JRの急行、なぜ絶滅? “中間”が“中途半端”になったその歴史
2015年9月23日(水)10時0分配信 乗りものニュース
定期運行されるJR最後の急行列車「はまなす」(2015年7月、恵 知仁撮影)。 [ 拡大 ]
来年3月26日の北海道新幹線開業に伴う、急行「はまなす」の廃止。これによりJRから、定期運行される急行列車が姿を消すことになります。なぜJRから「急行」が消えてしまうのでしょうか。
「急行」とはどんな列車だったのか
2016年3月26日の北海道新幹線開業。それに伴い、青森〜札幌間で運行される急行「はまなす」が廃止されます。そしてこれにより、毎日定期的に運行される急行列車が、JRから姿を消すことになります。1本も急行列車が走らない状態が、JRの日常になるのです。今後、臨時で急行列車が運転される可能性はあるものの、「はまなす」廃止は事実上の「JR急行列車の絶滅」とすることもできるでしょう。
なぜ、JRから急行列車が消えることになったのでしょうか。
JRの旅客営業規則をみると、「『急行列車』とは、特別急行列車及び普通急行列車をいう」とあります。前者は特急列車のこと。「普通急行列車」が、本稿でとりあげる急行列車を指します。利用するには、乗車券と同区間の普通急行券(以下、急行券)が必要です。
「急行列車」の定義としてまず挙げられるのが、一部の駅を通過することによる“速達性”。ただ特急列車よりは停車駅が多いため、その分、急行券の料金体系は特急料金よりも安く設定されています。
もうひとつの定義は、“車両設備と旅客サービス”です。客室と出入口が区切られた車両を使うなど、基本的に特急列車用よりは低いものの、普通列車用の車両よりはグレードの高い車両が使われるほか、グリーン車や、また「ビュフェ」と呼ばれる簡易食堂車が連結されたこともありました。
まとめると「急行列車」とは、“料金”“速達性”“旅客サービス”の面で、普通列車と特急列車の中間の位置付けにある列車といえます。
大衆化していく特急、しかし急行は…
昭和30年代ごろまで、特急列車は一部の幹線のみでしか運行されず、多くの人にとって、「優等列車といえば急行列車」という時代でした。
ところが急行列車を取り巻く環境は、特に昭和40年代から昭和50年代、大きく動きます。
まず新幹線網の充実が進み、在来線の特急形車両が大量に余りました。そしてこれを機に、老朽化していた急行形車両の代わりに余った特急形車両を使って、急行を特急へ格上げする動きが生まれます。
さらに、毎時の発車時間を揃えて利用しやすくした「エル特急」が各地で大増発されると、利用者が急行列車を選択するメリットが根本的に薄れてしまいました。
そうして特急網が整備され、“特急利用”が大衆化していくなか、スピードと設備で特急に及ばず、車両の老朽化も進んでいた急行列車は次第に“中途半端”な存在となり、ダイヤ改正のたびに姿を消します。昼間に走る定期急行列車は2009(平成21)年、岡山〜津山間の急行「つやま」廃止でなくなりました。そして最後にただひとつ残っていたのが、夜行の急行「はまなす」です。
最後の急行「はまなす」、生き残ってきた理由とは
定期運行されるJR最後の急行列車「はまなす」は、青森〜札幌間を結ぶ夜行列車で、1988(昭和63)年に運転開始。列車名は一般公募で、運行区間の沿線に咲くバラ科の花から命名されています。
現在、急行「はまなす」の編成は、14系客車と24系客車の混結7両編成が基本。青森〜函館間はED79形電気機関車が、函館〜札幌間はDD51形ディーゼル機関車が牽引し、専用のヘッドマークも掲出します。
編成には自由席車のほか上下2段のB寝台車、もとはグリーン車用のリクライニングシートを備えた指定席車「ドリームカー」、そして「のびのびカーペットカー」を連結しています。
「のびのびカーペットカー」は、床に“雑魚寝”できるようカーペットが敷いてあり、毛布も備えるほか、寝ると頭がくる部分に簡単な仕切りもあります。また、2階部分にわずか2人分ではありますが、簡易個室ともいえるスペースも設けています。この「のびのびカーペットカー」は寝台料金不要、指定席の料金で横になれるため人気で、お盆やお正月の帰省シーズンにはすぐに予約で埋まります。
また、函館や長万部周辺から札幌行き下り急行「はまなす」を使うと、早朝に新千歳空港へ到着することが可能。マイカー移動などより安全で定時性に優れ、身体的負担も少なくて便利でした。また青森行き上り急行「はまなす」は、札幌駅を22時ちょうどに発車。室蘭方面へ帰る人が札幌に遅くまで滞在でき、便利でした。
このように急行「はまなす」は、リーズナブルで使い勝手が良かったことから、根強い一定の利用者がありました。それが最後まで生き残ってこられた理由のひとつかもしれません。