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■川村湊(文芸評論家)

 夏目漱石は、1909年秋に大清帝国と大韓帝国とを旅行した。この旅は直接的には朝日新聞に連載した「満韓ところどころ」として書かれたが、前半の「満」だけで(それも中断)、「韓」の部分はない。黒川創氏によって近年再発見された随想「韓満所感」は、満洲日日新聞に掲載され、彼がその旅で何を感じたか(考えたか)を知る希少な資料で、「(自分が)靴の裏を押し付けた」所で“伊藤公遭難事件”が起きたことに驚き、「余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた」と書く。これだけで漱石の「満韓」観をうかがうには材料不足ではあるが、ハルビン駅頭での安重根による伊藤博文狙撃事件から、西洋列強や隣国の侵略によって植民地、亡国に転落しようとしていた「帝国」の運命を、同情的に、あるいは自分とは切り離したものとして冷静に(冷淡に?)見ていたことがうかがわれる。

 漱石は小説の中で、「満韓」について書き記すことはあまりなかった。もちろん、時代の趨勢(すうせい)もあって、全く関心の外だったとも思えない。「草枕」の登場人物・久一と那美の元夫は、「遠い、遠い世界」としての「満州」へ行こうとする。それは「死にに行く」ことと変わらない。この時の「満州」はまさに死地のような、“こちら側”とは隔絶した世界なのだ。

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