めないの……」
大人は変な嘘を子どもについてはいけませんね……。
「さて」
衝撃の告白をした友人は、立ち上がった。
「好きに作るといい。デザート」
「引かれないくらいに、やるから。白玉作ってよー」
「わかった」
腰の重い私は、甘いものにあまり興味がないのである……。
白玉粉の袋の裏を見ながら、初めての白玉作りに挑戦だ。
「白玉粉二百グラムに、水百八十ccか」
「全部作らなくても、半分でいいんじゃない? 白玉粉百グラムに、水が、にろくじゅうに。あ、少ない。にはじゅうろく、あ、まだ少ない。にくじゅうはち、あ、九十ccだね!」
「ちょっと待て今どんな暗算の仕方した!?」
「足し算に弱くてね!」
「割り算だろ!」
数字に弱い友人の計算した通りの分量を混ぜて、私は捏ねた。だが、どう考えても水が足りない気がする。パサパサしてなかなか耳たぶのようにならない。
「ねえこれ、水が明らかに足りなくない? 私作ったことないから、これでいいのかわからないけど」
友人に見せると、
「これでいいんじゃない?」
と、言う。
「私調理実習で作ったことあるから」
「そのときこんなだった?」
「全然覚えてない」
「おい!」
混ぜても混ぜても、白玉粉はパサパサだ。
「やっぱり水が足りないよ」
「私と説明書どっちを信じるの?」
「どっちも信じられないって話をしてんだよ!」
目分量で私は適当に、白玉粉に水を足した。
すると粉はやっと、みみたぶくらいのやわらかさになった。
「ほら、これが正解でしょ?」
「作ったことないくせにー!」
台所で喧嘩しながら、それでも私は白玉粉を捏ねた。
「これどのくらいの大きさに丸めたらいいの?」
「葡萄と同じ大きさで。葡萄と白玉で双子っていうコンセプトなの」
「小さいな……」
頑張って私は白玉を丸めて、茹でた。初めての白玉作りは、まあまあの出来であった。
「私が使っていい葡萄はどれ?」
「二房残ってるから、好きなだけ使っていいよ」
後は友人に任せて、私は残ったチーズでワインを呑みながら待った。
「はい、お待たせ!」
まず食卓には、マフィンの上に葡萄が並べられたかわいい美味しそうなものが出て来た。
「おお、美味しそう」
「そしてこれ!」
タルトの上に葡萄が並べられたものが、登場する。
「それからパフェね!」
更には友人が百均で買って来た器に盛られた、アイスたっぷりのパフェが運ばれた。
「アイス買って来たの?」
「うん。でも冷凍庫にいっぱいあるね、アイス。私が買ったやつ」
「そう、あなたがリスのようにうちの冷凍庫に溜め込んでいるアイスが、たくさんあったのに……」
「今度は買って来ないよ! あれ全部私が食べるから食べないでよね!!」
「食べないからこそ、今日まで溜まりに溜まっていたのではないか……」
最後に友人は、葡萄と白玉を盛った器を持って来た。なるほど葡萄と白玉で双子の……。
「ちょっと!」
友人はそこに、いきなり炭酸を注いだ。
「何をするの一体!?」
「涼しげでしょ?」
ミントをそこに浮かべる。
「……引かれないくらいにやるって、さっき言ってなかった?」
目の前に並ぶ、四種類のデザートに、私は固まっていた。
「一つ運ぶ度に菅野さんがフリーズしていくのがよくわかったよ……甘いもの得意じゃないもんね。大丈夫任せて、食べられなかったら全部私が食べるから」
そこで私は改めて、友人がどれだけ甘党なのかを思い知る。
「いつも甘いものを与えなくてごめんね……」
「さあ! 召し上がれ!!」
「いただきます」
一番美味しそうなマフィンを私は食べた。葡萄の上に蜂蜜が掛かっていて、でもマフィンが甘くないので美味しい。
後はパフェを二口、それが私の限界だった。
「大丈夫大丈夫、私が食べるから」
「無理すんなよ……」
「こんな美味しい葡萄を、無駄にはできない。葡萄への敬意を込めて、私は食べ切る」
だが、さすがにどんなに友人が甘党でも、ものには限度というものがある。
「計画性とかないの? これ多いと思わなかったの?」
無言で二個目のパフェを食べ始めた友人に、思わず私は尋ねた。
「いろいろ考えてたら全部作りたくなったの!」
パフェを食べながらしかし友人は、段々と必死になってくる。
「ねえ、私今白玉何個食べたと思う?」
「大丈夫だよ……元は百グラムの粉だから。あとは水だから、百グラムの粉なんて、掌くらいのもんよ」
励ますことしか、私にはできない。
「ねえ、私ダイエット中だって知ってた?」
「昨日言ってたね……台無しだね……」
「でも葡萄は間違いなく美味しいよ!!」
タルトは持ち帰ると言って、彼女は二個のパフェと白玉を完食した。
「完全にやり過ぎたわ。全部自分に返ってきたわ」
食べ過ぎて動けなくなった犬、みたいに友人はしばらく動けなかったが、夜も更けたので帰ると立ち上がった。
「デザートパーティ強盗だな……」
食べ尽くされた食卓の上を見て、思わず呟く。
「生クリームのついた食器なんて洗ったことないでしょ? 油分だから頑張って洗ってね」
よろよろと友人は、玄関に向かった。
「葡萄が美味しかったという真実だけが残ったわ」
言い残して、彼女は帰っていた。
デザートパーティ強盗が散らかしていった後を、見ているだけで胸がいっぱいになってしまった私は片付けた。
そして最後はデザートの乱舞にとんだことになったが、友人の言い残したことに間違いはない。
葡萄が美味しかったのは、間違いなく真実だった。
●今回のレシピ
葡萄と生ハムのサラダ
材料 2人前
葡萄 一房
生ハム 好きなだけ
サラダ菜 一株
セロリ 一本
ルッコラ あれば
★オリーブオイル 大さじ2
★白ワインビネガー 大さじ2
★クレイジーソルト 適宜
★黒胡椒 好きなだけ
作り方
葡萄の皮をむきます。
サラダ菜とルッコラを一口大にちぎります。セロリをスライスします。
それらのものと生ハムを和えます。
★の調味料を混ぜてドレッシングを作り、野菜葡萄生ハムと和えます。
出来上がり。
●今回のお酒
グランデス・ビノス・イ・ビニェドス アナヨン シャルドネ 2011
スペイン北西部のアラゴン州最古のワイン産地、D.O.カリニェナで作られた、シャルドネ100%のワイン。害虫対策は殺虫剤ではなくフェロモン剤で行われるなど、環境保全に配慮し作られています。桃などの熟した果物の香りでボリューム感をもち、スペインの歴史あるワインガイド、ギア・グルメで『スペイン最高のワイン』にも選ばれています。
東北食べる通信
http://taberu.me/
東北の生産者にクローズアップし、特集記事とともに、彼らが収穫した季節の食がセットで届く。農山漁村と都市をつないで食の常識を変えていく新しい試みである。