菅野彰
9 22
この間久しぶりに、母と弟と実家で呑んだ。母の誕生日で、私が呑みかけのものも含めて日本酒の四合瓶を三本持ち込んだ。
一つ一つ説明する私のうんちくにうんざりしながらも、弟が、
「どれもすごく美味しいね」
と、何気なく言った。
その瞬間、
「私は気の合わない酒など、もはや買うことはないのである」
と、思わず呟いた。
「姉さん何してんの今!?」
悲鳴のように弟に問われた私は今、東北の美味しい食べ物や美味しいお酒を紹介するこのWEBエッセイを連載中なのである。
酒の一滴は血の一滴。
最近の私の酒選びの真剣さたるや、血眼なことこの上ない。もちろん味には好みがあるので旨い旨くないはそれぞれ個人の見解だが、そんな中自分と気の合う酒と出会った喜びはとても大きい。
そんな私に、いつでも間違いのない日本酒を気軽に呑ませてくれる居酒屋「弦や」が、新店舗に移転した。
行きたい行きたい新店舗も是非ご紹介させていただきたいと、待てをされた犬のようになっていた先日、担当鈴木から「行くがいい」と、言われた。
いや普通にいつでも行けばいいんですけどね。ちょっとバタバタしておりまして、理由がないと行けない気持ちになっていたのです。
いつもの友人におつきあいいただいて、手元の仕事が終わったら木曜日に「弦や」に行こうと決めていた。ところがなんとか仕事が終わろうとしていた水曜日に、「弦や」公式Twitterが、
「木曜日は臨時休業です」
と、お知らせした。
毎日毎日、
「ああ弦やに行きたい。今日は生ウニ入荷!? 秋あがりが始まってる!!」
と、そのツイートを眺めていた私は驚愕して友人にLINEをした。
「どうしよう明日臨時休業だって」
「え! 今日会社の帰りに行こうか?」
「ありがとう! つきあってくれる!?」
タカタカと仕事をしながら、私は営業時間を待って大慌てで予約の電話を掛けた。
「すみません、今日八時から二人で」
なんとか席が空いていて予約が取れ、友人と二人で「弦や」の新店舗に向かって歩きながら、私は予約のときに重要なことを店長に告げなかったことに気づいた。
「……でさ」
そのとき友人は何か大事なことを喋っていたらしいが、私は気もそぞろ。
「ねえ! 話聞いてる!? 菅野さんそういうとこあるよね!」
時々話を聞かない私に、時々友人は怒り出す。
「ちょっと待って、今はそれどころじゃないの。言ってなかったけど、今日はいつものWEBエッセイの取材も兼ねてます」
「え? そうなの? 聞いてない」
「何しろ言ってないからね。そういう訳だから、写真をいっぱい撮ってね」
「う、うん。わかったがんばる!」
何か怒っていたはずの友人は、一生懸命新店舗の外観写真を撮り始めてくれた。
「弦や」新店舗は、福島県喜多方市で一番並ぶラーメン店「坂内」の、少し先にある。とてもわかりやすい場所だ。
店内に入って友人は、店員さんに、
「写真撮ってもいいですか?」
と、声を掛けてくれて、日本酒の入っている冷蔵庫の写真も撮ってくれた。
そこで私が通り掛かった店長に、
「こんばんは、いつもお世話になっております。すみません以前ご紹介させていただいたWEB連載で、新店舗もご紹介させていただいてもいいでしょうか?」
と、尋ねる。
「ああいいですよー」
ご快諾いただいてホッと胸を撫で下ろした私に、友人が真顔になった。
「待って。なんでそれ今聞いた?」
「うっかりアポなしで来ちゃったの……」
「電話で予約したんだよね? そんときに普通聞くよね? あたし写真バシャバシャ撮っちゃったよ!」
「ちゃんと断ってから撮ってくれてありがたやありがたや。いや、もうここに来たくて来たくて、一日千秋の思いでね。来たい気持ちが先行して取材申し込みを忘れておったのよ。店に近づいてから思い出して、焦った焦った」
プリプリ怒っている友人に、ごめんごめんと謝って、さあ何を呑もうかなとわくわくと冷蔵庫を眺める。
新店舗は、以前の店舗より随分広く使い勝手も良さそうだった。
今回私たちはカウンター席に座ったが、目の前に新鮮な魚貝が並べられて、厨房の様子もよく見えてとても楽しい。
ただ水曜日だというのに、お客さんはひっきりなしでほぼ満席だ。もし来店することがあれば、事前に予約を入れておくのが無難だろう。
「とりあえず生ビール!」
ここは日本酒の揃えがいいお店だが、日本酒以外を呑むお客さんにも気安い。生ビールも三種類用意されていて、私は琥珀エビスをお願いした。
「そしてキャベツと」
「弦や」には生のキャベツを切っただけというメニューがあるのだが、何故だかこれがいつもとても甘くて美味しくて止まらない。
「私今年まだサンマ食べてない。サンマ頼んでもいい?」
まだ今年のサンマを食べていない私は、友人に尋ねた。
「私食べたけどいいよ」
友人が快く頷いてくれる。
「じゃああとは、お刺身盛り合わせ三種、ラッパ(豚の動脈)、つくね」
そんなところを頼んで、乾杯だ。
琥珀エビスはもちろんとても美味しいが、お刺身が運ばれて来たらもう日本酒なしでは生きてなどいけない。
「イサキ、金目、赤いかになります」
厨房の中から板前さんが、説明してくださった。
「なんて美味しそう……日本酒、あ! あれがある!!」
目の前には、先日「SAKE COMPTITION」純米大吟醸の部で栄えある世界一を獲得した、会津若松鶴乃江酒造の「会津中将 純米大吟醸 特醸酒」があった。
「半合せんひゃくえん……」
これは普段の「弦や」では、なかなか見ない高価格である。
「いっちゃいなよ! 話題沸騰の会津中将だよ!」
隣から友人は、無責任にけしかけた。
何しろその受賞が地元新聞の一面をでかでかと飾った日、その記事を送って来てくれたのは隣にいる友人だった。
「そ、そうだね。味がわかるうちに!」
最初から豪気に、私は会津中将を求めた。
この連載には登場したことはないが、ゆりさんという女性の杜氏さんががんばってらっしゃる鶴乃江酒造には時々お邪魔する。「ゆり」も「会津中将」も、とても良いお酒だ。
「そこからお猪口好きなの選んでくださいー」
店長に言われて見ると、カゴにかわいいお猪口が積んである。
「私選んでいい?」
すかさず友人が、隣で検分を始めた。
「好きなの選んで」
お任せすると友人は、外側が朱色で中に小さな小判が三つ散っている素敵なお猪口を選んでくれた。
更に友人に注いでもらって、一口その世界一のお酒を呑む。
「ん! すごく美味しいけど最初に呑むもんじゃなかったかも。さすが純米大吟醸、ちょっと甘いわ」
でも美味しいし誇らしいし嬉しい、いい祝い酒だ。
鶴乃江酒造は本当に小さな酒蔵だ。杜氏のゆりさんはいつも店頭にも出て接客も一生懸命なさっている。会津を観光する折は、是非寄ってみて欲しい。純米酒や純米吟醸はお手頃だし、充分美味しい。
「赤いか甘いー!」
「本当だね! あらおかしいぞ世界一のお酒がもうないー」
刺身とともに呑んでいた会津中将がなくなり、冷蔵庫の日本酒を私は眺めた。
時は秋。
秋あがりやひやおろしの季節である。季節には季節の名がついた酒を呑まずしてどうしてくれよう。
「しかも大好きな『辰泉』の秋あがり……すみませんこれ一つください!」
いつ呑んでも美味しい辰泉の秋あがりを見つけて、それだけでテンションが上がって注文する。
ここで器が、半合から通常の一合になった。
ところで今更だが友人は、うちまで車で来てくれているので呑まない。
後悔したのだが、もし可能なら半合で全てお願いしてみれば良かった。一人で呑める量には限界がある。色々種類を呑みたいのが人の常だ。
辰泉の秋あがりは、本当にまろやかで美味しかった。
サンマも美味しく、ワタを突いて日本酒も進む。
「あれ、もうないわ辰泉。すみませーん」
忙しそうな店長に申し訳ないと思いながら、声を掛けた。
「今、辰泉の秋あがり呑んで、すごく美味しかったんですけど」
「負けないくらい美味しいのをってことですね」
店長、話が早い。
ここで店長が持って来てくださったのは、「夢心 純米 ひやおろし」だった。
「実は夢心初めて……」
地元の酒蔵なのだが、何故だか夢心は呑んだことがない。何故かというとたいした理由はないのだが、よく見かけるのでいつでも呑めるような気がしてどんどん後回しにした結果、呑んでいないのだ。そういうお酒が、夢心の他にもいくつかある。
「うわ、美味しい」
「美味しいでしょう?」
店長もしたり顔だ。
夢心はとても呑みやすく、それでいて味のあるお酒だった。
「私、デザート食べていい?」
前回甘党を爆発させた友人が、メニューを眺める。
「もちろん」
友人がデザートを頼む間に、私はするする呑めてしまう夢心を呑み上げた。
ぼちぼち店内も人が減ってきて、ここらで切り上げるのが大人のたしなみという空気が流れる。
しかしそんな空気を読めるなら、それはもう酔っぱらいではないのである。
「もう半合だけ、お願いしてもいいですか?」
そうするとトータル三合で、一人で呑むにはだいたいこんなだろうという量になる。
「じゃあこれ」
店長が選んでくれたのは、「純米大吟醸 夢心」だった。
「やっぱりこういうのは最後だよね……」
美味しい会津中将を最初に呑んでしまったことを悔やみつつ、夢心を注いでいただく。
「すごい!」
友人が、声を上げた。
「どうしたの?」
「これまでのお酒と全然香りが違う! 私のところまですごく香る!!」
「そうなんだ……おおっ、なるほどなんてまろやかな!」
ひとくち口に入れて、私も唸る。甘露だ。
目の前には、以前紹介させていただいた「蔵元を囲む会」で、素晴らしい料理の腕を振るわれた板前さんがいらっしゃった。
「すみません……何か、ちょっとつまむものを、ちょっとしたものでいいので」
食べ物も食べ尽くして、私はこう、小皿に塩辛でいいんですがくらいの気持ちで、お願いした。
丁度、別のテーブルからも似たような声が掛かる。
「じゃあ」
すっと、板前さんは氷の中からとても新鮮そうな銀色に輝く生サンマを掴んだ。
「サンマのなめろうでいい?」
「ぎゃあ! 嬉しい!! 是非!」
こんな、「何かちょっとつまむものを」とお願いして、「サンマのなめろうでいい?」ってそれって一体どんな極楽浄土なの!?
さっと板前さんが作ってくださったサンマのなめろうは、今思い出してもよだれが出る美味しさで、本当はもう半合いきたいところだったがいよいよ私たちは最後の客になったのであきらめた。
「ごちそうさまです! 何もかも美味しかったです!!」
すっかり上機嫌でいつでも目が飛び出るような安価なお会計を済ませて、新店舗を後にする。
「千鳥足だよ、千鳥足」
しらふの友人に呆れられながらも、極楽浄土を後にした。
この極楽浄土は気軽で気安く、限りなく幸せなのである。
●今回のお店
弦や
気軽な居酒屋でありながら、旬を堪能できるツマミの美味しさ、日本酒の揃えのすばらしさに、何度も通いたくなります。特に福島、会津の日本酒の揃えは天下一品。日本酒の美味しさを改めて発見できます。フェイスブック、ツイッターで、情報を発信されているので、ぜひチェックを。
問合せ先
住所:福島県喜多方市細田7197-3
TEL:0241-22-0660
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